見出し画像

パリの街は本当に存在していた

予定より1時間くらい遅れて、シャルル・ド・ゴール空港に着陸した。1時間くらいのフライトだから一瞬だった。2時間かけて大学行くより全然近い。入国審査も自動でスムーズにできて、呆気なさすぎるくらい簡単に入国できた。空港の駅の窓口でNavigo easy という日本のSuicaみたいなものを買ってパリ行きの電車に乗った。電車がこれで合ってるかわからなかったけど、なんとなく合ってる気がするのと、みんな乗ってたから、自分もこれに乗った。

フランスに到着
パリ北駅で乗り換え

合ってた。パリ北駅は少し治安が悪いと聞いていたけど、まあ確かに少し騒がしい気もするけど、そこまで怖さは感じなかった。そんなことより、パリ北駅で乗り換えた電車が満員電車すぎてビックリした。スーツケースも持ってたし、盗難も気をつけなきゃと思ってたから凄く気疲れした。でもとにかく泊まる場所には到着できた。ホテルではなくて、初めてホステルに泊まることにしたから、それも気がかりだったけど、割と綺麗だし、テラスもあって外で飲んだら気持ちよさそうだった。4人部屋で自分のベッド以外は使われた形跡があったから、他の人は外出中らしい。とりあえず、自分もスーツケースを置いて、エッフェル塔に向かった。

ホステルの部屋
テラス

途中の駅で乗り換えようとしたら、乗り換え先の線が運転していないらしく、どうしようか迷った。バスを少し待っても、満員で乗せてくれない様子だったから、エッフェル塔までいくのは諦めた。お腹も空いてきたし。凱旋門を一周して、シャンゼリゼ通りを歩きながら、夕飯を探すことにした。良さそうなお店は何個かあるけど、どれも高くてダメ。最終的に、ステーキのセットを17ユーロで売ってるところに入った。サラダとバゲットもついてきたから結構量あってよかった。ステーキを食べてると、「今自分って、パリのシャンゼリゼ通りでステーキ食べてる?!」みたいに自分の状況に自分で感動した。味はまあまあ。味よりも状況そのものの方が美味しかった。あと、ウェイターの1人がずっと鼻歌歌ってて、食べてる時にずっと気になってだんだけど、ついに熱唱し始めた時は吹き出しそうになった。黒い鍋みたいなやつばっかり運ばれてくるなと思ったら、ムール貝だった。しくじった。せっかくならムール貝を頼めばよかった。まあまた次の機会に食べよう。

想像の1.5倍大きい凱旋門
ステーキセット(パンもついてきた)

ホステルの近くにサクレ・クール寺院という寺院があって、帰りがてら寄ってみた。結構な数の階段を登ると、パリの夜景が一望できる場所に出た。綺麗だったから、寺院正面の階段に少し座って雰囲気を楽しんでから中に入った。建物内の装飾が圧巻で、入った時に思わず息が出た。現代に生きる自分ですらこんなにも心を動かされるのに、昔の人がこれを見たらどんな感情になったんだろうか。途中のスーパーで明日の朝食を買って宿に戻った。

サクレ・クール寺院
パリの夜景を一望

2日目はモンサンミッシェル。電車で行くこともできるみたいだけど、今回は日本の会社が主催してる現地ツアーに参加した。これならバスに乗ってまえば、座ってるだけで着く。朝6時過ぎに宿を出て、ツアーの集合場所に向かった。まだ日が出てなくて、人も少なかったから変な感じだったけど、清々しく歩けた。

朝のパリ
ガラガラの電車

途中、サービスエリアで休憩したり、ディーブシュールメール村という場所に寄ったりして、モン・サン・ミシェルの対岸についたのは13時過ぎだった。島の麓まで行けるシャトルバスを降りると、目の前にあのモン・サン・ミシェルが見えた。テレビで見た、あのシルエットがそのまま目の前にあって心が弾んだ。写真を撮っていると、同じバスに乗っていた日本の大学生に話しかけられた。彼も1人旅でここに来ているらしい。結局、島を一緒に回ることになった。

島の麓

日曜日ということもあって、島は人で溢れかえっていた。ツアーの集合時間を考えると、滞在時間は3時間弱くらいしかなく、まず昼食を見つけることが急務だった。モン・サン・ミシェルで有名なオムレツは、前に東京駅の支店で食べたことがあったから、今回は食べなくてもいいやなんて思っていたが、そもそも食べてる暇もなかった。レストランはどこも混んでいて、テイクアウトでガレットを注文した。通りの端でパパッと食べて、足早に修道院に向かった。島の道は迷路みたいになっていて、自分が今どこら辺にいるのかがさっぱりわからない。それは修道院の中も同じで、階段を登ったり、降りたりするけども、どういう構造なのか一度歩いただけではわからないと思う。それがまた楽しい。島や修道院の中を歩くのはもちろん楽しいし、西のテラスからの景色は一生忘れないものだけれども、モン・サン・ミシェルが1番綺麗に見えるのは、それを外から見た時だと思う。周りに何もない干潟のど真ん中に、アシンメトリーな修道院のシルエットがそびえる、その景色がとにかく綺麗だった。「干潟の上にポツンと浮かぶ小島に築かれた修道院」という、映画みたいな状況がその綺麗さを増大させているのは間違いないけど、その付加価値を取り除いたとしても見る価値があると思う。また来たいとも思うけど、それはかなり先のことになるだろう。だって、めっちゃ遠いから。

島内の商店街
サン・マロ湾の干潟
ディーブシュールメール村

3日目はルーブル美術館。宿から歩いて30分くらい。行ってみるとすでに結構人だかりができていた。入り口が何ヶ所かあって、中央のピラミッド入り口が1番混んでいる。他の空いている入り口から入ってもよかったけど、今日はこれ以降18時まで予定がなく、急ぐ必要はない。ピラミッド入り口の列に並んだ。10分もしないうちに入れたと思う。見たいものは決めてなかったけど、とりあえずモナリザに向かった。そしてそれは、割と呆気なく現れた。ちょっとだけ並んで、すぐに目の前まで行けた。正直それを見て、何を思ったか覚えていない。これまで何度も見たことあって、(昔、モナリザのクリアファイルを使っていた)、親しみもある絵の本物が突然現れて、奇妙な気分だった。もっと奇妙だったのは、モナリザの目の前で、昨日モン・サン・ミシェルを一緒に回った大学生に偶然会ったこと。偶然にもほどがある。とりあえず、モナリザと一緒に写真を撮った。

いざルーブルへ
ガラスのピラミッド

他にもいっぱい絵や彫刻を見たけど、その一つ一つの感想を書くのは面倒くさいので、1つピックアップして書こうと思う。ミロのヴィーナスは、古代ギリシャの彫像が柱のように並ぶシュリー翼1階の展示室にあった。一見しただけでは、他の彫刻との違いがあまりわからなかった。でも明らかにこの彫刻にだけ、人が集まっている。なぜミロのヴィーナスはそんなに有名なのか?単純に疑問を持った。「ミロのヴィーナス なぜ有名」で検索してみると、黄金比がどうとか、輪郭の具合が美しいとかそういう事が書いてあった。それはこの彫刻がこんなにも人を惹きつける理由としては不十分に感じる。気になったのは、「ミロのヴィーナスは腕が無いから美しい」という考え方。腕がない、つまり不完全な形で存在しているからこそ、人々の想像力を刺激し、美しく存在できるのだと。では、腕があったら、つまり「完全な」状態であったら、人々はこれを美しいと思わないのか?

ミロのヴィーナス

フランス旅行を通じて、「美」とか「良さ」はどこに存在するのか気になってきた。例えば、「シャンゼリゼ通りで食べたステーキは、あの通りで食べたから、あんなに美味しかった」、また、「モン・サン・ミシェルは人里離れた干潟の上にあるから美しかった」と考えるならば、「美」の状態は周りの環境によって左右され、その本質は人間の認識の中にあることになる。つまり、人間が美しいと思うから、美しいということ。反対に、「美」はその存在に内包されていて、人間がどう認識しようとその本質は変わらないと考えるなら、ステーキもモン・サン・ミシェルもどこにどんな形で存在しようとその価値は変わらないことになる。モン・サン・ミシェルとかミロのヴィーナスを見て感じるのは、前者の方。つまり周りの複合的な要素(干潟に浮かぶ島、失われた腕など)が影響して「美」を作り出していると感じる。でも、その考えだと作品自体の価値を疎かにしている気がして面白くない。音楽アーティスト、ヨルシカのコンポーザーを担当しているn-bunaさんは、自分を芸術至上主義だと言っていた。彼は、芸術作品はそれ自体が芸術であり、美であるのであって、人がどう思うかは関係ないと考えるらしい。アーティストや作者の不祥事などによって、作品を撤回したり、無かったことにするのは全くの間違い。芸術作品は、芸術の神様が作ったものを模倣しているに過ぎず、作者と作品は切り離して考えるべきだと。

モナ・リザのキューライン

結局、「作品自体にどれほどの価値があるか」という議論は自分の中では決着がつかなかった。

セーヌ川沿いの道

ルーブル美術館のあとは、ノートルダム大聖堂を訪れた。火災の影響で崩れてしまった建物内には入れなかったが、正面の外壁は割と綺麗に残っていた。これぞゴシック建築といった感じで、集合体恐怖症を気にするほど、細かい装飾がなされていた。修復したらまた来よう。

修復中のノートルダム大聖堂

お昼は、LA PARISIENNE というパン屋に行った。パリのコンテストで1位になったこともあるらしい、バゲットを頼んだ。はっきりいって、今まで食べてきたバゲットは一体なんだったのかと思うほど、美味しかった。外はサクサク、中はふんわり、と言葉にすれば容易いが、それだけではとても表現できない。とにかく美味しかった。明日の朝もどこかのお店でバゲットを買おう。

バゲット

3日目の午後にしてやっとエッフェル塔に来れた。周りが公園になっていて、和やかな雰囲気が広がっていた。エッフェル塔に登ろうか迷ったけど、混んでたし、さすがに疲れたから登らずに宿に帰って休憩するのとにした。

タイムスリップしたかのような公園
エッフェル塔

18時からCafé de la Paixというオペラ座の目の前のレストランを予約しておいた。お店の前に列ができてたけど、予約したと伝えたらすぐに入れた。1862年創業で、オスカーワイルドなどの著名人が通い、ヘミングウェイの『日はまた昇る』では作中に登場するほど有名なこのレストラン。クラシックなフランス料理が食べれると思って、すごく楽しみにしていたが、それ以上の体験をすることができた。食べ物は言わずもがな一流だった。実際、食べて笑ってしまうくらい美味しかった。そしてそれと同じくらいサービスも一流だった。テーブルを担当してくれた彼は、礼儀正しく、またフレンドリーで心地良く料理を楽しむことができた。良いレストランというのは、料理を楽しむことができる場所なんだなと初めて感じた。コース料理とシャンパン2杯で92ユーロ。全然安い。まさか、食事に関する価値観が変わるほどの体験ができると思ってなかった。次にパリに来た時も絶対訪れたい。

オペラ座の目の前のレストラン
窓際の席

パリ最後の朝は、近くのパン屋でバゲットとコーヒーを買って食べた。朝は人も少なく空気が澄んでいてとても良い。

朝のパリ2

ベルサイユ宮殿は、朝から凄い混雑と聞いていたから予約の少し早い時間に行ったが、全然空いていた。「パンがなければ〜」のテラスを少し眺めてから建物内に入った。事前に専用のアプリを入れており、基本的にそのオーディオガイドを聞きながら回った。「フランス革命の際、市民がベルサイユ宮殿に押しかけてきた時、マリーアントワネットはそこにある隠し扉から逃げました」とガイドされて、その扉が自分の目の前にある。フランス革命の一端が今立っているこの場所で起こっていたのか、、と胸がざわついた。鏡の間はやっぱり凄かった。豪華絢爛としか言いようがない。

正面のテラス
天井画
鏡の間

そして、このベルサイユ宮殿に来た目的はこの鏡の間ともう一つ、王妃の村里のため。王妃の村里とは、マリーアントワネットが宮廷生活の喧騒から逃れられるようにと、宮殿から少し離れた場所にあるプチトリアノン(小宮殿)に建設された小さな村のことである。村と言っても、誰かが住んでいる訳ではなく、家のように見える建物も装飾用。いわば、テーマパークみたいなものだと思う。そして自分はテーマパークが大好きで、それに加えて、あのマリーアントワネットが暮らしていたとなればもうそれは、完全に最高である。実際に訪れてみると、自分が想像していた以上にテーマパークだった。木々で周辺を覆うことで、宮殿や周りの建物から遮断したり、誰も住んでいないのに庭に本物の野菜が植えられていたりと。どれもどこかで聞いたことがあるような。さらに、少し奥に行くと、ウサギや羊、豚、ヤギなどいろんな動物が放し飼いされている。ここは理想郷といって過言ではないと思う。ここまで徹底された庭園が18世紀にあったなんて。1日かけてゆっくり見たかったが、15時にはパリに戻らなければならず、若干急足で全体を回った。全体を回ったと言っても、大きな道しか歩いておらず、他にもぜひ歩いてみたい細い道がいっぱいあった。次来た時は、宮殿をすっ飛ばして、ここに真っ先に来た方がいいかもしれない。

灯台(装飾)
ユートピア

自分にとってパリはずっと憧れの街だった。たぶんきっかけはピクサー映画の『レミーのおいしいレストラン』だったと思う。料理、街の風景、歴史、絵画など、複数の要素が合わさって構成される「パリ」という概念が好きだった。それは現実とは結びつかない存在だった。だから訪れたいと言っても、訪れる訳ないと思っていたし、いざ行けるとなった時に不安になった。もし本当のパリが自分の想像している「パリ」と異なっていたらどうしようか、その場合、自分の憧れはどのように昇華されれば良いのだろうか、など。しかし、実際に行ってみるとパリの街は本当に存在していた。エッフェル塔も、セーヌ川も、カフェのテラスも、おいしいレストランも、全て現実世界の一部として存在し、機能していた。そして幸運にも、それは夢見ていたイメージと重なった。こうすることで初めて、自分の中にあった「パリ」とフランスのパリが繋がることができた。今回のフランス旅行は自分にとって、そういうものだった。パリに対する自分の考えが変わることはなかったけど、前よりも確証を持ってパリを好きだと言えるようになった。また何度でも訪れたい。何度も訪れることで、また自分の中での「パリ」というものを再構築していきたい。

パリ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?