能登半島地震 1月1日
16時06分
慌てて外に飛び出した。辺りを見回すが通りには誰もいない。大きな地震があると、皆んな外に飛び出して来るはずなのに、その日は誰も出てこない。お正月だから初詣にでも行っているのだろうか。
しばらく様子を見ていたが、もう大丈夫だろうと判断し、話し込んでいる夫と息子を残し家にもどった。
16時10分
家の中は物が何個か落ちていて、それを拾い上げた瞬間だった。かたっ。何かが動いた音が聞こえた後から数秒の記憶は無い。気づいたら、道路の端にしゃがみ込み、大きく揺れる電柱と電線を見ていた。
「おかん、危ないから早くこっちに来て」
ものすごい音に混じり、息子の叫び声が聞こえたが、立ち上がることもできなかった。
いつもと違うことに気づいた瞬間
長い長い揺れがようやく終わった。
まだ心臓のバクバクは止まらない。辺りを見回すと、近所のAさん宅の一階がなくなっていた。心臓のバクバクは更に強くなる。何度もAさんの名前を呼んだが返事は無かった。
目の前で人が生き埋めになっているかもしれない。今回の地震がいつもと違うことに気づいた瞬間だった。
津波警報がでて
「津波が来る、早く逃げんと」誰かの声が聞こえた。東北の津波の映像が頭をよぎる。
死ぬかもしれない恐怖とAさんを置いて逃げなければならない罪悪感でいっばいになりながら、私は逃げた。
避難経路が・・・
避難所まで一番近い道は建物が倒壊し塞がれていた。もう一つの道は・・・。ダメだ。そちら側からたくさんの人達がこちらに向かって来る。おそらく、あっちも塞がれているのだろう。
残すは海側の道。もっとダメだ。震源によっては、あっという間に津波が到達すると言われていて危険すぎる。しかし、もう時間がない。
「ここを進もう」息子が瓦礫を指差した。
瓦礫の中を
倒壊しているのは道の片側の建物だけ。向かい合わせの建物の前は比較的瓦礫が少ない。そこを通ろうというのだ。余震がきたら瓦礫や他の建物が崩れるおそれがあるが、もう私達には選択の余地はない。ゆっくりと、それでも急ぎながら瓦礫の中を進んでいった。思った以上に倒壊した建物が多かったが、なんとか先に進めそうだった。
夫の姿見えない
少し安心したところで新たな問題が発生した。一緒にいたはずの夫の姿が見えない。息子は探しに戻るといってきかない。先に避難所に行けと言われたが、そんな事できるはずがない。結局、私も息子の後に続いて元の道を戻った。
夫は恐怖で動けなくなった近所の人の手を引いていた。夫が無事で安堵する。
避難所へ
その後4人で避難所へ向かった。瓦礫ばかりの道を抜けて、ようやく大通りに出られた。たくさんの人と車が高台に逃げようと押し寄せていた。倒れた塀を避けるため車道にはみ出して歩く人達。道路の陥没や隆起をさけるため右に左にハンドルをきる車。まだまだ安心はできない。瓦礫と車に気をつけながら、ようやく避難所に辿り着いたのだった。
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