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カラーの心象写真とは何か!私の実践的思考


私は心象写真が得意ではない。写真は元々「光画」と訳されているように、光を取り入れることから作られている。

実際様々な心象写真に触れると光を強調して撮られている写真が多い。光を入れたらいいのかと光と影のコントラストを意識して撮っても単純で平凡なものになった。心象写真ってよくわからないという疑問を残して…。

写真を初めて10年も経つとたくさんの写真が溜まる。たまに昔の見返していると、何かひっかかる写真が何枚か出てくる。「内容や技術はそんなによくないけど、何か気になる」写真。

並べて共通点を考える。「質感」だった。質感!写真を始めた時からデジタルでカラーだったので、光は意識しても質感は意識したことがなかった。撮る時に古い塀やブロック、古木の木の質感!入れることを私は好んで撮っていたというか撮りやすかった。写真になりやすいからである。

昭和ノスタルジーとか言われそうだけど、そういうのが残っている地域を散策するだけでも心が落ち着いた。質感には長い年月をかけて作られている街の匂いが閉じ込められているのだ。

元々モノクロームでは質感は大事にされているのが、美しいモノクロームをたくさん見る機会があったのが、私の感覚に入り込み、カラーでも質感は大事だと気付かされたのだ。

よく私は現代アート的な写真を見るとイラッとくる。なんでイラッとくるのか最近気づいたのだか、それはテーマを持たず撮ったものの感性を整理もされず、あなたが感じるまま感じてください。と押し付けられるような気がするからだった。

そういうのが心象写真には多い気がする。もちろん見る側のとらえかた次第も結構だけど、時間をかけて撮ったものだから、撮った側と見る側に共通のものを感じてもらえる努力をするのはいわゆる「メッセージ」「テーマ」大事だと思う。

そして対話し両方の心が豊かになる時、写真表現は完成するのではないかと思う。

心象写真で大事なのは、「共通する記憶」のハレーションである。
「○○の記憶」というタイトルが多いことからもそう考える。

撮影者自身が体験してきた人生の中で大事にしている記憶を想起させる光景、モノに出会った時のその瞬間を撮る。その想起させる思い入れが強ければ強いほど、写真は強くなるのだろう。

「他人にまったく興味がない写真でも、自分には興味があるのは、本人の過去の体験にそれがむすびついているからである。記念写真の第一の特色は、このように個人生活の体験と記憶に深くつながっている点にある。」伊藤知巳(記念写真の目的-個人的な生活体験の復元-より引用)

事実性の大事さ。写真における事実性とは何か。「若い頃通っていた写真学校で“写真における事実性”を考える事の大切さを厳しく教えられた。絵になるということで彼写体を選んだり、面白いと思った場面を、いいシャッターチャンスで撮るだけではだめだというのである。彼写体をよく観察し、そこに存在する事実をしっかり認識し、なぜそうなっているか、背後にあるものを考えてシャッターを切るように、そんな意味の事だった。
実際の撮影では、それを一瞬のうちに行なわなければならない。」
(英伸三 東京日曜日記 あいさつより引用)

私の体験では、人物スナップをする時、気になる被写体が現れた時、一瞬の間であるが、その人物の人間性が写るように表情、仕草、その人物の社会的背景を感じとりシャッターを切るという意味かなと思う。

心象写真でいうと、気になり光景前にカメラを構える時、なぜ私はこの光景に惹かれるのか、共感するのか、この光景の社会的背景を考えてシャッターを切るということと思う。

心象写真は、主観的か客観的か?主観的がな写真が多いが、共通する記憶という観点から考えると客観的でもある。

以上、心象写真の構成要素は、光、質感、共通の記憶、事実性の4つの要素で作られている。

ちなみに、この4つの要素を含めて写真を撮ればいい心象写真が撮れるのかというとそれも違う。それなりのセンスと技術を持ってないと難しい…。ああ写真道!

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