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バカと揚げもんと自己統合

私は本当にバカだと思う。ある種のバカ。きっとそれは間違いない。けど、最近そのバカを認めてくれる仲間がいて、そして私自身もそれを認められるようになってきた。これって私の中では本当に凄いことで、これまで自分の自己価値の低さに恐れおののいていたからそこから動けずにずっと定位置をキープしていた。しかしこの定位置キープを、自分を表していくことを教えてくれ、背中を押してくれた人がいたから私は今も自己認識を続けていられる。

悩んだり、心迷った時に自分で書いたノートを見返してみると先生の言葉が私を元の位置まで戻してくれる。本当にどうしたらいいかで悶絶して悩んで何度も何度も苦しんでいる時も、その度に先生の言葉が私を励ましてくれる。

先生がね、私に「misaoさんは、misaoさんになっていくんですね。ありのままのmisaoさんになっていくんですね。」と言ってくれたんです。もう、ここのシーンを思い出したり、悩んだ時にノートのこの言葉を見て読んでした時には泣けてきて泣けてきて…今でも泣けるわ。なんかいろんな言葉で定義したくない。私にとって本当に心の先生だから。

でもね、私はいっつも失敗ばかりするのです。小さく首すくめて、いい歳してなにやってんの?って私の中の私が言います。でもその経験がないから今やっているのです。みなさん、ごめんなさい。

私は思ったことがすっと出てきていらんことを言ってしまったりするのです。人の話を聞いちゃいないし、そこに悪気はないけど、自分自身どうなん?って思ったりする。しかし真面目にやってるつもりなんだ。あと、書くのが好きだから書いたら書いたで考えて書かないから人を傷つけたりしちゃう。頭の片隅で…意識に上がらないようなことがあるのを感じてはいるけれど分かってないことがよくある。とにかく自分を表すって思って書いてたけど…それがある時はダメだって、失敗するって本当に分かった。だからそういう時にはどんなに書いても消しちゃうことにしないといけないって思った。

失敗ばっかりする私。その時には本当に自分を責める。一回どころか何回も死んで来い!!!と思ってしまう。子どもみたいに。最近死んで来いを解禁した。というか、何十年ぶりかな。久しぶりって感じ。そんなことも忘れていた。

この自分を表していくってことをなぜやっているか。もう一度、「失敗するのが分かっててもそれでも自分を表していくことを何故やっているか?」それは、今までが人が恐くて動けない人生だったから、もうそっちの方が嫌なのです。長い人生の中で私は、「言えない」と思って自分の思いを周りに伝えられないでいた。そうしてこれまで”何一つ人生が思うように動かなかった。それでもなんとか人生を失敗の連続で歩んできた訳だけれど、3年くらい前、とうとうどうしようもなく無理の終わりに到着してしまった。そうした時に”それでも、失敗してでも自分の思いを伝えていく、話していくことによってこれまでとは違って私の人生が変わってきたのです。すーっとなにかの静かな流れが私の周りにある感じになってきた。そう小さな小舟が私を夢の中の空想の世界に、碧い宇宙の夢の流れに乗せた感じ。大きいの小さいの幾つかの流れを感じる。もっと変容しなきゃ。変わる、変わる、変わる。もう変わると決めたんだもの。努力も必要。

自分を認めてくれる仲間。

”こんな私”ってずっと思っていたけれど、最近こんな私に本当の友達が出来た。これまでの人生でも親友はいた。本当に大切な友人もいる。いつも一緒にいる友達が必要なタイプではないのでいなくても疎遠でもそんなに困ることがなかった。でもね、たまーにスピリチュアルな話をしたりする仲間がほしい、そんな友だちがほしいってずっと思ってた。でもね、なんかいつも自分から壊すようなことをして仲良くなってきても離れるような感じになっていた。そんな私だけれど、それでも”仲良し”だって思ってくれる仲間が出来た。どんな私でも受け入れてくれる人達。ものすごく貴重で、もの凄く有難くて、もの凄く信頼できる人たち。本当にありがとう。

私は子供の頃から「心の綺麗な人になりたい」って思ってた。それからずっと何かのタイミングでこの言葉を思い出したりしてずっとそう思ってきた。今やっとその作業に取り掛かれてる。母への葛藤で思考がぐるぐるになっていたことがあって大変だった時があった。自分なりに少しずつ色々やってきて今は自己認識して自分自身を取り戻している最中。先生と仲間がいるこの環境が心の拠り所。心の綺麗な人って何をもって心の綺麗な人なんだろうか?子供の頃に思った私の言葉だけど…でも、きっと心の包容力を表してるんだと思う。囚われなく相手を許せるとか、包み込む思いやりや優しさ、温かさがあったりとか…今後そういう側面を表していきたいな。

揚げもんは、揚げ物が好きだから。けれどそんなに今揚げ物を作っている訳ではない。いつか揚げ物や総菜とかを売りたい。みんなの美味しい顔を見たい。最近サーターアンダーギーは売り出した。これに幾つか種類を作ってみようと思う。総菜は大好きなコロッケを売りたい。唐揚げもいいな。美味しいのを作りたい。みんなに食べてもらいたい。かき揚げも好き。全部油もんだよね。あっ、魚を一度揚げて甘辛煮炊いたのも大好き。子供の頃に母が良く作ってくれた。塩焼きも好きだけど。お浸しもいい。卵焼きもいいな。いろいろ作りたいな。みんな食べてくれるかな。

そして自己統合は、これまで気づいていなかった自分自身に気づいて認めて受け入れていくプロセス。そう、認めたくない自分に気づいて認めて受容していく。自分自身に気づく作業は簡単ではない。私なんて自分を表しだしたのはいいけれど、人を傷つけちゃうことばっかしてる。あとやっちゃいけないってことをしちゃう。ほんと、やっちゃう。それで落ち込んで先生の言葉で復活して、ワークして、また落ち込んで、ワークしてとかの繰り返し。

でもさ、みんなと居たらね、そんな私でもじっと見守ってくれてるのが分かるんだよね。時々注意受けるけど、みんな黙って我慢してくれてるっていうか、じっと待っててくれてる感じがしてさ。本当に有難くてさ。自分の親も一生懸命育ててくれたけれど、今大人になってまた周りの人達に見守り育ててもらってる気がする。…大人になって、それも50代で見守り育ててもらうってことある?なかなか無いと思うんだよね。そんな貴重な体験をさせてもらってる。

自分の変化

なにより自分が少しずつでも変わっていってるのが分かるんだよ。少しずつっていっても、体感では全然少しではない。だって3か月で以前になかった自信があるし、職場やその他の人間関係で悩んでいない。落ち込んでも復活がめちゃ早い。以前では考えられない早さ。これって、これまでの人生でなかったこと。びっくりだよ。ほんと。なんでそんなことが起きるかって、それは先生の言葉が「生きている言葉」を話されているから。そして先生自身が実践してるから言葉に命があるみたいに「生きている」のです。「生きている言葉」って書いたら不思議に思うかもしれないけれど、本当に生きてるの。これはその言葉を読んだ人しか分からないと思います。だから心の琴線に触れていつでも泣きそうになる。私は子供の頃から泣き虫だから、余計に泣いてしまうところでもある。ぼろぼろ泣いちゃう。

そうそう、なんでこのnoteに書きだしたかっていうとね、私自身がもの凄い書きたいし、言いたい人なの。誰かに聞いてもらいたいっていうか、ただ言いたいだけ。ただ言いたいだけの迷惑な奴かもしれないけれど、書きたいから仕方ないよね。でもさ、書きたいからあっちこっちで書いてたらみんなに迷惑になるなって思って、どこかいい場所はないかなって思ってここを思った。noteさん、ありがとう。こんなで良かったら読んでみてください。

じゃ、またね。                      2024/4/16

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