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家中の時計をなくしたらHAPPYになった話

あなたの家に時計は何個ありますか?
壁掛け時計、置時計、家電に付いてるデジタル時計、携帯の時計...あらゆるところに時計があるのではないでしょうか?私の実家では、トイレにまで時計を置いていますね…

我が家は時計は2個です。私の携帯に付いてる時計と、夫のスマホの時計の2つのみ。不便かと思いきや、とっても楽で、時間が増えたのです。

夫のパンチで閃いた!

以前は、携帯の時計以外に、掛け時計が2つあったように記憶してます。リビングと夫の部屋に1つずつ。でも以前、子どもが生まれててんやわんやしてた時に、掛け時計に溜まった埃を誰が掃除するかで夫とケンカに。「嫌ならしなきゃいいじゃん」という夫の一言に、私はヒートアップしながらも、「そうか、なくせばいいのか」と冷静にとらえる自分もいて、それ以降、時計も、そして、それを掃除するという手間も手放したのでした。

その日を境に、壁に掛けているものや置物など、埃がたまるもの姿を消しました。なくても生活に特に支障がでるものはありませんでした。カレンダー、額縁、置物、飾り、カーテンなど、ないほうがスッキリして精神的にも楽な気がします。(カーテンは、目隠しの用途でリビングのカーテンだけは残しています。)カレンダーにいたっては、なくして気づいたのですが、カレンダーを毎年買い換えるという手間とお金もサヨナラできました。

ちなみに、私はハウスダストのアレルギーを持っているので、アレルギー症状の緩和にもつながるかなと感じています。掛け時計や置物をなくしたからといって、埃がなくなるわけではないのですが、自ら埃に近づくことはなくなりましたし、掃除をしながら埃をかぶるということもないので、気持ち的に楽に感じます。

「名もない家事」とはよく言いますが、埃を拭くことはひとつのれっきとした家事であり、たしかに私の時間を奪っていたようです。ついでにお金も。これしきのことと思うかもしれないが、やめてみて初めて負担の大きさを知るものかもしれないです。何より「掃除をしないと...」と思いながら、重い腰が上がらない状況に悶々とするストレスはなくなったわけです。

野生の感覚を取り戻した私

時計がないとどういう生活になるか?もう、自然のままに、気の赴くままに生活するようになりました。朝は外の明るさで目が覚めるので、どれぐらい明るいかで大体何時ごろか分かるという、新たなスキルも習得したのです。起きてからも時計を見ることなく、朝の支度。毎朝、ご飯を用意して、子ども達の支度をしてと同じことしかしないので、すべての支度が終わったら〇時ぐらいと、感覚で時間が分かります。とはいえ、仕事や保育園の時間があるので、この時間を過ぎてはいけないという時間にアラームを設定するようにはしています。アラームの時間に間に合わなかったことはないですが…

仕事をしている間はさすがに時計は見ますが、保育園にお迎えにいって帰ってからは、時計なし生活に戻ります。夕飯を食べて、お風呂、洗濯、明日の準備などルーティンが終われば、大体〇時ぐらいと分かります。あとは、何時だろうが、眠かったり疲れてきたら寝ます。そして、また外が明るくなってきた頃に自然と目が覚める…といった具合です。野生の感覚がどんどん取り戻されていく感じがします。

結論、時計は「時間を奪う道具」だった

こんな生活は、多分自分が赤ちゃんや小さい子どもだった頃以来ですよね。でも、それが人間の本来あるべき姿なのかもしれません。

今までは、やることが分単位で決まっていたり、いつも時計を見ながら時間に追われていて、時間が飛ぶように過ぎていました。昨日産まれたと思ったのに、気づいたら30歳半ばです。仕事に、家事に、育児に、趣味に…そんなに欲張ってがんばって、私は何を得てきたのでしょう?

「時間(時計)」を手放したら、時間をコントロールできるようになったこの感覚。なんとも不思議です。


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