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名前あそびの海の中

小学2年生ごろ
のことだったと思う。


母が何気なく
「あなたが生まれた時、名前を清子にしようか、
舞にしようか迷ってねぇ」

そう話してくれたことがある。


大人にとっては
なんてことない日常の中のこの会話に

幼かったわたしは
足元が崩れ落ちてしまいそうなほどの
不安を感じた。



わたしはわたしじゃなかったかも
しれないという不安。


それは心の底に張り付いて
わずかなざらつきを残し続けた。


しばらくして
祖父にそのことを話した。


祖父は「へー」とか「ほー」とか
面白そうに言ったのち…

「清子が1番いいよなぁ」

そう言って眉を下げて笑った。


祖父の言葉とその声に
わたしは安堵して、

不安を拭い去ることができた。





それから
いくらかの時間を超えた頃、

わたしはもしも舞だったら、
ということを想像するようになっていた。


わたしが
舞だったら、

今とは全然違っていて、

たぶん、きっと
誰とでも積極的に話すことができて
クラスの人気者だっただろうとか

たぶん、きっと
ピンクのお洋服やフリルのついた
スカートがよく似合う子だったろうとか

運動神経が良くて
跳び箱も8段だって楽に飛ぶことができて
リレーでもアンカーに選ばれただろうとか



それは
楽しい遊びだった。



そして
そのうちに気がついた。

わたしは、わたしの中で
他の誰にでもなれるのだ、と
いうことに。


ある時は
みきであり、

ある時は
りかであり、

またある時は
エレナであったりした。

思いつく限りの名前を
わたしは自分にたぐり寄せ、

心の旅をおおいに楽しんだ。



わたしだけの世界の中で
生み出された少女たちは、

ガラス越しに見える空の向こう側や

川の水面できらきら揺れ動くゆらめきや

葉っぱの隙間からこぼれおちる光の破片

それらとともに
時々、断片的によみがえってくる。


そのたびに
わたしはなつかしい気持ちになって
ホッとする。


そしてかならず、
祖父のことを思い出す。


想像という海の水面で
名前を次々と拾い上げていく遊びをするわたしに


まるで灯台のように
必ず戻れる場所を照らし続けてくれた。


「清子が1番いいよなぁ」


祖父の言葉とその声には
そんな力があったように思う。


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