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宗教や信仰についての雑記 #27

◯好意的差別

前回、存在の代償を引き受けているという考え方にも難点がある、と書きました。
それはこの考え方が遺伝子疾患のケースにしか当てはまらないということもありますが、それと同時に、好意的差別になりかねない、ということがあります。

「好意的性差別」という言葉を聞いたことがあります。
これは,女性を保護され崇拝されるべき存在とみなすもので、一見すると女性を賛美する態度のように見えますが、実際には妻や母といった伝統的性役割を女性に求めるような差別のことだそうです。

このような好意的な差別が遺伝子疾患の患者に対してもなされるかもしれません。
上記のような意識的なイデオロギーでなくとも、その人達を存在の代償を引き受けている人達と捉えることで、気付かぬうちに無意識の線引きが生じてしまう恐れもあります。

この捉え方は、その人達を何か特別視するかのように思われるかもしれませんが、必ずしもそうではありません。
遺伝的な障害や疾患は健常と明確に区別できるものだけではなく、連続的なグラデーションを持って明確に線引きできないものもあると思うからです。

存在の代償を引き受けるということは誰にでもあり得ることだと思います。
それまで健康だったのに思いもかけぬときに疾患が発症した場合や、ある点では健康で、ある点では病気という状態のとき、我々は様々な時と場合において、存在の代償を互いに負担し合っているということに、初めて気付くのかもしれません。
そのような視点も合わせて持っておかなければならないのでしょう。

言葉に引きずられて粗雑なカテゴライズをしないこと。そのような自覚が、公正さへの出発点、あるいは基盤となるような気がするのです。

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