「 妖怪 」第1話
暗い道を歩いていた。
小高い丘の上にある動物園は、そのふもとから園の正面出入口まで、定期的に送迎バスを運行している。
無料バスなので、乗用車で来た客以外のほとんどの来園者がそのバスを利用していたが、車でしか来られないということではない。
道は別になるが、歩道が確保してあった。
園を出て左手すぐにバス乗り場がある。
そこを通り過ぎ、目立たない「至・駅」と書かれた立て札のある、林に続く道を行けばいいのだ。
言ってみれば登山道だが、ごく初級者向けということになるだろう。
緩やかな遊歩道だった。
動物園は夏の間、閉園時間を普段より遅く、夜の9時に設定していた。
子供とその保護者が主なターゲットだったが、若い者同士の客も増えた。
暗い道を歩いているのは、若い男女の二人連れだった。
動物園帰りの客だ。
最終の送迎バスに乗り遅れた訳ではない。
二人はバスに乗り込む客を横目に通り過ぎ、林の道に入った。
林はすぐに暗い森になった。
もともと小さな山なのだから森になっているのは当たり前だが、二人が思った以上にその道は暗かった。
月は出ているが、木が茂っているのであまり当てにはならなかった。
外灯はたっていたが、いかんせんその間隔が広すぎた。
恭子は心細げに時おり空を見上げる。
やっぱり、バスに乗れば良かった。
恭子がふっと息を吐いた音が聞こえたのか、男が言った。
「怖い?」
「え?ええ。何となく不気味ね」
「大丈夫だよ。俺がいるから」
そうかしら?
いざと言う時、あなたが役に立つ確率ったら、ゼロに近いんじゃない?
恭子はそんな気持ちを笑みに変え、別の言葉を口にする。
「そうね」
男は嬉しそうに笑った。
そして恭子の手に自分の手をからめてきた。
恭子はその感触が気に入らなかったので、手を離す。
代わりに腕を組んでやった。
男はどちらでも良かったようだ。
まだ笑っている。
「ねえ、今日楽しかった?」
「ええ、そうね」
「今度、またどこかに行こうよ。いいかい?」
恭子はしばらく返事をしなかった。
無視した訳じゃない。
風を感じていたのだ。
もしかしたら…。
と、思わせる風の匂いだった。
男が、恭子がつかまえている腕を二、三度振ったので、恭子はハッと我に返った。
「あ、ごめん。聞いてなかった」
「やだなぁ。もしかして、本当に怖いの?」
「ううん。大丈夫」
「そう。あのね、今度また、どこかに行こうよ」
「ああ、そうね」
「遊園地なんか好き?」
「んー、あんまり……」
雑草と石ころの感覚が足に伝わる。
山道は嫌いじゃない。
夜も別段怖くはない。
ただ、少し気になるだけだ。
風の匂いが。
ただ。
あなたと一緒に歩きたいと思うような道じゃないわね。
一人の方が良かったかも知れない。
「ふーん。ちょっと変わってるよね、恭子ちゃんって」
「うん。よく言われるわ」
「でも、そこが可愛いよ」
歯が浮きそうだ。
恭子は思いながら足を速める。
とりあえず、この道は早く抜けた方がいいような気がした。
森から抜けてふもとに付けば、すぐに電車の駅がある。
それに乗って、真っ直ぐ家に帰ろう。
さっさとね。
「なに?どうして急ぐの?」
「こんな道、早く抜けちゃいましょうよ」
「いいじゃないか。俺は結構楽しいよ。二人で夜の山の散歩なんてさ。俺とじゃ嫌なの?」
「ううん。私はいいんだけど」
「じゃあ、のんびり行こうよ」
顔はまあまあ。背も高い。
有名な大学の学生で、結構ぼんぼん。
ちょっと筋肉の付きが足りないし、コロンの趣味がイマイチだけど、見た目では合格点の方かも知れない。
だけど、最悪な事に、話が少しも面白くないのよ。
一番盛り上がる話題と言えばバカバカしい動画とタレントのことで、知っていても得になりそうにない内輪話を恭子に自慢げに聞かせるのだ。
恭子は適当に相槌を打ちながら、綱渡りをするオランウータンを眺めていた。
そちらの方がよほど興味深かった。
「やっぱり恭子ちゃんの言った通り、車で来なくて良かったな。だって、こんな風に二人で歩けるんだもんね」
「そうね」
男は調子に乗って、恭子の肩に手をまわした。
恭子の眉がピクリと動いたが、男には暗くて見えない。
恭子は文句を言わなかった。
ちょっと変わっている恭子だって、他人から悪い感情はもたれたくはないのだ。
ここで喧嘩でもしてしまえば、男は恭子を嫌な奴だと思うだろう。
アホな男からでも、そんな風に思われたくなかった。
できれば、最後まで可愛い女の子を装って、それで終わらせたい。
終わらせるのは簡単だ。
二度と連絡を取らなければ済む事だから。
だから、それまでは我慢しよう。
しばらく進むと、道が少し広くなった。
見ると、道の右側に原っぱのような空間が広がっている。
木がない分明るくなった。
月も星も綺麗に見えた。
よくよく見ると原っぱは、元は草のない庭だったのに、長い間放置されていたので雑草が茂ってしまった、と、訴えているような空間だった。
空間の奥にはコンクリートか石でできた建物がある。
壁が所々崩れた廃墟だった。
元は倉庫か、事務所か、その辺りだろう。
ふわりと、夜風が恭子の頬を撫でた。
「ねえ、あれ」
男が足を止め、廃墟を指差す。
「肝だめし、してみない?」
「え、や、やだよ」
「怖いの?大丈夫だって。ちょっと入って、すぐ出てこよう」
「じゃあ、入らないでいいじゃない」
「そう言わないでさ。夏なんだし、こういうの、面白いじゃないか」
男は、恭子の言う事を端から聞く気はないようだった。
恭子の両肩を挟んで、廃虚の方へ向かう。
「あなたは怖くないの?」
「平気さ。大丈夫、二人なら怖くないだろう?」
想像力ないの?
普通怖いよ。
男はやけに恭子に体を引っ付けてくる。
でも、怖いからという訳でないのは判った。
ちょっと変わってる私にもね。
廃墟に近付くと、窓と思われた所にガラスは入っていなかった。
全ての窓ガラスがことごとく割れて無くなっている。
かろうじて下側の桟にしがみ付くように、小さく尖ったガラスが残っている程度だ。
廃墟の中に入ると、割れたガラスがさらに靴で割られて、パリパリと音を立てた。
薄い氷のはった湖の上を歩いているようだと、恭子は思った。
何が起こるか判らないのに、この男はどうして平気でいられるのだろう。
「思ったほど暗くないかな?」
入ったすぐは確かに、外と同じくらいの暗さだ。
天井が壊れて星空が見える。
しかし、その奥の壁にある、次の部屋に続く扉のない開口部は真っ暗だった。
「ねえ、恭子ちゃん」
男は少し甘い声を出す。
そして、恭子を抱き寄せようとした。
「うわ、びっくりした」
「そんなにビクビクしないでよ。ねえ」
恭子の右手を左手で握り、恭子の髪を右手で撫でる。
「ねえ、恭子ちゃん。今日、楽しかったね」
「え、ああ、うん、まあ」
「なに、まだ怖がってるの?大丈夫だよ。ねえ、いい?変な事しないから、ね、キスだけ……」
男は身をかがめて、恭子の唇を求めてくる。
恭子は反射的に避けた。
男は悲しそうに装って、
恭子には判った。
こいつはいつも振りだけだ。
本当なんて何処にもない。
言った。
「恭子ちゃん」
恭子は見つめられ、頬を撫でられ、少しゾッとした。
男って、こういう時には恐怖も感じないものなのかしら?
感じない?この空気。
恭子は男の顔を見つめた。
何となく、目の前の男が哀れに思われた。
情欲で周囲が見えなくなっている、可哀相な人。
キスだけなら、してあげてもいいかしら。
恭子は目を閉じかけ、慌ててその目に力を入れる。
おっと、危ない。いかん、いかん。
男は、恭子の表情のわずかな動きにも鈍感なようだった。
男が唇だけで済ます気がないことは判っている。
恭子は首を横に振った。
それでやっと、男は恭子が嫌がっていることが判ったようだ。
それでも、男はまだ言う。
「駄目?キスもしてくれないの?」
「駄目だよ」
恭子が呟いたのを合図のように、男は力ずくで迫ってきた。
またもや反射的に恭子は動いた。
しかし、今度は避けるだけでなく、男を両手で突き飛ばしてしまった。
男は思いがけない力を受けて、無様に尻餅をついた。
あー、しまった。
恭子は心で呟き、口では「ご、ごめん」と、言った。
男はもう甘い声は出さなかった。
自分のみっともない姿が恥ずかしくなったのだ。
それをごまかす為に恭子を睨み、それは怒りに変わった。
男は立ち上がりざまに悪態をついた。
「チッ。なんだよ、下手に出てりゃ」
「ごめん……」
男は顔をしかめて、左手を数回、手首から振り回した。
床に手を着いた時に、ガラスで怪我をしたようだ。
「痛ってえな、もう!」
「ご、ごめん。驚いちゃって……」
恭子は可愛さをアピールしてみるが、もう駄目だった。
男は苛ついた目で恭子を睨む。
「なに気取ってんの?自分だって、その気があったからついてきたんだろ?今更なんなんだよ?」
恭子は後ずさる。
男に気おされた訳じゃない。
「ねえ、あの……」
「なんだよ?バカにしやがって!」
「あんまり、大きな声出さないで」
「はあ?何言ってんの?誰も来やしないよ。そうだよ、来る訳ないだろう」
この期に及んで、男は卑しい目つきを見せた。
その時、恭子の中で同情が消えた。
やっぱ、あんた、嫌いだわ。
「ねえ、私のこと、今日、誰かに話した?今日、私とここに来ること」
「話してないよ。誰にもね。お前が内緒だって言ったんだろう?」
口の隅に笑いを浮かべたまま、男は恭子にゆっくり近付いてくる。
恭子はそれに伴い後ろへ下がる。
男が怖い訳じゃない。
「ねえ、その気だったんだろう?」
「もう、駄目かも……」
「なに?何が駄目なの?」
男は嬉しそうに笑い、そしてその右肩に、グサリと何かが刺さった。
男は悲鳴を上げた。
その体が、何者かによって後ろへガクンと引かれる。
男は左手を恭子に向けて伸ばした。
「た、たすっ、」
「そう言われても、ねえ……」
男は肩だけでなく、腕も足も捕まえられた。
複数の何者かに。
そして奥の闇のドアへと引きずられる。
「うわ、わ、」
最後には髪もつかまれ、首がぐいと後ろにのけぞった。
表情はもう判らなくなった。
片足だけバタつかせている。
吸い込まれるように男は暗闇のドアに消えた。
一つ叫び声が聞こえた後、もう声は聞こえなかった。
ただバリバリという音と、水っぽい音が聞こえた。
恭子は片目を瞑り、口をゆがめた。
そして、肩をすくめて、建物を出た。
早く帰らなきゃ。
電車、何時があるかな?
まだ最終って時間じゃないよね。
草の茂みを黙々と歩く。
その恭子の目の前に、黒い影が舞い降りた。
恭子は驚いて立ち止まる。
バサバサという音をたて、影は地面に着地した。
カラスだった。
「あー、もう。びっくりするじゃない」
「よう。1人か?」
「うん」
「物騒だな。駅まで送っていくよ」
「本当?ありがとう」
恭子はカラスに肩に乗っていいよと勧めた。
カラスは「じゃあ」と言ってその肩に飛び乗った。
この方が話はしやすかった。
恭子とカラスは山の中の道を進む。
「爪、痛くないか?」
「うん。平気」
「そうか。なあ、あの男、誰だ?」
「んー、この間知り合った人」
「名前は?」
「名前?あー、…なんだっけ?あれ、忘れちゃった」
「あきれたな。その程度の男とデートするのか」
「仕方ないじゃない。しつこかったんだもん。それにね、世間は何かと面倒なものなのよ。若い女の子に男を押し付けようとする風潮があるの。私は達観してるんじゃないのよ。時代に融合して生きようとしてるの。まあ、とは言え最近は、昔よりうんざりする事が多いけどね。でも、私なりに世間と上手く付き合う努力をしてるのよ」
「ふん、バカバカしい。しかもあの様じゃねえか」
「本当。私、ばれないように帰んなきゃ。面倒はゴメンだもん」
「酷い奴だ」
「酷いのは向こうよ。同情の余地はないでしょ」
「まあな」
「あっ」
「なんだ?」
「ゴメン、やっぱりちょっと痛い」
恭子が言うと、カラスはすぐに空に飛んだ。
「怪我したか?」
「ううん、大丈夫。はい、ハンカチ当てたからいいよ」
「飛んでるよ」
「いいって。大声で話せないもん」
「そうか」
カラスは再び肩に戻る。
「ニュースになるかな?」
「見つかれば、なるだろう」
「でも、しばらく見つからなそうな場所だよね。あの建物って一体何なの?」
「昔のこの山の管理事務所だ。動物園ができてからは使われてないよ」
「そうなんだ」
「たまには見回りに来てるみたいだから、そのうち見つかるな」
「明日、髪形変えようっと。監視カメラとかに映ってたらやだし」
「切るのか?」
カラスは勿体ないと言いたげな目で、恭子の長い髪を見た。
「だって、面倒に巻き込まれたくないもん。それにしても、かなりの人数いたんじゃない?」
「4人と6匹ぐらいだよ」
「そう」
駅に近付くと、カラスは上空に飛び立った。
カラスは電車に乗るまで見ててやると言ってくれた。
恭子は動物園の名が付いているその駅から電車に乗り込み、真っ直ぐ家に帰った。
原口修は、天井に向かってうんと両手を伸ばし、深呼吸をした。
喫茶店でウェイターのアルバイトをしている。
その仕事中だ。
昼の混雑が過ぎた後で、客の数は少なかった。
そろそろ自分も昼御飯を食べようかなと思っていた。
そこへ、ドアを開け客が入ってくる。
「いらっしゃいませー」
修は言って、軽やかに身をひるがえし、その方へメニューを持って歩いていく。
客は若い女だった。
ショートボブの美人で、修の顔は自然にゆるむ。
しかし、テーブル席にすわった女の傍に来た時、修の顔から表情が消えた。
女も、真顔で修を見る。
それは少し驚いているような顔だった。
修の風体は、多少変わったところがある。
髪がとても長いのだ。
腰の辺りまでのストレートヘアだ。
可愛らしい顔をしているので、似合っていない事はないが、ちょっと見に、女の子と間違えられる事は度々あった。
しかし、女がその風体に驚いている訳ではないと、修にも判った。
女は気を取り直すように、にこりと笑って、口を開いた。
「私、沢村恭子。よろしく」
修は言葉が出てこなかった。
こんな事って……。
「判るんでしょう?でもビックリしたわ。こういう出会いって、あるのね」
「あ、あの…」
「あなたも始めてみたいね。でも、そんなに動揺してちゃ怪しまれるわよ。普通にしてなさいよ。ランチまだいいの?」
「は、はい」
「じゃあ、このサンドイッチのセットね。飲み物はホットコーヒー。大丈夫?OK?」
「は、はい。しばらくお待ちください」
美人相手におどおどして、大丈夫か?と、マスターにからかわれながら、修はランチの準備をする。
どうしよう。
あの女の人、恭子?どうして名乗るの?
そりゃあ、素通りにはできないけど、だからって、名乗ってどうなるの?
何を話すの?
何か話さなきゃいけないの?
でも、僕と同じなんだ。
何処まで同じか判らないけど、とりあえずは、同じ。
だからって、何を話すの?
修はトレーにランチセットを乗せて、再び恭子のもとに行く。
「お待たせしました」
「驚いてるのは判るけど、自然にしてなさいよ。とりあえず、話がしたいわ。いいでしょう?」
「で、でも…」
「とって食いやしないわよ。ここ何時に終わるの?」
「4時です」
「じゃあ、そのくらいに店の前で待ってるから」
「ぼ、僕は…」
「何か用がある?」
「い、いえ」
「じゃあ決まりよ」
恭子はそれきり修を見なかった。
持っていたタブレットに目を移し、華奢な指をかろやかに動かす。
修は断る事もできず、女のなすがままだった。
修が店を出てくると、恭子は通りの向こうから手を振った。
仕方なく、修は信号を渡って恭子のそばへ行く。
「裏口から逃げるかと思ったわよ、あんまり動揺してるから」
修は何も言わずに、歩き出した恭子に続く。
「名前なんていうの?」
「原口、修です」
「シュウ?」
「修学旅行の修です」
「ふうん。いくつ?」
「16です」
「それって、本当の年?」
「え?そうですけど」
「そう。ねえ、公園でも行きましょう」
恭子は修の手を握って歩き出した。
修は戸惑いながらも、抵抗せずに恭子について行く。
大型オフィスビルの裏手にある、大きな公園に修は連れて行かれた。
芝生の広場のところどころに石のベンチが設置されている。
平日なのでそんなに人は多くなかった。
恭子が木陰になっているベンチを見つけて、修をそこにすわらせた。
「おとなしいね、君」
修の横にすわりながら、恭子が言った。
修は恭子を見上げる。
「あの、何の用なんですか?」
「あら、冷たい」
「だ、だって、僕、何を話したらいいのか、さっぱり」
「せっかく仲間を見つけたんだもん。少しくらいお喋りしたくなるのが人情ってもんでしょう?」
「そ、それは、判りますけど……」
修は気持ちが落ち着かずに、自分の腕をさすったり、髪を触ったりしている。
それを見ていた恭子が言った。
「君、可愛いね」
修は驚いて恭子を見る。
何だこの人?
変な人なのかな。
「やだ、そんな顔しないでよ。思ったこと素直に言っただけじゃない。でも、ゴメン。気持ち悪かった?」
「い、いや、別に」
「本当に16才なんだね」
「お姉さんはいくつなんですか?」
「お、聞いたな。まあ、いいけど。そうね、一応は22才。見える?」
「女の人の年って、よく判りませんけど……見えるんじゃないですか」
「良かった。見たところ君、普通に暮らしてるみたいね」
「普通って、普通ですけど。あ、あの」
「何?」
「君って、なんか照れくさいんですけど……」
「あら、そう?じゃあ名前にする?修でいいの?じゃあ、私は恭子さんね」
「あ、はい」
「ねえ、君、あっ、修。修って、普段からおとなしいの?違うでしょう?」
「あ、はあ、その……。緊張してるんです。その、…初めてなんです」
恭子はクスクス笑って、ゴメンゴメンと、謝った。
修も、変な言いまわしだったかなと、少し恥ずかしくなる。
「私も、こんな偶然に仲間と遭遇するなんて初めてよ。親と暮らしてるの?」
「はい」
「学校は?」
「中学まで行ってました。1年間どうしようか悩んで、今年から定時制高校に行ってます」
「そう。学校なんて大変だったでしょう」
「ええ、まあ」
「それでも勉強するんだ。偉いね」
「僕、普通に暮らしたいんです」
「そうなんだ。私も、とりあえずは普通にしてるつもりなんだけどね。そうか、まだ16年なの。それで、親はどちらも御健在?」
修は言い淀んだ。
それを見て恭子が言う。
「知ったのは最近なの?」
「中一になった時に、言われました。でも、それまでも、なんか変だとは思ってたから」
「それほど驚かなかった?ふふ、そんな事はないわね。私たちみたいなのは、戸惑って当たり前よ。純正とは違うんだもん」
「やっぱり、恭子さんも」
「そうよ。まさか純血種には見えないでしょう?」
「はい。とても、人間らしいです」
恭子が苦笑いをしたので、修はまずいことを言ったかなと心配になった。
「私たちみたいなのは、それで喜んでいいのかしらね。ねえ、一緒に住んでるのはどっち?」
「父です」
「どっち?」
「あ……、あの、まともな人です」
「そう。うまくいってるの?」
「一応は。でも、近いうちに一人暮らしをしようと思っています」
「そうなの。そうよね、一人になりたい時ってあるものね」
「あ、あの、恭子さん」
「何?」
「恭子さんは、何、ですか?」
修は、恭子の機嫌を損ねないように気を使いながら、そう聞いた。
恭子は驚いたように、目を少し大きく開いた。
綺麗な人だなあ。
修はふっと、そんなことを思った。
修の気持ちは知らないまま、恭子は悲しそうに修を見つめる。
「あんた、自分のこと、何も知らないの?」
僕は、お母さんを知らない。
物心ついた時にはすでにいなかった。
父は、出て行ったということ以外、何も話してくれなかった。
僕の首の後ろにはどす黒いアザがある。黒に近い紫色のアザだ。
僕は小さい頃から髪を伸ばしてそれを隠していた。
髪が長い事ではいろいろ子供ながらに問題を抱えていたけれど、今ではそんな事はどうだっていい小さな事だ。
中学校に上がってしばらくして、父が神妙な顔で僕に事実を話した。
僕のお母さんは普通の人間ではなかった。
でも結局、父が言ったのはその程度。
母の正体は未だ判らずじまいだ。
僕が一番聞きたいことを、父は言ってくれない。
そして、この先も言う気がないのだろうと思う。
父は大事に僕を育ててくれた。
反抗もしたけれど、感謝もしている。
でも、もう二人きりで暮らすのは限界だ。
だって、父は人間で、僕はそうではないから。
自分が普通でない事は、うすうす感じていた。
僕は闇に異常に敏感で、何者かの匂いを感じるとる事ができた。
僕は人間でない者から、時々話しかけられていた。
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