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冬籠り

日暮れは16時
ここ最近は陽が落ちるのが本当に早い。14時ごろには陽が傾き出して、15時ごろにはもう夕方ですみたいな雰囲気を醸し出す。16時を過ぎればもう夜。全くやる気が出ない。陽が出てるはずの午前中も雨が降っていることが多く、青空を定期的に摂取しないと生きていけない自分としてはかなり辛い。留学先を選定するとき、スウェーデンを候補に入れていたのだけれど、そっちにしなくてよかった。これ以上に陽が短く、さらに寒いとなると生きていける気が全くしない。

貴重な晴れ間

蚊帳の外
秋学期も折り返し地点を優に越して、11週中の7週目まで来てしまった。すこぶる早い。そもそも学期が3ヶ月しかなく、6週目はリーディングウィークと言って復習のために授業が無いため、実際に日本の大学よりもかなり短い。それでも最初の頃に比べたら、教授が言っていることもかなり聞き取れるようになったし、少しは発言できるくらいにはなったと思う。ただどの授業も平均的に参加できているわけではなく、その講義内容によるところが大きい。例えば、産業革命は国際システムをどのように変化させたのか、という問いに関してはある程度自分の意見を持って、議論に参加することができる。でも、イギリスの歴史において奴隷はどのように解釈されていたのか、チャーチルの銅像を設置することはどのような意味を持つのか、などのイギリスの歴史認識に関する議論は大抵聞いていることしかできない。イギリス人がチャーチルやボリスジョンソンをどのように認識しているかわからないし、議論自体はそうした一般的なイギリス人が持っている集団意識に疑問をかけるように設定されているわけだから、全くついていけない。しかもそうした議論の時、イギリス人の生徒は白熱してしまって早口で話すものだから聞き取るのも難しい。諦めてる。

少しずつ紅葉

留学の意義
前述の通り、こっちの授業は一般的なイギリス人、もしくはヨーロッパの人が持っている価値観に疑問を投げかけるようなものが多い。特に、これまでの歴史の中で自分たちがメインアクターとして活躍し、世界の中心として機能してきたという自負や認識を自己否定するようなものが多い。自分はその光景を見ていて、なんかもどかしいような気分になる。例えば、これまでヨーロッパの諸帝国が植民地を獲得し、搾取してきたという事実を、植民地側の視点、つまり搾取された側の視点で捉え直そうという試みはまだ学問として妥当なように感じる。しかし、例えば発展途上国を経済的に支援しようという時に、その支援は一方的なものではないか?、西洋的な価値観を押し付けているだけではないのか?、ある意味でそれは帝国主義の再来ではないのか?などの疑問を持つことは果たしてどれほど学問的に有意義なのかと思う。国際システムが多元化して、これまでよりもヨーロッパの存在感が薄くなる中で、イギリス人としてのアイデンティティが揺らいでしまっているだけではないのか。単に自己肯定感の欠如からくる悩みに付き合わされているだけではないか。留学の目的の一つとして、日本ではなくヨーロッパの視点から歴史や現在の世界情勢を捉えたいというのがあった。しかし、来てみれば、彼らはヨーロッパの視点を捨て、自己否定を行い、自分たちの存在意義を見失っていた。そんなものに付き合わされても困る。でも、実はこれこそが留学することの意義なのかもしれないとも感じる。単にイギリス的な思想を学ぶのではなくて、それが出来上がる過程や環境に身を置くことができるのはそう簡単にできるものでもない。

日本人でカレー作る

ムービーナイト
バングラデシュ人の友達と映画を見た。映画館に行ったのではなくて、ピザをテイクアウトして寮で見るという如何にも海外の学生がやってそうなことをやった。こういう「っぽいこと」をやるのってなぜこんなに楽しいんだろう。ホラー映画を見たのだけど、そこまで怖いものでもなかった。そして、これは初めて全く字幕もなしで映画を見るという初めての体験だった。やはり理解度としては60%くらい。英語がそこまでわからなくても、映像描写だけで最低限楽しめるだけの内容はわかると思う。ただ細かい表現がわからないから、ストーリーの理解が薄っぺらいものになるし、ちゃんと聞こうとすると没入感がなくなって映画を楽しめない。もう少し英語力が上がれば良いんだろうけど、今の英語力でもそこまで不自由ないのもあって、さらに英語を勉強しようという気にもならない。

ムービーナイト

ナショナルギャラリー
やっとこさナショナルギャラリーに行けた。ルーブル美術館とかと違って無料で入館できるのは凄くいい。何か目当てがあった訳ではなく、何となく行ってみたかった。強いて言うならゴッホの「ひまわり」が見たかった。外観はそれなりに豪華だが内装は割と質素で、絵を観るのに最適な環境だった。というのも、ルーブル美術館は建物が豪華過ぎる気が多少あった。でもあれはそもそも宮殿だったみたいだし、それはそれで良いと思う。長方形の展示室がいくつも横に連なるような形をしていて、1番奥の展示室にでっかい馬の絵が飾られているのが入り口からも見えてすごく印象的だった。絶対わざとだと思う。いくつか絵を見てるとドラゴンと戦っている男が描かれたものがいっぱいあるのに気づいた。調べてみると、セントジョージという聖人がドラゴン退治で街を救ったという伝説があって、そしてそのセントジョージはイギリスの守護聖人として定められているらしい。それでそんなにいっぱいある訳か。

イギリスっぽい公園
ナショナルギャラリー外観

自分は人物画よりも風景画が好きで、風景画の中でも写実的なものが好き。今回特に気に入ったのは、カナレットのヴェネチア風景画。目を凝らしてしまうほど細かく描かれていて見ていて楽しいし、まるでその場にいるような気分になれる。でもなぜイタリアのヴェネツィアの絵がイギリスの美術館に展示されているのか。それは昔、イギリスの上流階級で流行したグランドツアーというものに関係していて、彼らは芸術の中心イタリアに行って教養を身に付けようとしたらしい。そのお土産として好まれたのがイタリアの絵画。恐らく、お土産でポストカード買って帰るみたいな気分だったんだろう。それから時が経って、その作品を気に入った日本の学生が、そのポストカードを買って帰るというのは、時代を超えた凄く面白い繋がりのような気がした。早くヴェネツィアに行きたい。

ひまわりの隣はカニ

散髪
今回ロンドンを訪れたのはナショナルギャラリーのためではなくて、髪を切るため。一か八かローカルの理髪店に行くという手もあったがそこまでの勇気は出ず、素直に日経美容室を予約した。正解だった。カットからシャンプー、セットまで日本の美容室と全く変わらないサービスを受けれた。そこの美容師さん曰く、外国人の髪と日本人の髪では性質が全く異なるらしい。ローカルな美容師は日本人の髪質に慣れていないため失敗することが多く、そういう失敗談を客から沢山聞くのだとか。そんなことを聞いたら、さらにローカルの理髪店に行く気が失せる。

存在感ある夜のビッグベン

ガーディアンを読んでそうな人
ある授業の中で生徒か教授が、「ガーディアンを読んでそうな人」という表現を使った。ガーディアンがイギリスの新聞なのは知っていたが、それを「読んでいそうな人」の意味がよく分からなかった。授業の後で調べてみると、ガーディアン紙は保守党リベラル寄りで、教育や環境問題に関心がある中流階級に好まれているそう。少し嘲笑するような感じで使われていたから、いわゆる意識高い系みたいな感じだと思う。どの新聞を読んでいるかで思想グループを表現するのか。面白い。絵画にトマトソースなんかをぶち撒けて、世間に環境保護を訴える人々なんてまさにガーディアンを読んでそうではないか。(「ガーディアンを読んでる人」と「ガーディアンを読んでそうな人」はちゃんと区別されるべき)

ハリーポッターのお店

もうクリスマス
11月も後半に入り、いよいよクリスマスが近づいてきた。ロンドンもブライトンも、お店のウィンドウや街の装飾からクリスマスへと近づく高揚がヒシヒシと伝わってくる。そして早くもクリスマスマーケットが開かれ始めた。木製のお店、暖色系のライト、ツリーに飾るオーナメント、クリスマスデザインの照明、派手な柄のお皿、ロウソク、チュロス、ホットドック、ビール。ロンドンとブライトンの両方のマーケットに行ったが、どちらも同じような商品が並べられていた。日本でもお祭りといえばどこも同じようなものが並べられてるから、それと同じような感じ。特に何も買わなかったけど、雰囲気だけでも十分楽しい。

ロンドンのクリスマスマーケット
少し煙いホットドック屋
ブライトンのクリスマスマーケット


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