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街路樹の「樹冠」を広げよう

日本の街路樹はなぜ貧相なのか。これについて専門家は、枝などを切る「せん定」の仕方が間違っているからだと指摘した上で、今後は欧米のように枝や葉が集まる部分=「樹冠」を広げるべきだと訴えました。

これは都会の緑を守ろうと活動している都内のグループが三鷹市で開いた講演会で、千葉大学の藤井英二郎名誉教授が指摘したもので、わたしもオンラインで参加しました。

この中で藤井氏は、日本の街路樹が欧米に比べて寂しいのは、枝を切るせん定の方法が間違っているからだと指摘しました。その転換点は、道路と街路という区別が廃止され、道路に一本化されたことにあると言います。これによって「都市の生活空間」ではなく、「交通機能」としての道路がつくられていきます。

そして街路樹の管理も1970年代には民間への委託が進んだうえ、行政側にも専門家がどんどんいなくなったことから、どのようにせん定を行なうか適切な指示も評価もできない状態が続いていると述べました。しかも予算が限られていることもあり、効率性を考えて枝を幹の近くから切ってしまう「強せん定」が後を絶たないと嘆きます。

藤井氏は、いまのせん定は歩道の幅に合わせて必要以上に切っており、しかも「コンパクト」な形に仕上げようと余計に枝を切ってしまっていると批判します。そして仙台市青葉区のように、せん定は無理にせず、枝や葉でつくる「樹冠」を広げるべきだと主張します。

樹冠を広げるという考え方は、目からうろこでした。わたし自身もなぜ枝や葉をもっと広げずに切ってしまうのだろうかと疑問に思ってきましたが、落ち葉が増えることや視界を遮ってしまうことなどいろいろな理由を聞くにつれ、仕方がないことなのかと納得してしまっていました。しかし藤井氏は、樹冠の考え方が欧米では当たり前であり、樹冠が地表に対して占める率である「樹冠被覆率」を指標にしていると話しました。

藤井氏はその上で、樹冠を広げるため道路側へ枝や葉を広げるべきだと訴えました。そのためにも根っこがある程度、土に張れるよう「土壌容量」を確保すべきだと強調しています。根っこがある程度張れば、いわゆる「根上り」も起きないと言います。ところがいま、地下でさまざまなインフラ設備が埋設され、太い根っこが切られたりしていると嘆きました。

さらに日本では、落ち葉を迷惑がったり、木が茂った状態よりも日の光を好む傾向があるが、落ち葉は自然現象でありお互い様だという心の豊かさが大切だ、そして生い茂った木は人々の気持ちに潤いを与えるとして、住民側の意識改革も問われていると指摘しました。そして1978年に中野区で制定されたみどりの保護と育成を進める条例を紹介しました。この中で「管理が及ばない落ち葉については、受忍しなければならない」と定めているのです。

藤井氏が樹冠を拡大する必要性を強調する最も大きな理由は、都市の中心が郊外に比べて高い気温となるヒートアイランド現象を和らげる対策になるという点です。コンクリートに覆われた都会の夏の道路の温度は50度になるが、樹冠の拡大で20度下げられるということです。いわば「街路樹の日傘」が温暖化を防ぐのです。

海外では樹冠の拡大が対策として掲げられていて、例えばオーストラリアのメルボルンでは、樹冠被覆率を2040年までに2倍弱の40%に増やすことが打ち出されているほか、アメリカの多くの都市では、樹冠被覆率を公開することで樹冠の拡大を進めようとしているということです。これに対して、日本では、道路の緑化について、「道路交通機能の確保を前提としつつ、美しい景観形成など緑化に求められる機能を総合的に発揮させる」という基本方針のみで、温暖化に関する対応がありません。

わたしは都市部のみどりを増やすことがまちの価値向上につながると主張してきました。街路樹を増やすこともその一つだと考えていますが、その本数に固執していて、樹冠を広げるという考え方は希薄だっただけに、考え方が変わりました。さらに温暖化対策としての緑化の役割がますます重要になってくることに自信を得ました。

ただ行政は縦割りで、道路管理とみどりの保全、それに温暖化など環境政策の担当はそれぞれ分かれているのが一般的です。街路樹は、道路管理に属していて、みどりの保全や温暖化対策に必ずしも積極的ではないのが実情です。以前、藤沢市議会での一般質問でも提案しましたが、こうしたバラバラの担当を「都市部の緑化」というくくりで統合するなど、独立した組織をつくるべきだと改めて感じました。

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