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虚空を眺めるアラサー独身生活 【#3 谷川俊太郎】

この気もちはなんだろう
目に見えないエネルギーの流れが
大地からあしのうらを伝わって
ぼくの腹へ胸へそうしてのどへ
声にならないさけびとなってこみあげる

ー谷川俊太郎「春に」

中学生の頃の合唱コンクールで、初めてその詩に触れた。詩というよりは歌詞として。

自分のクラスの歌では無かったが、毎年どこかのクラスが歌っていたため、記憶によく残っている。特に、何度も繰り返す「この気持ちはなんだろう」の部分のメロディーが気持ち良くて、よく口ずさんでいた。

合唱コンクールの曲の歌詞なんて、当時はどうでも良く、どれも何となく前向きな歌詞だな、くらいにしか思ってなかった気がする。でも、谷川俊太郎の「春に」だけは特別だった。強烈に、謎だった。ことば自体は分かりやすいけど、いったい何を歌っているのか?「春」も歌詞にまったく出てこない。「この気もちはなんだろう」その意味も、答えも、結局のところ解らなかった。

そしてー





30歳の僕は、虚空を眺めていた。

実際には、スマホの画面を見ている。画面にはYoutubeが流れている。前回のnoteに書いたかも知れないが、人間には五大欲求がある。食欲、性欲、睡眠欲、ゲーム欲、そして、Youtube欲。←New!
Youtubeは知らないうちに、日常に溶け込んでいた。

好きなYoutubeチャンネルというものもある。しかし、僕は「この動画が見たかった!」と思って見ている時間の方が少ない。多くは、家で脳がほとんど動いていない時、呼吸をする様にYoutubeを開き、ザーッと動画群を下にスクロールしていき、「これでええか」って感じで選び、見始める。興味が薄れてきたら、動画を流したままその下にある「関連動画」をザーッと見て、次の動画を探る。

もはや今見ている動画に集中していないのだ。そして3%くらいの興味で次の動画を選択し、見始めた時にはもう、その次の関連動画を見ている。動画を最後まで見終える方が稀だ。

虚空を眺めながら、次の動画、またその次の動画、と考えている。いっそ何個かの動画を同時に視聴したい。何が見たくてYoutubeを見ているんだっけ?
この気もちはー


あしたとあさってが一度にくるといい

ー谷川俊太郎「春に」

僕はこれをYoutubeの谷川俊太郎現象と呼ぶことにする。こうなったらもうYoutubeを見るのはやめた方が良い。とりあえず家の外へ出た方が良い。

音楽を聴くとき、良い歌詞に出会うと「絶対にこの歌詞ぁたしのコト歌ってんじゃん!!」となる時がある。しかしコレについては多分、谷川俊太郎が表現したかった気もちでは無いだろう。一方的に僕から谷川俊太郎に歩み寄っているだけだ。谷川さんも「距離感近いな…」と思うだろう。




この気もちは何だろう、と思う時は他にもある。友達の結婚式だ。

30歳にもなると周りの多くが結婚する。友達の結婚は素直に祝福できて、式ではパチパチと心からの拍手をする。しかし、友達に対してどうこうでは無く自分に対して、沸々と焦燥感に駆られるのだ。心のゆとりが無い、という事かもしれない。考えても仕方のないことだけれど。

式場はとても晴れやかな雰囲気である。新郎新婦、その家族、友人、シェフやスタッフ。その空間をそっと、谷川俊太郎が横切るー


よろこびだ しかしかなしみでもある

ー谷川俊太郎「春に」

絶対にこの歌詞ぁたしのコト歌ってんじゃん!!
僕はこれを結婚式の谷川俊太郎現象と呼ぶことにする。僕はほとんど谷川さんに掴みかかっていた。(頭の中で)

「谷川さんも虚空を眺めてた事あるんですかっ!?」




ゆとりをもって生活したいものだ。
noteを書くとき、久しぶりに「春に」を聴いたけど、すごい良かった…合唱曲って良いよね。
「この気もちはなんだろう」の意味とか、正解は分からなかったが、今の自分にも共感するものがあった。良い詩と自分が思ったならそれでヨシ!

更に、谷川俊太郎にもう少し歩み寄ってみようかな、と思った。


そうして僕は、また距離を詰めたのだった…


続く

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