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宗教や信仰についての雑記 #71

◯シムネルケーキ

先日、イギリスでイースターに食べられているシムネルケーキのことをテレビで見ました。
このケーキには11個のマジパンで作られた小さな団子が乗っています。
この11という数字は、イエスの12人の弟子のうち、裏切り者であるイスカリオテのユダを除いた数字を表しているそうです。
彼はイエスが処刑される前に自ら命を絶っているので復活を知りません。ですからイースターを祝うこのケーキに数えられなくても仕方ないのかもしれません。
しかし、そのことを聞いて私は少し寂しい気がしました。

イスカリオテのユダはイエスを売った裏切り者とされています。でもイエスの死が我々の罪を贖うために定められていたものならば、ユダの役割も神より定められたものだったのではないでしょうか。
あるいは、イエス自身が自らの進むべき道としてイザヤ書の「苦難のしもべ」を目指していたならば、ユダは重要ではあっても裏切り者とみなされてしまう汚れ役を、自ら買って出たのではないでしょうか。

このような考え方は、伝統的なキリスト教の信仰を持っている人々には決して受け入れられないものでしょう。
しかし「異教徒」の私には、ユダが「自分は無実の人の血を売った」といって己の首をくくった、そんな彼の末路が何だかとても哀れに思えてしまうのです。

イエスの復活を祝い、春の到来をも告げるイースターで供されるシムネルケーキ。
花やひよこやウサギで飾られた、本来なら喜ばしいはずの甘いケーキの裏に、そんな哀しみが隠されているのかと思うと、そこにいくばくかの寂寥を感じてしまうのです。

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