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「 妖怪 」第5話

 車輌からホームに降りる。
 駅名は「みさき山動物園前」。

 動物園が休みなので、それを目的に降りる乗客はなかった。
 ただ、ここには動物園だけではなく、線路を挟んで山の反対側には小さな町があるので何人かの乗り降りは見られた。
 駅は、動物園が休園日の時は無人駅になるので、二人は他の乗客が駅からいなくなるまで缶ジュースを飲みながら、のんびりと時間をつぶした。

 それから修と恭子は手をつないで、動物園に続く遊歩道まで歩いてきた。
 しかし、その道の入口にあった「動物園行き散策コース」という看板には「本日休園日」の張り紙がしてあり、道をふさぐようにロープが横に張られている。
 ロープには「立ち入り禁止」の札もかけられていた。
 恭子が辺りを見回す。
「人はいないみたいね」
「僕、人の気配にはそれほど敏感じゃないんだ」
「あら、そうなの?」
 恭子は意外そうな顔をした。
 そして二人はロープをくぐり抜ける。

 歩き進むにつれ、修は二種類の匂いを感じ取っていた。
 修の表情がくもったのに気付いたのか、恭子が言う。
「もう判ったの?」
「うん。僕、人の気配は判らないけど、人の血の匂いは判るんだよ」
「あら」
「あのニュースの現場なんだね、ここ」
 園内の動物脱走の疑惑が持ち上がってから、動物園は1ヶ月間の休園を余儀なくされた。
 しかし事件の捜査と園側の調査も終わり、今では通常営業を再開している。
 この日が休みなのは、単に定休日だからだ。
 ただ、この遊歩道だけはいつ開通になるか判らない。

 修は不安になって恭子を見つめた。
「恭子さん、ここの妖怪とどういう関係なの?」
 恭子はふっと笑う。
「別に知り合いじゃないわよ」
「それならいいけど。だって、結局あれって、妖怪の仕業なんでしょう?」
「そうみたいね」
 恭子はまだ詳しい話をしてくれない。
 修が帰らないと言い張るので、仕方ないと、今日、ここに連れてこられた。
 自分が人間に襲われた場所だと言って。

 廃墟が見えてきた。
 匂いは強まる。
 時間が経っているとは言え、相当の量がしみ込んでいるのだろう。
 思わず目をつむりたくなる血の匂いだった。
 廃墟の前まで来ると、恭子が言った。
「大丈夫?」
「うん。妖怪たちの気配はないから平気だけど……」
 平気でもないけど。
「この山には住んでたみたいだね。結構、複数で」
「そうらしいわね。私は残り香までは判らないけど」
「そうなんだ。ねえ、あそこにカラスがいるよ」
「え?どこ?」
 修は廃墟の裏の森を指差した。
 一番高い木だった。
「天辺にいる。普通じゃないよ。こっち観察してるみたい。あっ、飛んだ」
 修が言った通り、木の一番上の枝から、一羽のカラスが夕暮れの空に飛び立った。
 恭子が「ああ」と、声をもらす。
「あれは知り合いよ」

 カラスは二人の上空を旋回しながら飛んでいる。
 鳴き声も聞こえる。
「あれ、妖怪なの?普通じゃない気はするけど、よく判らないよ」
「妖怪じゃないわ。半妖でもない。ちょっと変わってるだけ。他より少し長生きしてるの。でも、化ける素質はあるんでしょうね。名前もあるのよ。ランディー」
「言葉判るの?いい奴?」
「ええ、友達よ。出会ったのは10年くらい前かな。とは言っても、たまにしか会うことないけど」
 恭子が空を見上げたまま微笑んで、修の手を離したので、修は聞いた。
「どうしたの?」
「あいつ、私に惚れてるのよ」
「へっ?」
「妬いてるみたい、あんたと一緒だから」
 修が驚いて見上げると、カラスは一段と大きく旋回してから、森の奥へと飛んで姿を消してしまった。
「妬いてるってどういうこと?恭子さんはどうなの?」
「何が?」
「何がって、あのカラス」
「ランディー」
「そう、ランディーのこと好きなの?」
 恭子は肩をすくめた。
「好きよ」
 修は目を見張る。
 好き?
 好きだって?
「だから何よ」
「笑わないで」
「何よ、拗ねちゃって」
「ふん」
 修は恭子から肘で小突かれる。
「バカね。相手はカラスじゃない。好き同士だったとして、どうするって言うのよ?おかしな子ね」
「何だよ。僕だって嫉妬くらいするよ。相手が妖怪だろうがカラスだろうが」
「おバカさんね」
「ふん」
 修はずかずかと歩いて、一人で廃墟の中に入った。
 後ろから恭子が付いてくる。
 くすくす笑っているのが判る。
 ふんだ。
 子供扱いするんだから。

 しかし、一歩建物の中に入ると、そんな子供じみた思いもかき消された。
 思わず仰け反る。
 恭子がその修の背中にそっと手を当てた。
「大丈夫?」
「う、うん。……強烈…。ここ、掃除したのかな」
「さあ、どうかしらね」
 恭子が修の前に出て、奥へ歩き出した。
 修は慌てて横に並ぶ。
「危ないよ」
 建物の中は天井が壊れていたので明るかった。
 コンクリートの残骸と割れたガラスが床に散らばっている。
 ただ、奥にある部屋は薄暗かった。
 手前の部屋よりも片付いているが、修はむせて咳き込んだ。
「酷い、ここ」
「掃除してあるみたいよ。床も水で洗い流してある」
「匂いはそんな簡単に消えないよ」
「そうね。私にも判るわ」
「あんまり日も当たらないから余計だね。それで?どういう事なの?ここが現場なんでしょう」
「そうよ」
「どうして?どうして恭子さんが知ってるの?」
「死んだ男を知ってるから。ま、知ってるって程知らないけど。とりあえず出ましょうか。居心地いいとこじゃないし。近くにはいないんでしょう?」
「うん」
 二人は外に出た。
 建物から離れ、遊歩道に戻る。
 修は小石のごろごろ転がる道端にすわった。
 恭子はどうしようか迷っていたが、結局、修の隣に腰を下ろす。
「一緒に動物園に行ったの。知り合いの知り合いって感じかしら。しつこく誘われたから」
「デートなの?」
「そうなるわね。それで、帰り道にこの道を通って、その男が肝だめしだって、この建物に入ったの」
「肝だめし?それで、恭子さんついてったの?」
「私だって嫌だったけど、いそうな気はしてたから。でも成り行きよ。あんな事になるとまでは、思ってなかった」
「喰われたんだね」
「そう。私は半端者よ。そうなれば手出しできないわ。ただ、あの部屋で死んだのを、わざわざ外に出した意味が判らなかったの。建物の中に死体があれば、もう少し発見が早かったかも知れないでしょう?腐敗臭なんかで。それが気になって、この間、一人で発見場所に行ってみたの。建物の裏側だけど、もっと森の奥の方よ」
「だから僕を家に帰したんだ」
「それもあるけど、そればかりじゃないわよ。いいでしょう、もうそれは」
 恭子から軽く睨まれる。
「うん。ごめん」
「しばらく現場を見ていたら、人の気配に気付いたの。血の匂いに紛れていたから気付くのが遅くて、すぐ近くにいたわ。若い男よ。私をおびき出すためにそいつが死体を動かしたのよ。少し話をしたわ。でも私が化け物だと判ると、急に襲いかかってきた。変な道具を持ってたわね。普通のナイフなんかじゃなくて、アイスピックが大きくなったような奴よ。そいつには、それが扱いやすいんでしょうね」
「妖怪だから襲ってきたの?」
「そうよ。それが理由。妖怪退治が仕事みたいなこと言ってたわ」


 動物園の職員の一人が、旧管理事務所の見回りに来た。
 職員はその中で何ものかに喰われて死んでいる男を発見した。
 初め、普通の動物に喰われたのかと考えたが、しばらくして考え直す。
 その職員は以前にも山の中で、不穏な何ものかを目撃した事があったからだ。
 職員は園に報告する前に知り合いだった寺の僧侶に相談した。
 僧侶はすぐに、ある男を送り込んだ。
 職員と男は死体を調べ、園内の監視カメラの映像を調べ、死んだ男が女と二人で動物園に来ていた事をつきとめる。
 男は職員に警察に連絡をするよう指示を出し、自分は女を試すために死体を移動させた。
「恭子さんはそいつの思惑にはまってしまったんだね」
「そういう事。だって、妖怪退治屋がいるなんて思わなかったんだもの。それもあんな、気障な雰囲気の」
 恭子は言いながら立ち上がった。

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