ONE PIECE FILM REDが批判されているのはなぜか

ONE PIECEの映画「ONE PIECE FILM RED」が現在公開されています。
Adoさんを歌唱キャストに据え、あのシャンクスも登場するということで、公開前から相当に界隈は盛り上がっているように思えました。
しかしいざ公開された今(これを書き始めたのは公開一週間ほど経った頃です)、評価は賛否両論といったところ。レビューサイト「映画.com」では前評判からするとあまりに低い3.0点、Twitterで「RED」と入れるとサジェストに「ひどい」と出てくるありさまです。

内情としては、ONE PIECE自体をあまり知らない人・Adoさんファンは「素晴らしい」と言っている人が多い一方で、ONE PIECE本編・映画を前から見ていた人は酷評しているという印象でした。
私自身かなり昔からONE PIECEを追っていたファンで、公開前はそれなりに楽しみにしていましたが、今はどちらかというと否定的な意見を持つ一人です。私の周りにも、少なくとも100巻以上読んでいる人で賞賛している人はいません。

楽しんでいる人に文句は一切ありません。ですが、評価の内訳がこのようになっていることには理由を考える価値があると思います。「ONE PIECE本編の」ファンの一人として、そしてお金を払って「商品」を買っている私たちがどこに不満を覚えているのかということはせめて公式にも分析してほしいです。

そのためこの記事では、私が実際に見た時に感じたものとレビューサイトにあったもので共通している意見を取り上げ、「どこで・なぜそのように感じるのか」ということを考えてみたいと思います。
ここまでの前置きでもわかると思いますが、全体を通して批判的な意見が多いです。REDを面白いと思っていて、否定意見なんてあり得ない!と思われる方はご覧にならない方が良いです。私の主観的な記述がどうしても多くなることもご理解ください。
またなるべく自分の言葉で語るようにはしていますが、様々な感想を見させていただいているため、表現が他の方の感想と似ていることもあるかもしれません。コピペなどは一切しておりませんので、ご理解いただけると幸いです。

1.全体の感想


全体の感想としては、「面白くないわけじゃない」という感じです。
起承転結はわりとしっかりしているし、よく言われている通り戦闘シーンは作画も良くて格好いい。
何よりも歌は素晴らしかったです。

ですがこの映画は「ONE PIECE FILM RED」ではありませんでした。

どう考えても、相応しいタイトルは「FILM UTA」です。

2.原作キャラの活躍が少ない


恐らく、原作ファンが批判している理由の大部分はこれでしょう。
「ONE PIECE」の映画を見に行ったのに、「ONE PIECE」のキャラが全然活躍しないんです。

麦わらの一味は、ルフィ以外はもう一人5分映ったかもわからないです。ゾロやサンジでさえ2つ3つ技を打ったかどうかですし、ジンベエなんて映画初登場なのに台詞はほぼなし。ナミに至っては一回しか名前つきの技を打っていないと思います。フランキーは「スーパーすまねえ…」という台詞がかわいかった以外記憶がないです。
しかも今回のテーマは「音楽」なのに、麦わらの一味の音楽家ブルックは何もなし。
ルフィだって歌や音楽が大好きで、田中真弓さんもとても歌がお上手なはずなのに、「音楽」的な活躍要素は一切ありませんでした。
まあ「音楽」的活躍に関しては私が期待しすぎただけなのですが。

またシャンクス率いる赤髪海賊団も登場はしましたが、あれだけ「赤髪が導く終焉(フィナーレ)」と銘打ってメインビジュアルにもでかでかと描かれていながら、活躍したのは最終盤のバトルシーンだけ。確かに格好よくはありますが、シャンクスというONE PIECEにおける最強の切り札を切って期待させておいてこの量では正直肩透かし感が否めません。

そしてビッグマム海賊団に関しては、登場させる意味あった?というレベルです。
人気の高いカタクリはほんのちょっと戦闘しただけ、オーブンは強い海賊である四皇の幹部だというのにウタに軽くあしらわれる、そしてブリュレも民間人の避難誘導という活躍はありましたが、能力を便利に使われているだけで正直いなくても成り立つ。前情報で「あのカタクリも登場!」と画像つきでまで煽っていたのは何だったのでしょう。

さらにロー&ベポ、CP9は能力が都合が良いから呼んだとしか思えません。ベポをギャグキャラとして出してローを随伴させるにしても、ハートの海賊団の他のクルーたちは何をしているのでしょう? その上ベポは大した意味もなくちっちゃくされ、ローもローでシャンブルズやってるだけなので余計「都合良いから」以外の存在意義もその場にいる理由もありません。イケメンだから客寄せパンダにしたかったんでしょうか?
CP9もそうです。ブルーノは能力を使うだけ使って邪魔になったらミニキャラ化、カリファは明らかに歌が聴こえているだろうに平然としている、ルッチは冷徹なのがウリのキャラなのに二言三言焦った台詞を状況説明のために言わされただけ。SWORDのコビー&ヘルメッポも、衣装は格好良かったですが説明だけで彼らの活躍する余地はありませんでした。

これって何の映画ですか?ONE PIECEのキャラが全員モブキャラレベルの活躍ですけど、ONE PIECEの映画なんですよね?これがONE PIECEの名前を冠する必要がどこにあるんですか?

3.ウタの描き方


そして、上記のように原作キャラが割を食っている理由が「ウタ」です。

まず、作中でウタは7曲も歌います。楽曲自体はとても良いし、Adoさんもお上手なのですが、正直多すぎ・長すぎの感じは否めません。ウタが歌っている最中はほとんど映像もウタになるため(「ウタのミュージックビデオ)と言われている所以だと思います)その間はストーリーもほぼ進まず、そのために麦わらの一味が活躍したりウタのキャラクターを掘り下げたりする余地が時間的に無くなっています。
私はONE PIECEをほぼ知らない友人(以下Sとします)と一緒に見に行ったのですが、そんなSでさえ「え、歌多すぎない?」と言っていました。
主題歌の「新時代」とエンディングくらいはフルであっても良いと思いますが、他の曲は例えばBGMとして流して台詞を被せるなどして、もう少しストーリーを丁寧に進め掘り下げることもできたのではないでしょうか。
特にウタはこの映画で初登場なのですから、もっと普段からの人となりや考えていることなどきちんと見せてほしかったです。
曲自体はとても素晴らしいのですが。

また原作キャラがとにかくウタの踏み台にしかなっていないので、原作ファンからすればとにかく不快でした。
例えば四皇幹部オーブンは先にも書いた通りものの数秒でウタに敗北。
ルフィたちも「海の5番目の皇帝」と作中で言われている時点の話なのに(「シャンクスの娘」とカミングアウトするシーンでそう呼ばれていました)ウタにさっさと拘束されます。
バルトロメオのバリアはものすごく強い「キングパンチ」という技も単体で防ぎきるような強力な能力なのに、これもウタに破られてしまいます。

ウタってそんなに強いんですか?ウタの作り出した「ウタウタ」の世界の中とはいえ、今まで強いという描写をされてきた原作キャラたちにこんなに簡単に勝つのは納得できません。というかそんなに強いなら普通に四皇や黒ひげのところに殴り込んで大海賊時代終わらせられそうじゃないですか。「歌」にこだわる理由がありません。
それに、ONE PIECEのバトルの面白いところは「一見役に立たなそうな能力や、果ては無能力者でも、訓練や力の使いよう次第で強くなれる」というところだと思います。ルフィ自身がそうですが、「ゴム」なんて変な能力でもそれを応用することで色々な技ができるようになっているんですね。
ですがウタは特別な訓練を積んだわけでもなく、ただ悪魔の実の力で無双するだけ。面白みも強さに納得できる要素もありません。はいはい私は最強。

そして全体的に「ウタを悪者にしたくない」「ウタは悪くない」という制作側の思惑をひしひしと感じました。

作中で、ウタは「自らの作り出した幸せなウタウタの世界に人々を閉じ込め、自らが死ぬことで閉じ込めた全員を道連れにし永遠の夢を見せる」という思想をあらわにします。
確かに「苦しんでいる人々を救いたい」という思いは立派だと思います。しかし実際として彼女がやっていることは平たく言えば「大量殺人未遂」になってしまっていますし、結局作中での立ち位置は「ルフィたちの前に立ち塞がる敵」ポジションなので、手放しで「善人、よい子」とは言えない、という結構センシティブなキャラです。

しかし、作中でのウタの扱いはなぜか「悲劇のヒロイン」「みんなのためを思って行動した正義の女の子」。多くの人々を殺そうとしたのに、「理由があるから仕方ない」「こんな悲しい過去があるから仕方ない」「ファンのためを思ってやったことだから仕方ない」「さあ、ウタを助けてあげよう!」と持ち上げられるために、正直こちらとしては「だからって人を殺そうとしても許されるわけなくない?そんな庇われるような『よい子』だったっけ?」と(制作側ともキャラクターたちとも)倫理観の乖離を感じますし、「悪いこと」をしているのにルフィから攻撃されないのも解せなくなってきます。

また、ウタに矛先を向けないために海軍が悪どく描かれていることもその解せなさを助長します。
黄猿の台詞に「おかしいねェ〜、市民を守るはずの海軍が市民を攻撃して、海賊が市民を守るなんてねェ〜」というような台詞がありました(正確でなくてすみません)。
結構説明くさい台詞だと思うのですが、私はこの台詞で「ああ、海軍が悪いってことにしたいんだな」と感じてしまいました。

確かに現海軍は、正義のためには手段を選ばない赤犬がトップになって非情ともいえる側面が強いとは思います。
とはいえ、全世界の7割(さらに広がる可能性あり)を襲う人為的な災害を止めるためだとすれば市民を攻撃するのも納得できなくはないです(正しいとも思いませんが)。てかそれって四皇や白ひげよりヤバいことやってませんか?
それなのに、やむを得ず攻撃をしてきた海軍を「見境のない殺戮集団」扱い。その上ウタ自らが操るファンが海軍に撃たれるのですが、彼女は「なんてひどいことをするの!?」と怒り始めました。

あなたが操ってるから撃たれたんですが!?!?!?!?

正直笑っちゃいました。いや自分棚に上げて何様?自分は良いけど海軍がやったら悪いということでしょうか。というかそもそもその人を殺そうとしてるのがあなたじゃん…。中盤では「死ってなに?大事なのは心でしょ?」などと独自の信念を持つ悪役的なことを言うわりに、終盤で「死にたくない」と否定されると「だってみんなが言うからあたしはやったのに!!」と逆ギレを始めるなど、とにかく身勝手で自分中心な上首尾も一貫していません。

例えばこれが「自分は悪だと理解しつつも信念に従って突き進む」と理想を貫かせていればダークヒーローっぽく格好いい・納得できるキャラになったでしょうし、逆にかわいそうなヒロイン扱いしたいなら「真の黒幕に操られており、ルフィたちが助ける」キャラにするなど、綻びの出ない描き方はもっとあったのではないかと思います。
製作陣の方々は皆ウタちゃんが大好きだそうですが、だからといってあれ(ヴィラン)もそれ(ヒロイン)も!と人気の要素をとりあえず持たせてメアリー・スーにするのはいただけません。それが原作に既存のものの立場を奪っているならなおさらです。台詞が全体的に説明くさいのも相まって、ウタちゃんはみんなのためを思ってやっただけ😢ウタちゃんわるくないもんかわいそうなんだもんわるいのは海軍😢という方向性が透けて見えて気分が悪くなりました。どうして原作にあるものが、オリジナルキャラを良く見せるための踏み台にされなきゃならないのでしょう。しかも悪行を「理由があるから、悲しい過去があるから仕方ない!」で許すなら他の悪役だって許されることになりますし。ドフラミンゴ悪くないですよねその理屈なら。

そしてウタワールドが消滅したあと、ウタは「あたしがみんなを助けなきゃ…!」と最後の歌を歌い始めるのですが、もう失笑ものでした。助けるも何も、あなたが加害したんだからその治療の責任を負うのは当たり前じゃないですか?
人々を傷つけたのは徹頭徹尾ウタ本人です。それなのになぜ「皆を救う優しい天使」みたいな扱いなんでしょう?自分で傷つけて自分で救う。マッチポンプみたいなものです。なんで「よくがんばったね…🥺」「やさしい🥺」みたいなテンション感なんですか?自分の行動の責任くらい自分で取ってください。治療を受け入れず死んでいったのももう意味不明です。責任を感じているなら逃げるな。自分だけさっさと重荷から解放されるな。あなた、自分のせいで傷つけたファンに謝罪しましたっけ?

しかもエンディングではあれだけのことを引き起こしたわりにまだみんなのアイドルとして愛されているような描写が出てきて、全く腑に落ちませんでした。大量殺人未遂をやらかした人が何故「最高😆」「みんなの歌姫😆」と持ち上げられたままなのでしょうか。能力で記憶が書き換えられているのでしょうか?しでかしたことに対してあまりにも周りの反応が軽すぎます。シャンクスもファンたちも。EDは良かったと言う人もいますが、私はEDで一番鳥肌が立ちました。ウタヨイショのために原作キャラを雑に出して、おまけに善悪の判断もつかないバカの太鼓持ちに貶めているんですから。推しが犯罪したのに「また帰ってきてくれるのを待ってます…❤️」って言う盲目お花畑ファンみたい。それで傷ついた人がいるのに。少なくとも私なら、辛い日々の中信じて推していた人が犯罪未遂なんてショックで歌も聞けなくなります(実体験)。

そして、サンジの「ネズキノコは性格を凶暴化させる」という台詞がありましたが、まさかこれがウタのやらかしの理由づけじゃありませんよね?

普段は普通に優しい子なんだろうというのは想像できなくないですが、視聴者にとっては映画の中のウタが全てです(だって『新キャラ』なのですから)。普段のウタを知らないのに、「凶暴化してただけ!だから仕方ない!」とされてもそっか!じゃあ仕方ないね!とはなりません。私はみんなに理不尽に攻撃してキレるウタしか知らないですから。そういう身勝手なバカなんだな、と思います。
特にゴードンに攻撃したのは描写として悪手だったのではないでしょうか? 幼い頃から育ててもらって、下手をすればシャンクスよりも恩があるかもしれないゴードンに冷たくあたり、挙げ句の果てには怪我をさせて謝罪なし(なぜか許される)。この描写で「いつもは優しいから〜」とフォローされても、そう思わせる要素が少なすぎます。
この点に顕著に表れているように、今回はとにかく「台詞での説明」が多すぎたことがウタにのめり込めない一因だと感じます。
映画という媒体の尺的に仕方ない部分はあるのですが、いちいち言葉で「プリンセスウタ♡」「天使の歌声♡」「世界で一番愛されてる人♡」とヨイショされても私たちはその実体を知りません。「知らないキャラ」だからです。だからそれだけではキャー♡ウタ様かわいいー♡天使ー♡とはなりませんし、かわいそう!守ってあげなきゃ!となる理由もわかりません。特にブルックをヨイショに使ったのには驚いてしまいました。「彼女の歌は別格です〜」…原作ファンにとってはブルックの歌こそが別格なものだったのですが。
ウタファンの女の子の「もう現実に疲れた、ウタちゃんの歌をずっと聞いていられる夢の世界はないのかな?」という台詞は台本のト書きでも読んでんのか?というくらい「説明」です。言うか?子供がそんなこと。

ここまで書いてきた通り、映画の中でウタはとにかく
「原作キャラを踏み台にし」
「原作キャラや他のキャラにヨイショさせ」
「実質的な描写なく言葉で全てを表現」
するということになっています。
まずこの時点で「脚本家にオリジナルキャラを描く力が無い」と感じましたし、今現在Twitterなどではふざけて「ウタ夢主じゃんwww」というような言説が幅をきかせていますが、あまりにも異常なことじゃないかと思います。
夢主というのはいわゆる夢小説(マンガなどのキャラと自分を模したオリジナルキャラが恋愛する二次創作の一種)の主人公(つまりオリジナルキャラ)のことですが、これは揶揄の意味で使われることが多い言葉でした。
夢小説には、先に書いたような「原作キャラ踏み台」「言葉でひたすらヨイショ」「なぜか常に庇われる」などといった稚拙な要素があることが多いからです。原作の女子キャラを当て馬にしたり、微笑んだだけで「かわいすぎるだろ…!!」とキャラに言わせたり。
私自身たまに夢小説を読む人種ですが、変なことやってるなぁと自分で思います。
ですが、これらがなぜ許されているかといえば、「二次創作に過ぎない」からです。「個人が個人で楽しむために妄想で作ってるものだから仕方ないよね」と。そりゃ誰にだってちょっとは無条件に可愛がられたい欲くらいあるでしょう。夢女子には若年層も多いのでなおさら。

ですが、この映画は「公式として」「お金を取って」作られているものです。しかも脚本を書いたのはいい大人。愛のあるからかいの類だったとしても、キャラが「夢主」と形容されているのはどう考えてもおかしい状況ではないですか?「そのキャラ・ストーリー稚拙だね」「そのキャラ子供が書いてるお遊びと同レベルだね」ってことですよ。まあ実際そうですよね、「ウタちゃんは世界で一番愛されてて天使で悪いところなんて一切ない最強の女の子なの♡ウタをこうさせた周りが悪いだけ♡」が脚本ですから。本当にウタに対して「ヘタクソな夢小説のさいきょうオリキャラヒロインちゃん()かよ」という感想しか出てきません。

そしてもうわけがわからなかったのは、幼い頃の魔王顕現を「知ってた」設定です。いや知ってたの!?!?!?だったらなおさら自分一人で突っ走って暴走なんかさせないでくださいよ…。トットムジカを呼び出し国を破壊したのが自分という事実を知っていたのならそもそもシャンクス及び海賊を恨む理由が半減します(置いていかれたことはともかく)し、それが受け止められなくて辛い思いをしていたならなおさら再度トットムジカを使う選択をしたのが理解不能です。「国が滅びるほどのことが起こる」と知った上で使っておいて「皆が言ったから!!アタシ悪くないもん!!」は無理があります。しかも真の被害者であるゴードンに見せつけてなんて…。魔王に操られていたとかならともかく、ウタは自分の意思でトットムジカの楽譜を保持し、使ったのですから。
そもそもファンに「こんなことやめて!」と言われても「アタシが正しいんだもん!!!!!!」と逆ギレする辺り、全然「みんなの幸せが私の願い」じゃないですよね。自分の信者しかいらないってことじゃないですか。何なのこの人?
そこは普通に知らなかった設定でよかったのではないでしょうか。これのせいでウタがただ考え無しなだけになってるんですけど。

「40億巻を読めばわかる」と言う人もいますが、そうしなくともキャラの人となりがわかるようにするのが脚本と制作の仕事です。私は初週に行けず未入手ですし、別の媒体に頼らないと全貌がわからない映画などそもそも欠陥品です。
それに40億巻では「悪いのは魔王」と言われていたそうで。いやいやいや、その魔王復活のトリガーを自分の意志で引いたのはウタ自身だと思うんですけどね。しかも自分の勝手な思い込みで。魔王を原因にするにも、最後の「あんたも寂しかったんだね…」という台詞にしても、まずそう思えるほど魔王の情報が無いからそう言える理由が謎ですし。

私としては、ウタという「ヴィラン」は好きな方です。「皆を幸せにするため」に「殺す」選択をする、というのは上手く料理すればとても面白い思想です。
でもやっぱり殺しは「良いこと」ではありませんから、その罪についてどう考えるか?その後をどう処理するか?が問題になります。そのまま信念を貫くならヴィラン、誠心誠意過ちを認めて責任を取ったなら良い人。ウタはそこの処理がすごく雑なんです。否定されれば慌ててキレちゃうような雑な思いしかないくせに突っ走って、悪事を為したのにみんなにヨシヨシされる。すごく中途半端で同情もできない。やるならどっちかに振り切ってくださいよ。なぜこんな中途半端でヘイトを買うキャラにしたんですか?私は『飛んで埼玉』でなぜか泣くくらい涙腺が脆い人間ですが終始真顔でした。全部ウタの自業自得なんですもん。

次に、Adoさんとその歌の使い方についてです。
私はAdoさん自体は「好きよりの普通」という感じで、普段ミュージカルを見ることもあり公開前は歌がテーマであることもそこそこ好意的に見ていた方です。
ですが先にも言った通り歌が多すぎることは否定できませんし、「ウタとマッチしていない」という意見については「Adoアンチ」で片付けてはいけないと思います。

一番大きいのは、声優の名塚佳織さんの声とAdoさんの声が全く似ていないことです。
2人とも声自体はとても素敵ですが、声質がかけ離れ過ぎていてちゃんと考えてキャスティングしたんだろうか?と思ってしまいました。歌が始まった瞬間「ウタ」というキャラでなく「Ado」になる落差がすごすぎて、正直ライブにのめり込めなかったです。もっとハキハキした声の似ている声優さんだっていますよね?完全にミスキャストです。

そして、Adoさんの歌声を全く活かせていないとも思います。Adoさんの歌のアピールポイントといえばやはり力強さや迫力、強烈な個性だと思うのですが、だからこそキャラに落とし込むことが要求されるキャラありきのストーリーアニメにマッチしていないのがまず第一にあるし、ミュージカル調、つまり音楽で感情やストーリーを表現する手法には合っていないんです。
「新時代」や「逆光」「Tot musica」はAdoさんに似合っていてとても好きな歌なのですが、終盤にある「風のゆくえ」など穏やかな曲調ははっきり言ってAdoさん向けではありません。穏やかなシーンにあの調子でガツンと来られると正直耳がキンキンするし、何よりウタが死にかけの最後の歌のシーン。いやめっちゃ元気じゃん。


そしてこれはそれなりによくミュージカルを見に行く私個人の感想なのですが、「歌詞が何を言っているのかわからない」というのがありました。

Adoさんは良くも悪くも迫力で魅せるタイプの歌手さんだと思います。それ故か、私の耳が悪いのもありますが基本的に一音一音丁寧に発音はしないので聞き取りづらい(そういった歌い方自体を否定するわけではありません)。例えば「新時代」なら

「新時代は、 ーーーーだ、
 ーー(世界…?)、変えてしまえば」

という感じで、ウタが何を言いたいのかがいまいち伝わってこないのです。「私は最強」「風のゆくえ」はまだマシでしたが、トットムジカ、逆光に至っては一つも歌詞を聞き取れませんでした。
歌で「私は今からこうしますよ」「私は今こう思っているんですよ」と伝えなければならないミュージカル調の構成で、これはかなり致命的なのではないでしょうか。
でもこれは、それこそAdoさんの普段のMVのように画面にカッコよく歌詞を入れ込んでしまうことだってできたはずですから、制作側の怠慢でしょう。

それに作曲側も、ウタの歌う曲が「シナリオ中に挟み込まれる」ものであることを認識していないように感じます。
この作品はミュージカルではないですが、ストーリーの中に曲が入れられる以上、その曲はウタの感情を表現したりストーリーを進める要素になっていなければ不自然です。そうでなければ曲がただストーリーの進行を妨げるものになってしまいます(事実、『曲のせいでストーリーがぶつ切りだ』という批判も多いですし)。
例えば歌入りの映画に『アナと雪の女王』がありますが、あれはずっと自分を押し隠してきたエルサが「私は自由だ!ありのままでいいんだ!」と自分の思いを表現したり、パーティーが始まるシーンで贈り物やケーキを映して「これから楽しいことが始まる!こんな楽しいの初めて!」とアナが状況するのに歌が使われていますよね。
しかしREDでは、多くの曲は格好よくはあれ歌詞は抽象的にすぎ、またやたらに早口なラップを入れて余計聞きづらい。例えば『逆光』なら、「怒りよ 今 悪党蹴っ飛ばして」はわかるとしても「逆光」とは何を表しているのか。「愛への罰だ、愛ある罰だ」とはどういうことなのか。格好いいですが、ただそれだけ。ストーリーに挟まってくる必要性が一切感じられないんです。その曲で何が言いたいの?
単にウタの格好よさをアピールするターンは『新時代』で終わってるんですよ。ちゃんと考えて依頼してます?

もちろんラストソングの歌い出しなど、Adoさんが努力されているシーンはあったのですが…。今どきは歌の上手いミュージカル女優さんもたくさんいるし、演技指導だってもっとちゃんとしてあげないのなら、歌唱パートがAdoさんである意味が無いと思います。Adoさんを表すならウタのキャッチコピーの「天使の歌声」よりもふさわしいものがあると思いますし(例えば『女王』や『女帝』なんてどうですか?)。『天使』ってガラじゃないですよね。
声優さん側がAdoさんに合わせたという話も聞き、「Adoゴリ押しがしたかったんだろうなぁ」と興ざめでした。せっかくAdoさんを使うなら周りの大人がもっとお膳立てやら指導やらをしてあげなければならないのではないですか?その辺りが雑すぎるせいで「Ado使っとけばウケるやろwww」というのが透けて見えるんです。Adoに歌わせたいだけならブルックもいるしキャラソンや今までのOP、EDもたくさんあるんですから、単純にみんなで盛り上がるライブのお祭り映画でもよかったと思います。

総じてウタに関しては、

Adoさんを使いたいならもっと魅せ方があった。
ウタというキャラを見せたいならもっと魅せ方があった。

ダークな敵キャラにしたいならもっと描き方があった。
悲劇のヒロインにしたいならもっと描き方があった。

楽しいライブ・ミュージカルをやりたいならもっと良い構成があった。
シリアスがやりたいならもっと良い構成があった。

と、要素を詰め込み過ぎて全部が中途半端だったのです。
これで「み〜んなウタを好きになる!」と言われても無理です。少なくとも、賛否わかれるキャラではあるでしょう、だって「殺人」をしようとしている敵なんですから。でもこれが「賛同はできないけど悪役として良いキャラだったな」になるのか、「ご都合主義で納得いかない」になるのかは描き方次第であったはずです。

4.そんなもん映画でやるな


ウタは人によって好みがわかれるとして、原作ファンが大体不満点として挙げているもう一つの点がこれです。

原作ファンが楽しみにしていたことを、なぜとっとと映画で終わらせてしまったのでしょうか。

まず一つはウソップとヤソップの再会です。
ウソップの夢は「勇敢なる海の戦士になること」で、これは多くの原作ファンが「=ヤソップ(父親)のようになること」「ヤソップを超えること」と解釈していたでしょう。ウソップ本人が夢を求めて危険な冒険に飛び出していった(=海の戦士となった)ヤソップを尊敬しているという旨の発言をしていましたから。
つまりウソップにとってヤソップは「夢」そのもので、父親と何かしら起きるのはONE PIECEの物語の中でも重要な出来事だと目されていたわけです。何なら私はゾロとミホークが対決する時くらいに感慨深いものだろうと思っていました。

それなのに、(並行世界の出来事とはいえ)ウソップからは「え!?親父!?」だけで何の感情の震えも動揺もなく共闘開始。ヤソップに至っては、夢のためとはいえ何年も放置し続けた息子に「や〜っと気づいたか、バカ息子」…そんな軽口を叩けるほどあなたたちに信頼関係があったとは知りませんでした。
ウソップもウソップで、ウソップからヤソップへの感情はただ「尊敬」だと思っていたのに、「おれの親父はおれのことはずっとほったらかしで…」と軽くではあれ責めるようなことを言わせたのも酷すぎます。

確かに私は、ウソップとヤソップがいつか再会したり共闘したりするのは楽しみにしていました。ですがそれは、25年間ずっとタメていた分丁寧に、クライマックスとして原作で描いてほしかった。こんな世界の根幹に関わるわけでもないところで雑に消費してほしくなかったんです。

そしてたぶん、ヤソップの株が上がることはもうないだろうと思います。ヤソップは「冒険がおれを呼んでいたからだ!」と泣く泣く妻子と別れたと言っていたくせに、ウタは普通に船に乗せて「おれたちの歌姫♡」とちやほやしていたんでしょう?だったらウソップだって一緒に連れていってあげられたじゃないですか。ウソップがずっと寂しい思いをして、病気の母親を元気づけたいとオオカミ少年にまでなったのはなんだったんですか? それでも夢に生きる父親を尊敬して、「父さんが迎えになんて来るわけないよ」と言われても「夢なら見るよ だっておれは海賊の息子だから」と泣いていたんですよ。でもその間、当のヤソップは全然関係ない子供を可愛がっていたんでしょう?最低です。ウソップがあまりにも可哀想すぎる。

シャンクスとルフィに関してもそうです。
シャンクスとルフィの関係は、そもそもONE PIECEという物語の始まり・根幹のものであって、ここに何かしら起きるのは全体の物語として重要なことのはずですよね。
実際、原作の頂上戦争編では物理的に会える場所にいたにも関わらずシャンクスがルフィと対面することを拒否しています。兄を救えずボロボロの状態のルフィと会っても、それは「立派な海賊になって」帽子を返しに来るという「約束と違う」からです。

でも今回の映画で普通に共闘しちゃいましたね。

並行世界とはいえ共闘したのは事実です。しかもラストシーンで、おそらくルフィにはシャンクスの姿が視認できていたでしょう。帽子で隠したとはいえシャンクスも至近距離でルフィを見ていますし。これってシャンクスさん的にはオッケーなんですか?いつか立派な海賊になった時、満を持してその前に姿を現すのが重要なファクターだったんじゃないんですか?なんか雑に「共闘」という大盛り上がりの要素を消費しちゃいましたけど、じゃあ今までの25年間は何だったんですか?いつか会えるんだろうか、どんなインパクトがあるんだろうかと原作を楽しみに読んでいたファンが馬鹿みたいじゃないですか!

この映画は面白いという意見も多いですが、当たり前ですよ。原作でファンが何年も待ち侘びた、一番おいしいところだけを切り貼りしているんですから。本当に、何度も何度も言いますけどこれって物語として大事な要素じゃないんですか?いつか見たいとは思っていましたよ。でもそれをなんで映画でさっさと消費したんですか?

原作でやってよ!!!!!!!!!!

5.原作キャラの描き方


海軍などは既に述べましたが、メインキャラにもびっくりするくらい描き方が納得できないところがあったので、主に気になったキャラを挙げて1人ずつ見てみようと思います。

①サンジ
サンジってネズキノコ放り捨てるような人でしたっけ?確かにネズキノコは食べたら危ないものですから「食物」ではないにしても、一瞥もせずにポイっとゴミ箱に捨てる所作には違和感があります。
しかもサンジなら、食材庫に危険物が紛れていれば皆に注意を呼びかけたりしないでしょうか?「みんな、変なものが入ってなかったか?」とか。物語を進行させないといけない都合なのでしょうが、原作であれだけ「食べること」を大切にしているキャラがあんな適当なことをするでしょうか。
これに関してはチョッパーも、キノコ図鑑を読んでいたのに反応しないのは違和感がありました。

②バルトロメオ
お前のオタク心あっさいな。
バルトロメオはルフィの強火オタクじゃなかったんですか?ルフィに対して「うわ〜!ルフィ先輩だべ〜!」と面白い反応をするから特別感があってオタクキャラが確立していたのだと思うのですが、ウタも「ウタ様」って呼ぶくらい好きだったんですね。誰にでも尻尾振るんじゃん。というか、ルフィの冒険や大活躍に憧れてオタクになった人がただの歌手に惹かれますかね?原作キャラを曲げてまで「ウタ様〜♡」とヨイショしてるから夢主って言われるんでしょうよ。

③サニーくん
いる意味あった?

かわいいです。かわいいですが、ただそれだけ。ストーリーに関わるわけでもないし、どんな存在だったのかもよくわからない。生みの親であるフランキーとの絡みぐらいあると思ってましたよ…。
そもそも、ONE PIECE世界において「船が喋り出す」というのはかなり重要な要素だったはずです。サニー号の前に乗っていたメリー号という船は、一味に大事にされたからこそ「クラバウターマン」という付喪神のような存在が宿り、壊れる最後の最後に「ありがとう」と感謝を伝えて逝きました。その後継なんですから、サニーも大事な船じゃないんですか?なんか雑〜にマスコットにされてお喋りパート消費されちゃいましたけど。
友人Sは「サニーって普段ああやって喋るんだね」と勘違いしており、「いや、喋らないよ」と伝えると「え…!?じゃあなんだったのあれ?」と驚いていました。私もわかりません。
ブルーノやベポもマジであれなんだったんですか?インタビューを見る限り「ストーリーの進行に邪魔だから笑」で小さくされていたようで。ストーリーを進める時間を削ってまで入れる必要性は?監督には「借り物を大事にする」という小学生でもわかることがわからないんでしょうか?

④シャンクス
これもうただのネグレクト毒親じゃないですか。

わざわざ出立の前にウタの「自分たちと一緒にいたい」という思いを確認しているのに、「ウタを苦しませないために」置いていくって…。ウタが一番苦しむのはどう考えてもシャンクスたちに置いていかれることです。シャンクスは「友達を傷つける奴は許さない」くらい仲間思いじゃなかったんでしたっけ?だったらウタが力を正しく使えるようになるまで導くくらいしてくれそうですけどね。自分たちと一緒にいることを望み、今現在苦しんでいる仲間を置いていくって、ルフィが憧れた男のやることですか?まあストーリーの都合なんでしょうけどね。

それに、シャンクスはルフィに「海の厳しさを教えた」男です。そんな人だったら、自らの犯した罪にきちんと向き合うようにウタを諭しませんか?
「親子喧嘩だ、手を出してくれるな」には驚く通り越して「はあ?」と声が出そうになりました。だって、ウタの行動は家族間の諍いで収まる範囲を超えているじゃないですか。犯罪やってるんだからもうそんな次元の話じゃないんです。簡単に言えばシャンクスは、娘が大量殺人未遂を起こしたのに「おれの顔に免じて…ねっ😅」と言っているんですよ。
ウタを本当に自身の子だと思っているなら、子供を大切に思っているなら、子供が一人でも生きていけるよう「悪いことは悪い」と教えるのが親の仕事であり愛であるはずです。犯罪やってるのに「ウタちゃん悪くないよ」とヨシヨシするのは、愛ではなくて脳ミソ空っぽの甘やかし。現代で例えれば、ウタが万引きしたのに「ウチの子が悪いって言うんですか!?通報しないでください!」と言っているようなものです。そうやってモンペされて育った子供がどうなるかというのは、よく取り沙汰される通りですよね。

例えばこれがゼフで、サンジが自分の寂しさとエゴから多くの人を殺そうとしたら、ゼフはサンジを蹴り飛ばしたと思います。ゼフはウタに対するシャンクスと同じで、サンジと血は繋がっていませんが、サンジが「いけないこと」をしたらその責任を取るという覚悟を表明していますから。「お前の金玉を切り落としおれも首を切る」「それが親の落とし前ってもんだ」甘い顔をするだけでなく、子供に真摯に向き合ってくれる。そういうところにこそサンジは「父親としての」信頼を向けたし、義理であっても「親の愛情」を感じられたんです。

でもこのシャンクスは、「ウチでよく言い聞かせておくから😅」と介入を拒んでおきながら「お前は悪くないよ😢寂しかったんだよね😢」とウタを甘やかすだけ。「親子愛😭感動した😭」と言う人もいますが、これのどこが「愛」なんですか? むしろ広義の虐待です。てかウタが犯罪する原因の「寂しさ」を作ったのはあんただろ!
何よりも、シャンクスがルフィに見せていた態度から考えれば、「逃げてはいけない、自らの弱さが招いた事態をしっかり見つめろ」と教えるのがシャンクスだったはず。だってシャンクスは、海賊の楽しい部分だけでなく厳しい部分もルフィに教えた男だったんですから。このシャンクスの顔をした虐待おじさんは誰なんですか?

以前「シャンクスは完璧な人間ではない」とする尾田先生のコメントを見かけたことがありますが、完璧な人間ではないことと「子供を捨てるただの虐待親、人間のクズ」であることとは全く違うものです。大海賊であるにも関わらずルフィと子供みたいにはしゃいでしまったり、宴が大好きでお気楽だったりなど、今まで描写されていたある意味での「かわいげ」がシャンクスの人間性だと言えるのではないですか?もしこの「子供を捨てる」シャンクスが公式のシャンクスであるのならば、私はルフィが彼に憧れる理由がわかりません。どうして少年漫画の金字塔の主人公が人間のクズに憧れる構成になるんです?

そして何よりもこの描き方では、シャンクスにとっての「特別な子ども」の価値が完全に「ウタ>>>>>>ルフィ」です。ルフィは「お前はまだガキだから」と航海に連れて行ってやらなかったくせに、ウタは連れていく。シャンクスとルフィの関わりが物語上の重要事項のはずなのに、ルフィよりもウタの方が長く(7年間?)シャンクスと関わっている。大海賊と普通の村の少年が年齢や様々なしがらみを超えて仲良くなり、夢が始まったところにロマンがあったはずなのに、ルフィは今やただの「娘の友達」。あれ、これウタの方がシャンクスと接点強くないですか?
それこそじゃあルフィに麦わら帽子渡したのはなんだったんだよ案件です。片腕賭けるほどルフィが唯一無二の大切な相手だったからじゃないんですか? ヒトヒトの実モデルニカ食べたからですか、そうですか。

批判派の多くはここに怒っているのだと思います。シャンクスとルフィの関係性は、何度も言いますが物語の根幹、全ての中心です。でもそこに、原作で描くわけでもなく悪い言い方をすれば「たかが映画」で「やっぱりもう1人いました〜!しかも主人公より映画のためのポッと出キャラが大事で〜す!」…それはただ物語の軸を壊しただけでしょう?
私は、常にシャンクスにとっての一番大切な相手はルフィであってほしいです。だってそうじゃなきゃ、物語が始まりませんから。「ウタを否定するのは腐女子と夢女子!」なんて言説も罷り通っていますが、私はウタがイケメンキャラだろうが何だろうが受け入れられません。キャラが好きとか以前にONE PIECEのストーリーが好きで、それがこのキャラのせいで根本から覆るってんですから。

こういうことを言うと「映画だから」「パラレルだからいいじゃん」と反論してくる人がいますが、そういう問題じゃありません。今までの25年間を根底からひっくり返すようなことを「公式が」そもそもした時点で、パラレルとか関係なく批判が集まるのは当然だと思います。ストーリーの根っこってそんなに簡単に改変して良いものでしたっけ?

⑤ルフィ
何ですかこのルフィ?マネマネの実の能力者がルフィに成り代わってる感じですか?違和感どころか別人です。

まず、仲間が手を出されているのに戦わない時点でルフィじゃありません。ウタの能力で一味が攻撃され始めているのに、「やめた、戦う理由がねェ」…あるでしょうよ。あなたのその力は「仲間を守るため」のものでしたよね?あなたは「仲間を守りたい」からギアセカンドやその他覇気などの技を努力して習得したんですよね?
確かに一度だけ何も抵抗しなかったことはありますが、それは「自分(+自分と同程度に強いゾロ)だけが攻撃されている」、「相手とはそもそもレベルが違う(自分たちの方が圧倒的に強い)」、そして「相手の攻撃の目的は自分たちの夢を嗤うことだから、拳で返しても意味がないことをわかっていた」というイレギュラーな3要素が揃っていたからです。ウタの場合はそのどれとも違います。マジでどの辺りに戦う理由がないんですか?ルフィは最初期から「難しいことはどうでもいい、おれの仲間を泣かすなよ」が戦う原動力だったと思うんですが。

そして、ルフィって「幼なじみだから」なんてハンパな理由で人を殴れなくなるキャラだったでしょうか?
ルフィは仲間のウソップやサンジも殴ったことがあるし、女の子であろうがビビにも容赦しませんでした。でもそれは、伝えたいことがあったからです。仲間だろうが女子だろうが、大切な相手だからこそ教えなきゃいけないことがある。間違っているなら殴ってでも止める。そんなルフィというキャラなら、「幼なじみだからこそ」人殺しなんて間違いを犯そうとしているウタを止めるために殴るのではないでしょうか?
少なくとも私は、自分より力の弱い女の子だけど、それでも女とか男とかそれ以前に「仲間」だからこそビビを殴り、「おれたちの命くらい一緒に賭けてみろ」と1人で突き進もうとするのを止めるのがルフィだと思っていました。そういうルフィが首尾一貫していて好きでした。でもたぶん、このルフィはビビを殴ってはくれないのでしょうね。
監督の嗜好的に「幼なじみの女の子とのしっとりとしたNL要素」を入れたかったのかもしれませんが、そもそも原作では一切性欲を感じさせないキャラクターにいきなりそんなことをさせても困惑するだけです。え?ルフィそんなやつだっけ?オリジナルでやれ。私はウタファンがハンコックのことを「ババアw」「負けヒロインw」とディスっていたのを絶対忘れません。

しかも「体表を流れ落ちる水ならセーフ」という設定があるのに水をぶっかけられただけでへろへろになるし、戦闘に関してはかなりカンが鋭いはずなのにウタの能力を「そういやそんなこと言ってたな〜」と流すなど、原作をガン無視した展開が多すぎます。このルフィ、クロコダイルに勝てなさそう。

今思い返せば、序盤からしてルフィはちょっと変でした。ルフィがライブに乱入して「だってこいつシャンクスの娘だもん!」というシーン。あなたのお兄さん大海賊の息子ってことが世間にバレて死にましたよね!?!?!?
確かにルフィは普段空気読めない系のキャラですが、そんなことバラしたら狙われることくらい流石にわかるでしょう…。実際、ルフィがカミングアウトした後に「シャンクスに対する人質にしてやる」と海賊が襲ってきているわけですし。
というかそもそもルフィは血筋を重視するキャラではないので、「シャンクスの娘」という言い回しもやや変な気がします。ルフィ自身、父親は革命家ドラゴン、祖父は海軍の英雄ガープという血統的にかなり特徴のある人物ですが、本人はそれを仲間にさえ言っていませんでした。言うのを忘れてしまう程度には彼にとって大事なことではなかったからです。そしてだからこそ、どんな出自の人にもフラットに接するところがルフィの度量の大きさを表していたわけですが…。そんなキャラが他者を「シャンクスの娘」と肩書きで呼ぶでしょうか?「おれの幼馴染だもん」の方がまだ言いそうではないですか?まあどこかで明かしておかないといけなかったのでしょうが…。
それに、ルフィは「みんなで大騒ぎするのが好き」だから宴が好きというキャラです。ライブはみんなが大騒ぎできる場所。自分の大好きなことを他人も楽しんでいる、そんなルフィにとっても嬉しい状況を遮りしらけさせるような無粋な真似を、ルフィがするとはどうしても思えませんでした。
ルフィは大事なところではちゃんと空気を読む人間のはずですが、もしかして脚本家は2ちゃんの「ルヒィはガ◯ジwww」みたいなノリを真に受けちゃったんでしょうか?

さらに、中盤でウタがシャンクスの麦わら帽子を破ろうとしますが、ルフィは拘束されているわけでもないのに「やめろ!ウタ〜!」と叫ぶだけ。ルフィだったらなおさら殴るんじゃないですか?剣で刺してきたバギーにはあれだけキレてたのに。自分の信念を傷つけられても「幼なじみだから」でなあなあにするようなキャラにルフィが見えていたとしたら、たぶん脚本家と私は違う「ONE PIECE」を買って読んでいるんだと思います。
しかもウタはウタでそんな真似をしておいて「この麦わら帽子が似合う男になるんだぞ」「これは私にとっても大切なものだから」
…はあ?どの口で?

そして、私にはルフィが言った台詞でどうしても納得できないものがあります。
それが、「なぜ海賊王になりたいのか」と聞かれて答えた

「新時代を作るためだ」

…初耳なんですけど…!?!?

原作を20ウン年追ってきて今初耳なんですけど。え、どこかに描写ありました?ルフィが「新時代」なんて言葉を使ったことなんて一度でもありましたっけ。

そもそもこの台詞は原作から考えればチャンチャラおかしいんです。だって、ルフィが海賊王になりたいのは「自由だから」なんですから。「支配なんてしねェよ この海で一番自由なやつが 海賊王だ!」これがルフィの海賊王になりたい理由だったはずです。海賊王になって何かをするとか、自分が世界のトップになるとか、ルフィは考えていないんですよ。海賊王になることが「手段」ではないんです。
それなのに、「新時代を作る」ってどういうことなんでしょうか?自由を目指すのではなく世界を変革したいなら、それこそルフィが海賊である理由はないですよね。革命軍って組織もあるんですから。ルフィはヒーローにはなりたくないんでしょう?
それに、「新時代を作る」というのはイコール新秩序を自分が作るということです。自由が良いのに、自分の秩序は他者に押しつけるんですか?しかも、新世界の創造ともなればその支配と管理をしなければなりませんよ。それってルフィが一番嫌いな「不自由」じゃありませんか?

私はここが一番許せません。ウタのキーワードが「新時代」ですからそことかけているのでしょうが、なんで原作の主人公の一番大切な夢を、劇場版限定キャラの辻褄あわせに消費されないといけないんでしょうか。なんでウタとかいう原作でルフィのために何かしたわけでもない、ただ迷惑をかけるだけのポッと出の存在のためにルフィが今までのキャラクターをねじ曲げられないといけないんでしょうか!

原作では確かに、まだ明かされていないルフィの「夢の果て」という要素があります(知っているのはシャンクス・エース・サボ・ヤマトくらい)。最初はもしかしたらそれのことを言っているんだろうか?とも思いましたが、だったらなおさらこんなところで言うなよ!!!!!!!です。本編でちゃんと描くべきだろ!!!!!!!!!!!!
これがもし本編で初出だったなら、私は「あっ、ルフィってそうだったんだ」と思って終わりだったでしょう。確かに2年という長い修行期間もあったし、魚人島やドレスローザで様々な社会問題に苦しむ人々を見てきたわけだから、新たな目的意識が芽生えてもおかしくはありません。
でも、これは単なる映画です。原作者が作ったシナリオでも、ストーリーを勝手に進めて良い場所でもない。そんな場所で主人公の夢の改変が行われたら、それはいわゆる「解釈違い」ではありません。設定崩壊と言うんです。

最後に「海賊王におれはなる!!」といきなり言ったのも繋がりがわからず意味不明でしたし(友人Sは「映画はいつもああやって締めるの?」と聞いてきました)、せっかくのギアフィフスを映画でさっさと出してしまったのも…。私は「原作では」先に出ていたので最初はそこまで気になりませんでしたが、やっぱり「ファンがいつも見ている」アニメという場所でお披露目してほしかったという意見はわかります。

他にも色々「はあ?」となったところはありますが、主な不満点はこんな感じです。とにかく、原作キャラもファンたちも全てが全て「ウタの物語」を輝かせるための舞台装置。ウタ中心にストーリーを進めるために平気でキャラをねじ曲げて、その上雑に原作の台詞を使うから、一切リスペクトが感じられません。
キャラ解釈に厳しい尾田先生は本当にこれにOKを出したのでしょうか。それとも、先生の中のルフィ像は最初からこうだったんでしょうか?
監督が「作品に必要なのは破壊と創造」といったことを述べているインタビューも見ましたが、言っちゃ悪いですが他者の版権を借りている分際でよく「破壊」なんて言えたもんですね。人の作った作品を「破壊」なんてして良いわけがないでしょう。それをして良いのは原作者だけです(してほしいわけでもないですが)。確かに常に進化していく姿勢は大切でしょうが、物語を根底から覆すことは「進化」とは言いません。
改革者気取りで手を出したら、破壊したのはONE PIECEの根幹だったってワケですね。

6.宣伝の仕方と批判意見の否定


この映画の一番悪いところはここだと自信を持って言えます。

最初から「FILM UTA」だと宣伝していれば、ここまでファン内で不満が出ることもなかったでしょう。

この映画は「ONE PIECE」というタイトルです。だから、当然今までのONE PIECEの「ルフィたちが大冒険をする」「信念をかけた熱いバトル」が好きだった人が見に行くわけです。しかもFILM「RED」(=シャンクス)と重要なキャラが活躍することがほのめかされています。でも、実際にお出しされたのは知らないキャラがひたすら1人で突っ走ってなんか悲劇のヒロイン扱いされるミュージックビデオ。あれだけシャンクスシャンクス!と煽っていたのにシャンクスはウタを彩るためのフレーバー。そりゃ不満は出ます。メニューを見て頼んだものと違うものが出てきたんですから。
ウタの話を作るなら、最初からウタの話ですと宣伝すればよかっただけの話です。そうすれば、賛成派の人たちが目の敵にしている「こんなのONE PIECEじゃない」という意見は最初から出てこなかったでしょう。私が見た中で最も衝撃的だったのがあるレビューサイトの「原作ありきの古い考えなんて捨てるべき。批判してる人たちは何もわかってない(星5)」という意見なのですが、いや「ONE PIECE」っていう原作を借りてる映画なんですけど…!?!?!?

個人的に、上映期間が子ども(=ジャンプのメインターゲット)の夏休みと被ったことも痛かったのではと思います。
今回の映画はいわゆる「闇」や「暗い過去」が前面に押し出された感じの雰囲気でした。これがONE PIECEの映画を「夏休みこども冒険スペシャル」と捉えていた層とも食い違ったのではと感じるんです。
家族間や職場(私は小学生と関わる仕事をしています)にも見に行った子どもたちがたくさんいましたが、軒並み「よくわかんなかった」「歌ばっかりだった」という感想が聞かれ、「ジャンプの映画ってこれで良いのか」という思いを抱きました。
「少年」ジャンプですから、本来は子どもたちが楽しめる作品であるべきだと思います。確かに最近は呪術廻戦などダークファンタジー風の作品も多いですが、それでも鬼滅の無限列車編や呪術廻戦0は子どもが楽しんで見ていました。恐らくはそのどちらも本編にいるキャラが掘り下げられ、子どもにもわかりやすい熱いバトルを繰り広げる、という構成だったからでしょう。その世界のことがよりわかって、難しいことを考えなくても楽しめる。ONE PIECEも、今まではその枠だったはずです。
しかし今回は本編に登場しないキャラが大した思い入れもないまま歌い、かわいそうという実感も持てないまま言葉で「かわいそうかわいそう」と語られ、バトルは最後だけ。これでは「ジャンプのバトル漫画」を期待した子ども層からも不満が出るでしょう。
暗い雰囲気だったり、裏の裏を読むような考察が楽しかったりする作品も、それ自体は面白いものだと思います(なんなら私はそういう作品も好きです)。でもそれは、やっぱりONE PIECEというレーベルを使ってやることじゃなかったのではないですか?
ONE PIECEは徹頭徹尾「少年の冒険の物語」なのですから。

そして怖いのは、上にも一度書きましたが「賛成派の人たちが批判意見を目の敵にしている」というところです。
批判意見を言っている人たちは、Adoさんやウタというキャラそのものを否定している人は少ないように思えます(映画.com、映画の時間、Twitterで調べたところ。主観なのでもちろんそうでないものもあります)。多くの人は「歌はすごいけど、ルフィたちをもっと見せてほしかった」「ONE PIECEと言うから見に行ったのにウタばかり」ということを述べています。
しかし反対に高評価をつけている人は、なぜかわざわざ反対派に言及していくんです。

「嫌なら見るな」「繊細な情緒がわからない可哀想な人なんでしょうw」「どうせファンじゃないんでしょ」「批判してる奴は老害」「黙ってろよニワカ」etc…

私ってニワカだったんですね。漫画も全巻買って、アニメや映画も見てDVD買って、フィギュアやぬいぐるみやファンブックも買っていつもONE PIECEの続きを楽しみにするくらいONE PIECEが大好きなつもりでいたんですけど私ってニワカだったんですね!

めちゃくちゃ危険な状態だと思います。どんなにその作品が好きでも、ファンであることとイエスマンであることは違うはず。あまりこういう言い方は好きではないですが、お金を払って作品を見ている分それについて話す権利が私たちにはあるんです。ただ制作側のやることを黙って受け入れなければならないのなら、それはファンではなくて信者です。それも一際タチの悪いカルトの。
というかそもそも、ライト層は喜んではいても単行本を全部買って読んでいるようなガチファン層が「なにこれ…」となっているのはジャンルとしておかしいでしょう。映画.comの星5の意見が軒並み「僕ONE PIECEは詳しくないけど〜」「ONE PIECEアラバスタまでしか読んでないけど」「今までONE PIECEが嫌いだった人ほど見て!」だったのには正直「あっ…(察し)」です。
新規の開拓の意味もあったのでしょうが、たぶん今回で「ウタ闇😭」「ウタメンヘラヒロイン😭」と喜んでいる層はONE PIECE本編は刺さらない気がしますし(基本ONE PIECEって最後は明るく終わる構成ですから)、そのうちのどれくらいが「ウタは登場しない」原作を買ってくれるのか…。まず映画を作れるくらいの金額を普段から拠出してきたのは今までのファン層なのであって、マーケティング的にどうなのよ?感が拭えません。ましてや、ファンは「ONE PIECEという作品の」25周年記念映画として期待していたというのに。

あと一度チケットを買ったら2時間拘束される映画というスタイルの売り方(しかも公開直後はネタバレ禁止で情報が無い)で「嫌なら見るな」は成立しません。「エンドロールで帰っちゃう人いなかったよ?(だから批判意見はウソ)」というレビューも見かけましたが、エンドロールで流れたような今までの登場キャラの笑顔が本来見たくて映画館行ったんだわ。しかもそれすらウタちゃんみんなの人気者ヨイショに使われてたから死ぬほど腹立ったけど。

何度も言いますがこの映画は「ONE PIECE」「FILM RED」「ONE PIECEの25周年記念」の映画として宣伝されていました。ですが今まで書いてきた通りストーリーはウタ中心、麦わらの一味はほぼ活躍なし、物語上重要なことがらを雑に消費。「ONE PIECE」という作品を大切にしているようにはとても思えないのです。
もしこれが最初からオリジナル作品として作られていたり、「FILM UTAです、ウタが主役です」と宣伝されていたなら、ここまでの制作側とファン層の感覚の乖離は絶対に起こらなかったはずです。苦言を呈している私たち「老害」も最初から見に行かなかったでしょうからwin-winではないですか。そうは思いませんか?
それなのにそうとはせず、やたらファンを煽るような宣伝ばかりをしていた辺り、もはやファンを騙すことを最初から目論んでいたようにさえ思えてきます。ファンを騙して来させて、とりあえず最大瞬間風速でドカンと稼げれば良いやと。実際に興行収入はかなり行っているようですが、これを「ONE PIECE史上最高の映画!」と言われれば私は微妙な気持ちになります。100億行ってるのに全体評価3て。
そしてこれは邪推になりますが、大体2.5〜3辺りを推移していたレビューサイトの評価が最近あからさまに引き上げられているのを見ると…。星5の感想も「音楽がよかった」「シャンクスイケオジ」だの薄く短いものばかりが増えてきて、いったいなぜなんでしょうね。まあ配給会社的には臭いものに蓋ができてよかったというところでしょう。

7.まとめ


ここまで、FILM REDのどこが批判されているのか、何が問題を引き起こしているのかということを考えてきました。
何度も言いますが、私は音楽はとても好きですし(特にトットムジカとウタカタララバイが好きです)ウタというキャラも「ヴィランとしては」かなり好きです。ミュージカルに抵抗があるわけでもありません。
ですが、そうした細かい点で庇いきれないくらいこの映画にはダメなポイントがありすぎるんです。原作はただの踏み台、ウタは身勝手に突っ走って周りに迷惑をかけるだけで謝りもしない、原作を楽しみにしているファンを裏切り監督の嗜好に走ってキャラやストーリーの根幹をねじ曲げる。もう面白いかどうかとか、歌がどうとかの次元じゃなく、ただただ『不快』で『気色悪い』映画です。

これから原作にウタが絡んできたら、私は多分ONE PIECEを読むのをやめると思います。だってそうなったら、世界の始まりになったあのシャンクスとルフィのエピソードは、公式にとっては25年経って初めて生えてきた映画オリジナルキャラの辻褄合わせのために踏みつけにして良い程度のものだったってことですから。
この映画はよくも悪くも今までONE PIECEにはなかった境地に挑戦しようとしている、というのは私も感じます。新規のファン層を取り込むのもジャンルとしてとても大切なことですし、ここまで(色んな意味で)話題になっている辺り、この映画は商業的に「成功」しているとも思います。

ですが、その「挑戦」というのは、ルフィやシャンクスや麦わらの一味たちを蔑ろにしてまですることでしょうか。

新規の方ばかり見て、今まで原作を買ってジャンルを支えてきたファン層を切り捨てるのは正しいマーケティングでしょうか。

今までの25年間で好きになってきたファン層が喜べない映画は、物語として「成功」でしょうか。

この文が制作側に読まれることは恐らくないでしょうが、私はここのところをもう一度、公式に考えてほしいと思っています。
どうか少年の夢が詰まった「ONE PIECEの物語」がまた見れますように。



余談
ここから先は「私の」感じたことをだらだら書いていくだけなので、論理的でない文章や知らないジャンルの話などが見たくない方はスルーしてください。

①ウタの世界観
ウタのデザイン世界観にそぐわなすぎじゃない???
ウタのキャラクターデザイン自体はかなり好きだし、世界のアイドルという設定も面白いとは思うのですが、いかんせん帆船で旅して海賊はサーベルとマント引っ提げて…という世界観と合わなすぎやしませんかね。ウタがいた(という設定の)赤髪海賊団なんてその極地です。彼等は麦わら帽子に黒マント、クルーは腰や頭にタオルを巻いて武器は台座が木の火縄銃。ある意味で『男むさい』『男のロマン』といったデザインです。なんでここに全身メゾピアノでキメましたみたいな女児がいるんだろう???場違いすぎません???

ウタの歌手としてのあり方もそうです。帆船で旅して、主な情報源は新聞で、電話はあるにはあるけど(恐らく)ルフィたちは故郷と連絡を取っていない(一度の船出が今生の別れになる可能性がある)。なんでそんな世界でインフルエンサーになれるんでしょう?どうやってインフルエンスするの??そんな簡単に繋がれるならゼフとサンジの「カゼひくなよ」「クソお世話になりました」とか重み0じゃん。
ブルックもTD(CDみたいなもの)を発売していましたし、頂上戦争編では映像配信もやっていましたからライブができることには不思議はないのですが、ウタは存在の根幹がそうしたものに「依り過ぎて」いて、あの世界において異物に見えるというのはあると思います。チケットもサラッと出てきましたけどローソンチケットとか存在すんのかな…

あと単純に楽曲もなんであんな現代のJ-popみたいな感じなんでしょうか?曲自体は何度も言いますが好きですしエレキギターも存在しますからものすごく変ってわけでもないですが、古代アステカとかマヤみたいな壁画に描かれているのにトットムジカは現代の電子音なんだ…ってちょっと笑えました。いや、澤野弘之めっちゃ好きなんですけどね…

②サボやサガに関して
ここまで散々「ウタはポッと出」ということを言ってきましたが、こう言うと「サボもポッと出だろ」と返してくる人がいます。

全然違います。

まあ確かに結構唐突に出てきた感は私も否定しませんが、サボは登場よりかなり早い段階から盃の影を写して存在を匂わせ、『今まで描かれていなかった時間軸に』挿入されてルフィの夢も否定せず、単行本ほぼ一冊を回想に費やしてキャラクターが掘り下げられている。受け入れやすさが全然違います。成長した今はルフィのために行動することも多々ありますし、何より『ルフィを否定される不快感』が一切ありませんから。「サボはどうなんだよ」って言う人、60巻まで通して読んでるんでしょうか?というか監督がエースサボルフィの関係を「親友」って言ってるのにはぶっ飛んでしまいました。何度も「兄弟」って言ってるんですけど、日本語通じてます?

また、昔の映画『呪われた聖剣』にはサガというゾロの幼馴染が登場します。
正直このキャラは私的にあまり受け入れられない、ウタと似た立ち位置のキャラです。ゾロはくいなの他にも大剣豪になるという夢を誓った相手がいるということになってしまいますし、この映画ではゾロがサガに唆されてなぜか一味を裏切りますから。
ただ、この映画はREDとは不快感のレベルが違います。かなり昔の映画ですから、今みたいにTwitterで多くの人がそれについて口にする、ということもないですし、扱いがアニオリの一種程度であるためです。REDは公式が正史であるかのようにアニワンにねじ込んで来ようとしていますし、Twitterでは「ウタのおかげでルフィは◯◯だったんだ…!🥺」と普段ONE PIECEについて言及もしていないような人が考察(笑)をおっ広げ持ち上げられる。どう考えても順番が違うでしょう。ルフィが生まれた25年後にウタが生まれているんです。なんでルフィが元々持っていた優しさや思考が「ぜ〜んぶウタちゃんのおかげ❤️」にされてるんでしょうか?サガはスルーすれば済みましたが、ウタはそうもいかないんですよ。公式含めた周りが「見て見て見てぇぇぇ!!!!!!!!ウタちゃんいちばん!!!!!!ウタちゃんさいきょう!!!!!!ウタちゃんウタちゃんウタちゃんウタちゃんんんんん!!!!!!!!!!」ってやってくるもんですから。え、これもしかしてウタ受け入れられないとこれからのONE PIECE読めない感じですか?😅

③特典と連動エピソード商法

だから映画でやれって。

2時間も尺があるのにキャラクターの真相を別の媒体で補完しないと成立しない映画ってなに?単純に脚本と制作の技量が無さすぎますよね?それが必要ってんなら全員プレゼントできるくらい刷っとけよ。

連動エピソードもそうです。連動エピソードでやっているウタ・ルフィ・シャンクスの関わり合いこそ映画で掘り下げなくてはならないのではないですか?しかももう私はキツくて見ていないですが、その内容はやたらルフィのお株を奪いsageる内容だったようで。主人公をなんだと思ってるんですか?

というか、本当に映画ゲストキャラの中でなんでウタだけここまで特別扱い(というか姫プ)なんでしょう。今までも映画との連動エピソードはありましたが、映画キャラと関係のあるオリジナルキャラが麦わらの一味と出会って…くらいの内容でした。シキもゼットもテゾーロもバレットもこんな風に出番もらっていないし、「歌姫」キャラならアンもいましたよね?カリーナもダンサーに近いとはいえ歌姫っぽいことしてますし…。マジでなんでウタだけこうなんでしょう?スポンサー様のご意向?

④ウタのダンス

動きちっさ!!!!

私は実は3DCG技術が結構好きで、ダンスパートに挿入されたりするのもかなり好意的に見られる方なのですが、このダンスと映画に3DCGが合ってなさすぎです。
ショボいとまでは言いませんが、あの昨今のJ、K-popらしい細かい動きのダンス。あれはキレがあるから格好いいものです。3DCGは良くも悪くも動きが「ぬるぬる」するものなので、それでああいうダンスをやられると単純に動きが映えません…。関節の動きに重みが無く、カッチリと止まって見えないと言うか。私はk-popが好きなのですが、実際好きなダンスでもいわゆるMMDになるとなんかな…となることが多いです。
ムーンウォークや『逆光』のイントロの振りは大仰で目立つから格好いいのですが、身体の一部と一部の境界線が曖昧な3DCGでチョコチョコやられても大して見えないんですよね。そういうところからも「こういうの入れとけばオタクが喜ぶやろwww」という雑さが透けて見えます。

⑤なんで『シャンクスの』娘なの?
映画内の描写を見る限りウタは赤髪海賊団全員から可愛がられていたように思います。多分お世話も平等にされていたでしょう。

それなのに、なぜ『赤髪海賊団の一員or娘』でなく『シャンクスの』娘なのでしょう?

ここがわからないせいで、「シャンクスの娘である」という設定に必要性がより無くなっているのではと思います。勿論これは邪推に過ぎませんが、イケメン以外からの承認は要らないのかな?とさえ。ちやほやされてもいいけど受け入れるのはシャンクスみたいな大物イケメンの視線だけってことですか?ウタは「シャンクスに」会いたかったみたいですし。他のクルーは?

これはウタの言動に限らず、登場キャラクターの選定からしてそれを感じました。
先に少し書きましたが、原作ではルフィと並び立ってローとキッドが「三船長」といったくくりをされています。ワノ国編でもここの3人がルーキー世代の代表として目立っていました。
ですが、この映画にはキッドがおらずルフィとローだけです。これは一体なぜなんでしょうか?
この人数まででも扱いきれていないのだからキッドを出したとて…というのはあります。出したところでウタちゃん天使♡のヨイショに使われるだけでしょうし。ただ、この時期にルフィとローを出すならキッドも順当に出演決定!となるもんではないですか?
個人的にキッドはとても好きなキャラです。ただ、あくまで一般的にはローの方が知名度があるでしょうし(社会現象になった頂上戦争編でもローは出番がありました)、万人受けする所謂イケメンだと思います。そういう意味で、「こいつ出しとけばオタク釣れるやろwww」と雑に選定された感が強いのです。特別な役回りがあるわけでもなく、ただシャンブルズやらされてただけなのでなおさら。まあ制作陣は倫理的にヤバいことしても庇ってしまうようなみ〜んなウタちゃんが大好き♡思考ですから、イケメンキャラでウタ囲って可愛がりたかったんでしょうねぇ。

ウタもウタで、7年間育てて育児放棄したシャンクスと12年育てて衣食住と歌のレッスンを与えてくれて自らの過去の罪さえも許して笑顔にしようとしてくれたゴードンとだったら普通はゴードンに気持ちが傾くはずなのに、ずーっとシャンクスシャンクスシャンクス‼️ですから、ああイケメンにしかちやほやされたくないんだなぁって感じです。

⑥麦わらの一味が操られなかった理由

本気でわからん。わかる人いたら誰か教えてくれ


⑦ウタの年齢と「可哀想だから仕方ない」理論について
ウタの年齢は21歳だと特典を入手できた友人から教えてもらいました。

精神性キッズ過ぎるだろ。

21歳って言ったら、ゾロやサンジと同い年ですよ。成育環境の違いがあるとはいえ、片や親友との誓いを胸に日夜試練を潜り抜けルフィを盛り立てるゾロと優しく奉仕精神にあふれ養父の信念を守り続けるサンジ、片やファンを殺そうとし否定されたら逆ギレ、挙げ句の果てに何の責任も取らずわたしかわいそうなんだもんとぴえんし出すウタ。ちょっとレベル差がありすぎですよね?
まあ、ウタがわざと「幼い」キャラにされているというのはわかります。外界から隔絶された環境にいれば精神年齢が成長しないのも仕方ないことかもしれません。でも、だったら相応に「幼い」キャラとして描いてくれませんか?今のところウタへのキャラの反応が全部「ウタちゃんの深謀遠慮😭」「なんて深いことを考えていたんだ…😭」って感じで、全然「精神年齢ガキ」への態度じゃないんですよ。むしろ思慮深い英雄のような見送られ方です。


ウタが「かわいそう😢」と慰められまくっていることもどうにも解せません。

シャンクスに置いていかれたことは実際かわいそうだと思います。でも、正直ONE PIECE界にはもっとエグい過去のキャラがそんじょそこらにいるので、ウタだけこんなにかわいそうかわいそう😭世界滅ぼしたくなってもしょうがない😭と扱われる理由がわからないんです。
ナミは義母を殺され、裏切り者と蔑まれても故郷のために一人で戦い続けていましたし、ロビンは故郷全滅母死亡の上まともな衣食住もない環境で泥をすすってでも生き抜いてきました。サンジも人体実験&虐待&母死亡&監禁&ネグレクト&遭難のフルコースで、ブルックは気の狂うような孤独の中で50年。一味以外にも全てを奪われ殺されかけたドフラミンゴに奴隷として生きていたハンコックなど、余裕でウタよりキツい過去の人がわんさかいるわけで、正直ウタが特筆するほどかわいそうには思えません。かわいそうにはかわいそうですが、辛さ偏差値で言ったら50くらいというか…。
置いていかれたとはいえ衣食住には不自由せず育って、ゴードンというわかってくれる相手がいて、ずっと歌のレッスンに打ち込めるような環境にいた人が「かわいそうだから仕方ない😭」扱いされるなら、ロビンが古代兵器復活させても世界は甘んじて受け入れなきゃいけないレベルじゃありません?

⑧今の状況の既視感
私、今のONE PIECE界隈の状況がめちゃくちゃ既視感あるんですよね…イナズマイレブンってジャンルで………
イナズマイレブンはレベルファイブという会社が作っていた超次元サッカーを題材とするゲーム・アニメなのですが(唐突な宣伝)、シーズン6の「ギャラクシー編」で一旦制作が終了しました。それからしばらく経って「アレスの天秤・オリオンの刻印」という新シリーズが放映されたのですが、これがもうひどかったんですよ。
過去作のキャラは性格を改悪されて原型がないし、制作のお気に入りの新キャラをヨイショするために踏み台にされるのはザラ(仲間を大切にするキャラだったはずのキャプテンが『どけぇ!』と仲間に言ったり、新キャラを活躍させるために過去作キャラをさっさと退場させたり)。おまけに「イナズマイレブンといえば」で皆が求めていた熱血なサッカーではなく卑怯な反則プレーばかりが幅をきかせ、過去作の面白みが消えている。あれ!?!?!?!?!?!?!?これFILM REDやんけ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

しかも批判している原作ファンを謎の勢力が叩くところまで同じです。「僕イナイレ前作知らないけど卑怯で面白すぎwww」「普通に面白いじゃん、ちゃんと見てないんじゃないのニワカ」「浦島坂田船(edを歌っていた)を叩くなんてひどい!(誰もそんなことは話していない)」…もしかして私放送当時にタイムスリップとかしてるのかな…デジャヴすぎる…

何やかやと細かい愚痴を並べてきましたが、こういうのって全体が理にかなっていれば普通に見過ごせるものなんです。実際、昔のイナイレもONE PIECEも全てが全て素晴らしいと思うわけではありません。ん?と思うところもないではないです。それでも最終的には上手くまとまっていたから納得できていた。今回はそうならなかったという話です。

まあFILM REDは「つまらなくはない」のでアレス・オリオンと同列に語るのはやや違うんですが(アレオリは『つまらない』がまずありました)。でも批判層(=昔から純粋に楽しんでいた層)が叩かれて界隈から消えていった結果、イナズマイレブンがどうなったかというのを考えると…。まあONE PIECEは評価されていますから、どうにか持ちこたえてくれと思うばかりです。どうかイナイレみたいに死なんでくれ。大好きなジャンルが爆死していくのを見るのはもうたくさんだ。

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