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「 妖怪 」第2話

 それから、喫茶店に恭子が時々顔を見せるようになった。
 恭子が一緒に暮らさないかと言ってきたのは、確か3度目の事だ。
 その時、修は笑って断った。
 まるで冗談にしか聞こえなかったのだ。

 しかし、7度目にやってきた時、それが冗談ではないと判った。
「本気なんですか?」
「当たり前よ。私ちょうど引越しを考えてたところだったのよ。あなたが乗り気じゃないから、この間、自分で部屋を決めてもう引越しちゃったの。でも、気が変われば家に来なさいよ。あなたの部屋も一応、確保してるんだから。結構広いマンションよ」
「で、でも、そんな」
「深く考えなくてもいいわ。単なる同居なんだから。お互い、その方がいいんじゃないかしら?淋しくないし。困った時は相談もできるじゃない?」
「そうだけど、でも」
「何?生理的な問題?私とは上手くやってけなさそう?」
「そんな事はないです。でも、恭子さんはいいんですか、それで。僕、一応男なんですけど」
 恭子はフフフと笑う。
「あんたなんか、私から見たら、赤ちゃんみたいなものよ。私の方は心配いらない。て言うか、心配してない。とりあえず、いつでも来たくなったら転がり込んできなさい。私たちみたいな半端者が巡り会うなんて、多分、滅多にないことなんだから」

 確かに僕は、「半端者」と出会ったのは初めてだ。
 修はその翌週、恭子のマンションに移り住んだ。


 修は同居を始めて3ヶ月程経っても、恭子が何をして収入を得ているのか判らなかった。
 仕事は何かと聞いても、笑ってはぐらかされた。
 
 恭子はよく、夜遅く帰ってくる。
 修が定時制高校から帰ってきても、まだ帰っていないということが度々あった。
 そして大抵、そんな時は、恭子はお酒に酔っている。
「たっだいまー」
 恭子が、ドアを開けた修にもたれかかりながらそう言った。
「また飲んでる」
「いいじゃん。たまには」
「たまにじゃないよ」
 修は恭子の体を支えながらドアに鍵をかけ、恭子をリビングまで歩かせる。
 ソファーにすわった恭子は言った。
「家に帰ってきた時に、迎えてくれる人がいるっていいよねぇ」
 修は肩をすくめキッチンに入った。
 コップにミネラルウォーターを注いで、恭子の隣に戻ってくる。
 すわってそのコップを渡しながら言った。
「僕もたまにはそんな事を言ってみたいよ」
「なあに?」
「僕が帰ってきた時には、いつも恭子さんはいないじゃないか」
「あらー、可愛い。淋しいの?」
「当たり前だろう。淋しくないように一緒に住むんじゃなかったの?」
「そっか。ごめんね」
 恭子は珍しくしゅんとなって、コップの水を少しずつ飲んだ。
「別に怒って言ったんじゃないよ?」
「うん。判ってる」
「仕事だったの?」
「あー、なんか、こないだから気にしてるみたいね、それ」
「だって、僕のお金使ってないじゃないか」
 初めに修が生活費を出すと言った時、恭子はいらないと言った。
 それでも修は自分で金額を決めて、毎月恭子に手渡している。
 しかし、恭子はそれを使おうとはしないので、タンスの引き出しにその金が貯まっているのだ。
「修は学校でお金いるでしょう」
「学費は父さんが払ってくれてるよ」
「あ、そっか」
「ねえ、どんな仕事してるの?」
「バカねえ、心配しなくていいのに」
「心配だよ」
「私、お金持ちなのよ。仕事なんかしなくても、当分暮していけるの」
「本当に?」
「ええ。だから心配しないで」
「なんかそれって、余計心配だな」
「そうねえ。判った。じゃあ、何か仕事探そうかしら。ここの所つまらない生活してたから、修に合わせてまともな生活を送るのもいいかもしれないわね」
「どういう事?つまらない生活って」
 恭子はフフフと笑って、コップをテーブルに置いた。
「いろいろあるのよ。16才のあんたには、まだピンとこないだろうけど、そのうち嫌でも判ってくるわ。まあ、今はのんびりしていなさい。じゃ、おやすみ」
 恭子は修の頬にキスをして、バスルームに向かった。
 修は頬を手でそっと押さえる。
 恭子はよく、こんな風に軽く修にキスをする。
 いつも、とても自然な雰囲気でそうするので、こちらが驚く間もないのだが、こんなキスをされるのは修にとっては初めてのことだった。
 よくよく考えれば、奇妙だ。
 修はたまにそう思う。
 
 修は自分の仕事が終わった後、恭子がアルバイトを始めた雑貨屋に立ち寄った。
 それは修の喫茶店からさほど遠くない場所にあった。
 若者向けの洋品店や美容室の多い街の一角だ。
「恭子さん」
 商品のディスプレイを整えていた恭子が、驚いて修を振り返った。
「どうしたの?」
「ちゃんと働いてるか見に来たんだよ」
「まあ、生意気ね」
 恭子はコツンと、修の頭を指で小突いた。
「楽しい?」
「うん。久しぶりに働くのもいいみたいよ」
「良かった」
 修は近くにあった商品のアクセサリーを、何気なく手にとって見る。
 その辺りにはビーズや天然石で作られたアクセサリーがあった。
 店内には他にもバッグや帽子、文房具なども置かれている。
「これから学校?」
「うん、もう少し時間があるんだ」
「一回家に帰るなら、冷蔵庫にポテトサラダ入れてるから食べていいよ」
「ありがとう。あ、夜、先に寝てていいからね」
「うん。多分起きてるけど」
 その二人のもとに、他の店員が近付いてきた。
 左胸に付いている名札には『紺野』とある。
「なーに?恭子ちゃんの彼?」
「そうだよ」
 恭子が躊躇なく言った。
 修は笑って、弁解もしなかった。
「うそー?本当は弟クンかと思ったのに。本当に彼なの?」
 紺野は目を丸くして修を見た。
 修は何も言わず、微笑むだけにとどめた。
 恭子がこの店にどういう履歴書を出しているのか知らなかったし、そもそも恭子のいう事にはおとなしく従うつもりでいるのだ。
「可愛いでしょう?」
「いくつなの?」
「秘密」
「やだー、恭子、犯罪よーっ!」
 紺野は大袈裟に顔をしかめ、恭子の腕をつかんで振り回す。
 修はそれを見てほっとした。
 もしかしたら恭子は、普通の人間たちと上手く付き合えないのではないかと心配していたのだ。
 でも、今こうやって、普通の女の子と冗談を言い合って笑っている。
 この様子なら、お互いに普通に暮していく事ができるんじゃないかな。
 しばらく恭子と雑談を交わしていた紺野は、ふと思い出したように言った。
「そういえばお昼のニュースでさ、怖いのやってたよ」
「何?」
「ミサキ山動物園の近くで若い男の人の死体が発見されたんだって」
「へえ。動物園の近くで」
「動物園に行く遊歩道の途中に使われてない建物があって、その裏手から半分白骨化した遺体が発見、って言ってたわよ。それがさ、何かに食べられたような痕があってね、だから動物園の動物との関連がないかって調べてるらしいの。怖いよねー。ライオンが逃げてたりしたらどうしよう」
 修は驚いて聞いた。
「いなくなった動物がいるんですか?」
「うーん、動物園側からは、行方不明の動物はいないって発表があってるけど、判らないじゃない?隠してるのかも」
「えー?もしそうだったら隠さないよ、いくらなんでも」
「そうかなあ?そうよねえ。でも、怖いなー」
「確かに、怖いですね。動物園は営業してるんですか?」
「念のために数日間休園するらしいよ」
「そうなの。ふうん。ねえ、修。そろそろ行ったら?」
「あ、そうだね。じゃあ」
「じゃあ、気をつけてね」
「うん」
 楽しそうに手を振る紺野に、修ははにかんで手を振り返した。
 しかし、恭子の表情に少しかげりが見えたことが気にかかった。

 夜中に帰宅すると、恭子は言っていた通り起きていた。
「何か食べる?」
「ううん。友達が持ってきてたお菓子とか食べちゃったから」
「そっか。じゃあ、飲まない?」
「やだな、僕、未成年だよ」
「化け物に成年も未成年もないわよ」
 修は声をつまらせ、恭子を見つめた。
 恭子はその視線を正面から見返していたが、ややして瞳がたじろいだ。
 そして、そっと修の髪を撫で、その頬に手をあてると、修の唇にキスをした。
 修は目を閉じたまま動かなかった。
 恭子は唇を離し、修を抱きしめる。
「ゴメンね」
 修の目からこぼれた涙が、恭子の肩に落ちる。
「あんたは化け物なんかじゃないわ」
 しばらくして、修は恭子から体を離した。
 恭子が言った。
「アイスコーヒー作ったげる。それ飲んで、シャワー浴びなさい」
「うん」
 修は言われた通りにする。

 恭子の作ってくれるものは何でも美味しかった。
 インスタントのアイスコーヒーでさえ美味しい。
 ホットの場合は砂糖もミルクも入れないが、アイスコーヒーには蜂蜜を入れてくれる。
 修が初めにそうしてくれるように言ったからだ。
 恭子は修が一度言った事は忘れない。
 そして大抵の場合、きちんと実行してくれる。
 だから修も恭子に逆らわない。

 言われた通り、一休みした後シャワーを浴びる。
 その途中、背後でバスルームの扉が開いた。
 修は顔だけ後ろに向ける。
 恭子がこちらを見つめている。
「どうしたの?」
 修は努めて落ち着いた声を出した。
「本当に自分が何か判らないの?」
「……うん」
 恭子がこちらに歩いてきた。
 ひたひたという足音。
 修は顔を前に戻して、シャワーを止める。
 恭子が濡れては困ると思った。

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