父親不在の日本社会(序)

【まえがき】
日本社会の崩壊が止まらない。
政治・経済・社会・家庭、すべてのレベルでゆっくりと、しかし確実に崩壊が進んでいる。
この論考は、高等学校→進学塾→公立中学校と、長年、教育現場で子供とその保護者に対応してきた筆者が、日本社会の劣化の原因を探ったものです。
このまま行けば日本社会は、日本の独自性を説いて自らのアイデンティティを守ろうとする、見たいものしか見ない愚か者と、周囲に流されてずるずると誇りを失い、周辺諸国からも見下される堕落者ばかりになってしまう。
それが、戦争責任を内在化させないまま、無責任な自由を肥大化させてきた、戦後民主主義の行き着くところなのかもしれない。
そうした日本社会の漂流を、精神的な視点から捉えてみようというのが、私の試みである。

なお、この論考は父親の権威、特に封建的、家父長制的な近世以降の道徳を復活させよと主張するものではない。
それでは、現憲法を否定し、旧憲法を信奉する愚か者と同じになってしまう。
また、父性母性といった性役割分担を復活させよという意見でもない。
かつて父親がになっていた、子供を叱る役割、道徳規範をしめす役割を、男女関係なく大人が子供にしめすべきだ、つまり大人が大人では無いからダメなのだ、という意味で父親不在という言葉を使っている。

私自身、7歳で父を亡くして母子家庭で育ったものの、私の母は父親と母親の両方の役割をひとりで見事にこなし、私と弟を育てあげた。
大人が大人としての責任を果たせば、男女の性は関係なく、子供は育つ。
そのことを考えてみたい。

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