板橋区の話

 こんばんわ。「冬はつとめて(早朝)」って云いますが、夜型生活が治りません。というのも、夜に勉強してる昔から嫌いな英語が自分にとっては突っ掛かるんですよね。参考書を読むと「動詞の直前が主語になる」でも「There+動詞の場合Thereは副詞だから後が主語(しかも修飾語句が入る場合あり)」。分かるんですが、まず、日本語ユーザーって副詞とか形容詞ってそこまで意識しないですよね。英語は例外のパターンが多くて、暗記するのに苦労してます。日本語と英語を比較すると、言語も生い立ちに影響されてることが理解できます。
 話変わって今回は東京に関して、ちょっと話したいなと思います。まあイメージ論に関してですけどね。今日投稿すれば2ヶ月連続らしいので笑。紹介するのは板橋区です。以前私は板橋区の大山に住んでたんですけど、結構住みやすかったですね。車を持ってないのでアクセスは電車に関してですが、都営三田線と東武東上線が通っています。駅名は地名の呼応が多く、思いつく所だと3つ。
①板橋
板橋(JR線)、新板橋、板橋区役所前、板橋本町、下板橋、中板橋、上板橋
②志村
志村坂上、志村三丁目
③高島平
高島平、新高島平、西高島平
このようにする事で地名が住民に馴染むのだと思いました。
東武東上線は常時10両編成で、和光市からはメトロとの直通運転もしています。また課金無しで川越特急という種別も運行されています。停車駅は池袋の次は朝霞台で、掟破りのような感じもしますよね。しかし、板橋区はそんなことは知る由もなく、普通列車で池袋まで向かいます。和光市や朝霞台より手前だからです。そんな状況が相まって、板橋区の東上線沿線は下町情緒あふれる環境がありました。大山はハッピロード商店街があり、ときわ台には田園都市もある。人身事故は多いけど速達性に優れてハイセンスな電車が深夜過ぎても走ってる。板橋区にはブランドがあると率直に感じました。
ところで板橋区最大の繁華街、大山の由来はなんでしょう。近くに大きな山があったからとか、大山講が江戸時代行われていたからとあります。まあこれは曖昧な事実が多くなんとも言えないのですが、東武東上線を語る上で重要な川越は、江戸時代神奈川県にある大山へ向かう大山講が栄えたらしいです。そのルートは今の西武新宿線と西武国分寺線に沿って南下していきます。つまり川越から向かう大山講へのルートでは無かったのです。板橋でも大山講が行われていたかもしれませんが、東武東上線のルートは、厳密には新河岸川を利用して、花川戸(浅草)から川越に送られていた貨物の輸送が船にとって替わったものなのです。上福岡付近には回漕問屋が最盛期に3軒あったのですが(志木付近にもあった)、東上線が開通して無くなってしまったとの事です。簡単な結論付けるなら無宗教の日本人にとって、山は信仰の対象であり、そのことが加味されて大山になったのでは無いかと考えています。
 都営三田線は中山道の西側を走行したあと、新河岸川と並行に高島平方面へ向かいます。志村は城があった場所、坂上は板橋区で勾配が急だとされてる清水坂があることから来てるのでしょうか。中山道は板橋から蕨に向かうので、歴史を味わえるのは志村で終わりになります。三田線沿線はチェーン店が多く、板橋区ならではのものを求めていた私にとって魅力には映りませんでした。板橋区に楽しんで住むのなら東上線沿線をお勧めします。
 ちょっと時間がきてしまいました。今回は大分話過ぎたかなあ。次からはもっと短いです。英語ちょっとやるか、、

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