見出し画像

ワーキングマザーの私が気づいてしまったこと


働きながら育児をしている方(とくにお母さんが多いかな)は、一定期間で自身の働き方に不安を覚える期間が波のように来るのではないだろうか。

そしてその度に、もがき苦しみながら、何とか乗り越え、波をおさめているように思う。

私も何度も何度もその波に遭遇し、それらを乗り越えたり、あるいは波が鎮まるのを待ち続けたり、時には折り合いをつけながらやってきた。

そして今またその波に遭遇しているのである。
そして今回は長い。

きっかけは子供が感染症にかかり、一家全員が罹患したときだった。
今回は治ったかと思ったら、また別の感染症になり、結局私は、2週間職場にいけなかった。


この2週間、自身も体がしんどく辛かったのだが、もっと辛かったのが仕事のことが常に頭の傍にあったことだ。

上司は「今は看病と自分の体調で精一杯だから、仕事のことは何も考えないで」と言ってくれ、他のスタッフも出来る限り私の仕事を巻き取ってくれた。

いつも感じているが、ありがたいという気持ちと申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

スタッフみんなとにかく業務量が多い中、こうやって私の仕事をやってくれてる。
体調不良は仕方ないことだけど、辛かった。

とくに私が休んでいる時に複雑な案件もあったりし、それを他の人にやってもらっていたので、尚更申し訳なかった。

あの件どうなったんだろ、と不安な気持ちを抱えながら過ごしていた。

しかしである。
その気持ちもありつつも、1週間経つと、私は違う気持ちも芽生えていた。そしてそれは、ちょっとずつ、ちょっとずつおおきくなっていった。

それは子供に対しての愛情がなぜか今以上に大きく感じられ、その気持ちが止まらなかった。

仕事のことを考える必要がなければ、この気持ちをもっと堪能できたのに、と感じた。

自分も高熱がある中、一晩中看病して眠れない日々が何日か続いたり、意識が朦朧とする中、ままごとにつき合わされたりと、それはそれは悲惨な時もあった。
(あと、私が子供の相手をしている、その横でぐーぐー寝ている夫にも腹が立つ時もあった。)


そんな悲惨な状況だったのに、である。
熱でしんどそうにしている子供の手を握り、寝かしつけをしたり、外に出れないからベランダに出て、子供と景色を見て、「白い車見つけてみて。」とかゲームをしあったり、ネットスーパーで届いたものに一緒にワクワクしたり、、。


楽しかった。愛おしかった。
まあ、イライラすることもあったけど。
後になって思うんじゃなくて、その時、その瞬間で思った。


そして職場復帰がとても辛かった。
けど、この気持ちは感染症で気持ちが弱ってるからそうさせてるのかもしれないし、2週間子供とつきっきりで過ごせたこの非日常な時間が、そんな気持ちにさせてるのかもしれない。

きっと仕事を毎日してたら、また歯車のように生活や感情をまわしていける。
そんな風にも思っていた。


けど。
しばらく経った今。
どうにもこうにも感情の歯車がうまく回ってない気がする。
仕事をしながらでも子供のことを思い出したりする瞬間があった。
今までこんなことなかったのに。


そんなある日の朝。
その日は下の子の機嫌が悪く、何をやってもいやいや、とのけぞりかえっていた。
仕方なく私は彼を抱っこしてベランダに連れて行き、少しの間外の景色を二人で見つめていた。
「あそこにトラックが走ってるね」、「今日は雨が降ってないね」
そんなことを話していると、だんだんと子供も落ちついてきて、泣くのをやめた。

そして、そんな子供の横顔をチラッと見ると、泣いてうるうるした目に鉛色の空の景色が映っていて、ああなんてこの子は美しい瞳をしてるんだ、と思った。

「ほんとはね、ママだってずっと時間を気にせずこうしてたいんだわ。」

そんな言葉を口に出したとき、私はああ、と気づいてしまったのである。
私は子供ともっと一緒にいたいのである。

しかもそれは、もっとずっと前からあったのだと思う。
けど、そんな気持ちに蓋をしていたんだと思う。

だって、私の周りの人はみんな一生懸命、モーレツに働いているから。

だから私も、その中に紛れてモーレツに働いた。
子供との時間を理由に仕事をセーブしたい、なんて、そんなわがままなこと言ってはいけないと思っていた。


だから、そう思わないように、周りにも思わせないように働いていた。

けど、気づいてしまったこの気持ちは、日に日に大きくなり始めた。
そして、この気持ちに後ろめたさを感じてしまうのも嫌になってきた。

私は、30代後半。
ちょうどその世代はキャリアアップをどんどんしていったり、それを求められる年齢である。

けど、これは子供がいようが、独身であろうが、仕事の価値観も人それぞれである。

とはいえ、どんな事情を抱えていようが、仕事という渦中に入っていけば、皆同じようなことを求められ、そして自分もその枠からはみ出してはいけないと必死になってしまう。

その枠から少しはみ出すこと。
それは勇気と罪悪感が入り混じる。

そんなことを思いながら、私は上司に思い切って、仕事量について相談した。
上司は一生懸命親身になって私の話を聞いてくれた。
けど、限られた人員の中で回しているので、それはなかなか難しそうだった。

今回の波もやはり折り合いをつけて、また前に進むしかないかな、、。

少しそんな気持ちも出てきた時に、あることを思い出した。

かつて隣に住んでいた50代の女性。
彼女は当時、高校生の娘さん二人がいた。
当時の私は上の子を産んだばかりで慣れない育児に奮闘している中であった。
そんな私に時折り声をかけてくれ、気にかけてくれていた。

その彼女が時折り言っていた言葉は、「私、子供が本当に小さい時から働きに出てで寂しい思いもさせたから今恩返ししてんねん」

この言葉を口にしていた彼女は大病にかかり、若い娘さん二人と旦那さんを残して、亡くなられた。


彼女の言葉を思い出した時に、ああ、やっぱり諦めてはいけないな。
これはなんとかして、自分が後悔しないように、今の希望に沿った生活を作り出さないといけないな。そう感じた。

今、子を持つ親、とくに母親のキャリアアップに関する話題や発信が多く見受けられる。
それは全く悪いことではないし、働いてる以上、誰もがキャリアアップを目指していける権利はあると思う。

だけど、その反面、本当は今は仕事よりもっと大事にしたいもの、家庭と仕事を両立するための天秤がアンバランスになって、崩壊しそうな人のことも忘れないで欲しい。

これは育児をしている者だけでないと思う。
例えば介護や不妊治療をしている人。あげ出したらキリがない。

そういう人達が天秤をうまく保てなくなり、結果長年勤めてきた仕事を去るなど、バランスではなく、直球の選択をせざるを得なくなっている。

今話題の育休中のリスキリング。私は正直賛成でも反対でもないんだけど、世の中の働く母の悩みがキャリアアップと家庭の両立ばかりでない、こんな働く母もいることを忘れないで欲しいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?