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推しへの感謝を込めて

 今年五十歳になった私が、我が身に忍び寄る老いを感じ始めたのは、四十代半ばを過ぎた頃からだろうか。婦人科系の不調で受診したり、階段を上ると息切れしたり、鏡を見るたび、髪や肌の艶が失われつつあるのを感じてゲンナリしたり……。若い頃は何にでも首を突っ込みたがる性格だったのに、新しいことを始めようという好奇心さえ薄れていた。
家とパート先を往復し、時々ママ友とランチする。そんな変わり映えはしないが穏やかな生活に、何の不満も疑問も感じていなかった。

 しかし、いつまでも続くと思われたその安穏とした生活が、ある日突然ひっくり返される出来事があった。
夫の勤める会社の社宅制度が廃止されることになり、家族で住んでいた会社借り上げのマンションから、一年以内に退居せねばならなくなったのだ。
 突然のことに動揺はしたものの、どうせなら故郷に似た海辺の街に住みたいと夫婦で話が纏まり、紆余曲折の住まい探しを経て、ここ鎌倉へと移って来たのである。

 引っ越してからの一年はただただ慌ただしく、飛ぶように月日が過ぎていった。翌年はもう少しゆったりとこの街に馴染んでいけるだろうか……。そんな気持ちでのんびり構えていたところ、予想だにしない事が起こってしまった。新型コロナウイルスのパンデミックが、世界を大混乱に陥れたのだ。

 不要不急の外出を控え、家に籠もりがちの日々。退屈しのぎにと趣味の読書に耽る中、久々に心躍る小説に出会った。日向夏先生著『薬屋のひとりごと』である。
当時、既にコミカライズもされている大ヒット作だったから、書店で見かけるたび気にはなっていた。とはいえ、若者向けのライトノベルということもあり、なかなか手を出せずにいたのだ。

(まあ、取り敢えず読んでみるか……)

 ある日、好奇心に負けた私は、書店で平積みにされていた既刊の一巻だけを購入し、美麗なイラストページをじっくりと眺めたあと、物語の一ページ目をぱらりとめくった。途端、その独特のクールな文体から醸し出されるユーモアと、軽妙洒脱なストーリー展開に胸がばくばくと高鳴り、夢中になってあれよあれよと既刊全てを購入し、あっと言う間に読破してしまったのだった。

(う〜っ、この後どうなるの!? 早く続きが読みたーーい!)

そんな逸る気持ちを持て余していたところ、この作品が、小説投稿サイト『小説家になろう』で長く連載されていることを知った。調べてみれば、そちらは文庫版のプロトタイプとなっていて、内容も少々違うらしい。

(そっちも読んでみたいな)

小説投稿サイトなるものがあることすら知らなかった私だが、すぐにスマホでそのサイトへと飛び、躊躇うことなくユーザー登録を済ませた。そして、『薬屋のひとりごと』を貪るように最新話まで読み終えたのだった。

(面白かったぁ! でも、最近は更新がないんだな。早く続きが読みたいのに! ん〜、取り敢えず他の作家さんの作品も読んでみるか……)

興味のない長編作品を読むのは億劫に感じたので、まずは短い文章を読んでみようと、エッセイジャンルを覗いてみたのだった。

(……面白い)

そこには、素人作家さんたちが自分の体験や思考を綴った、個性溢れる作品がずらりと投稿されていた。皆さん、素人とは思えないくらい文章が上手いなぁと感心しつつ、次から次へと読んでいくうちに、中にはほんの数行の短い作品や、そこそこ拙い作品(失礼!)があることも分かった。

……これなら私も書けるのでは?書いていいのでは? 浅はかにもそう思った私だが、すぐに何か書いて投稿する勇気は持ち合わせていなかった。初投稿までには、幾日か躊躇う日々が続いたのである。その間、寝ても覚めてもずっと胸がドキドキしていた。この胸の高鳴りこそ、久々に感じる『ときめき』だと思った。思い切って新しい世界に飛び込むのは今だ! 勇気を出せ! 何をしていても、心が自分を急き立てていた。そしてついに、私は記念すべき初投稿を果たしたのである。

 何度も推敲を重ねて投稿したその文章は、後になって読み返すとあまりにも堅苦しくたどたどしい。万が一にでも憧れの作家さんの目に触れる前に、すぐさま削除して無かったことにしたくなった。しかし、それはぐっと我慢した。五十路を目前に勇気を出して足を踏み入れた新しい世界。その始めの一歩でつけた足跡を、大切にしようと思い直したからだ。

 それからはただひたすらに、寝る間も惜しんで短い作品を投稿し続けた。書くことはとても楽くて苦しく、どれだけ書いても自信なんか持てなかった。でも、いつか憧れの作家さんに届くことを夢見て、がむしゃらに書き続けた。熱い思いを込めたファンレターめいた文章も書いたし、四十万字を超える長編も書いた。ページビューやポイントやブックマークの数はまったく伸びなかったが、そんなことはほとんど気にならなかった。少数ながら、応援してくださる方や褒めてくださる方もいて、それが唯一の励みになっていた。

 結局、日向夏さんが私の作品を読んでくださったかはどうかは、未だに分からない。しかし、そんなことは最早どうでもいい。コロナ禍のあの暗闇に一筋の光を投げ掛け、文章を書くという自由で明るい世界へと私を誘い出してくれたのは、紛れもなく売れっ子作家の彼女なのだ。今はただ、感謝の気持ちを胸に、彼女の眩しいご活躍を応援し続けている。

 そして、五十路を迎えた私は、今もこうして細々と文章を綴っている。相変わらず、上手く書けないと頭を抱えて藻掻きつつ。とはいえ、どんなことでもネタにしてやろうと目を輝かせてあちこち飛び回っている自分は、数年前の自分より随分若返っているような気がしないでもないのだ。

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