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30年後の私のはなし

自己卑下はいつでもできるから、今しかできないことをしようと思う。
あんな私とか、こんな私とか考える時間が勿体ない。

今回もめちゃくちゃ死んだ。
私の中で。

もしの話…100万回死んだとしよう。
なら100万回生きたってことを思った。
絶対嫌だって思った。

(そういえば、絵本で100万回生きたねこってあったよね。あれはなぜか読み始めてすぐにやめたから読んでいない記憶。どんな話か急に興味が湧いてきた。…調べた。あらすじ…その猫は愛を知らなかった。100万回目に恋に落ち、結婚して最後妻を亡くすことで今まで経験したことのない悲しみや思いやる気持ちを経験しますだって。➡なんか他人事(猫ごと)ではない絵本に神妙になってしまう私。)

今世のような人生を100万回なんて…想像を絶する。
あり得ない。

娘が言う…「もし生きたとしても、前世を忘れてるから大丈夫なんじゃない?」
…そうだなと思った。
娘の返しに笑えた…。
きっと娘は、「またお母さん始まった」くらいに思っているのだろう。
でもこういうこというのも、娘にとってあまりよくないよな。

それを思うと、いつも私は起こってもいないことを想像して辛くなっている。起こってきたことならまだしも、まだ起こってないことを想像して辛くなるなんて。これも、あり得ん。


えっ、なら逆を思えばいいんだよね。
楽しいこと想像すればいいんじゃん。
えーっ、なんかこうやって自分の中から出てくると、そうだよねーって新しいことのように感心するし、入るなぁ。
よし、そうしよう。

…なにを想像したらいいかな。
そうだな。
あの時の続きを書こうか。
30年後のわたしの話。

本日は、これでおわり🍊
お読み下さり、ありがとうございました💓





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