愛しい君に、美しい恋を捧げよう


白菊視点

「別に見送らなくてもいいんだぞ、迎えが来るわけだし」
「いや流石に年頃の娘をこの時間に1人にする訳にはいかんからな、それで何かあればあの兄弟に殺されるのは俺だ」
「む、あの二人は過保護なんだ、私はあいつらの1番ではないのに…また言っておかなければ」
「……幼なじみを俺に取られて拗ねているんだろうよ、俺は気にしていないから許してやれ」

いつものように『許嫁』として、彼の家にお邪魔した帰り、その何気ない会話、なんでもない在り来りなこの会話が、私は酷く好きだった
あの日、友成が日向と大和が手を伸ばそうとした横から私の手を取った時から、私の世界はだいぶ広がった
すくなくとも幼なじみの2人しか外の世界を知らなかった頃よりも、友人も増えたし、なにより皆が駆け稽古をつける庭を見るのが好きだった
庭なんて、ただ静かなだけだと思っていたのに

とても忙しく賑やかなあの庭と、それをこの人の隣で眺める時間が大好きだった

「月白の君」

「ほら、迎えが来たぞ」
「あ、あぁ、うん」

呼ばれ慣れていたはずの呼び方にひくりと体が揺れた、なんでもない時間の終わりの合図

「じゃ、じゃあ、多分また、近いうちに来る」
「あぁ、構わん、連絡も入れる入れない好きにしろ、基本的にはいつもいるからな」
「わかった、…そ、れじゃあ、…おやすみ、友成」
「あぁ、おやすみ、またな、竜胆」

そういって挨拶をおえて迎えの車に乗り込めば、直ぐにエンジンがかかり、車が動き出す、窓からちらりと彼の方を見れば、彼もこちらを眺めていて、なんとも言えない感情を抱える

「月白の君」
「え、あ、は、はい」

そして急に、いつも何も声をかけてくることがなかったはずの、迎えに来た運転手に声をかけられる

「許嫁様とは、良い関係を築かれているご様子で」
「え、…そ、れは、まぁ」
「良いことです、ご当主さまも喜ばれます」
「………お、じいさま」

ご当主さま、というと、自分の祖父の顔を思い出す
いつも険しい顔をしている、自分たちに何を思っているわけでもなさそうなあの人が、喜ぶ

「……そ、うか」

役に立っている、のなら、まぁ、いいとおもう
すくなくとも、なにかになれているのなら





「ですが、それも今日までです」

「っ、!んぐっ!?」

・・・・・・・・・・
後ろから伸ばされた手に、口元を押えられ、体を捕えられる
いきなりのことに反応ができない、暴れようにもどうやら後ろに潜んでいた者は男だったようで、悲しいほどに大きい体格差の前には無力だ

「っぐ、む、…!」
「裏へまわれ」
「かしこまりました」
「!」

聞いたことのある声だった
この声はたしか9人目の姉のお付だったはずだ、どうやら運転手はこいつとは手を組んでいるらしく、男の命令を聞いて、いつもとは違う道を通り始める

 ・・
「白菊様」

ひゅ、と

一瞬、なんと言われたかわからなくて、いきをのんだ

いま、なんて

「白菊様、悲しいことです、あなたは我ら、西園寺の掟を破られた」

なに、なんで、なんで、どうして

「ご当主様はお怒りです、あなたは純潔を失われた」

なんで、なまえ

「真名を失われたあなたは、もはや西園寺の姫君ではありませぬ」

最後にそれだけきこえて、次の瞬間、私の意識は閉ざされた




暗い

目が覚めたはずなのに、周りは、瞼を閉じていた時と同じように暗い

「……な、に」

理解を拒み、体を動かそうとすれば、ぎしりという音とともに体が不自然な状態になっていることに気づく
上を見上げてみても何も見えないが、どうやら縄で腕を縛られているらしい、釣り上げられているのか、足はへたり込むように座っているのに、上半身は上に引き上げられている

「な、んで」

そう声をこぼしても、何も帰ってこない暗闇に木霊するのは己の声だけだ

そうしてようやく、自分は西園寺の掟を思い出した

『真名を、血縁と許嫁以外に、しられてはならない』

「あ、」

『白菊様』

しられている、しられている、しられて

『もしも知られてしまったのなら、それは純潔を無くしたことと同義である』

『それはもはや西園寺の姫君には相応しくない』

『知られた女は、一生その身を幽閉される』

「や、やだ」

溢れたこえは響く、響くだけで、なにもかえってこない

「なんで、わたし、いってない」

言ってない、だれにも、日向や大和にも、友成にだって

「しらない、ちがう、わたし、わたし」

なのになんで?私は破ってないのに、だれにも教えてないのに

「やだ、やだ、っやだ!」

こわいこわいこわい!やだ!何も見えない、聞こえない、何も分からない
外して、だして、だして!怖い、違うのに、私は、私は

『またな、竜胆』

「っ、ともなり!」

そう名前を呼んでも、助けになんて来るはずないのに



声が枯れるまで叫んでも、恐怖で涙が溢れても、気が狂って暴れても、だれもこない

いたい、いたい、いたい、なんでいたいんだっけ、えっと、ああそう、たしかあばれたから、なわがすれて、いたいんだ、じめんにあしをぶつけて、いたくて

それで、今日は終わった


友成視点

ダン!!!!

「………随分と手荒な挨拶だな、武者小路の重宝をそんなふうに扱っていいのか?」
「黙ってくれる?その様子だと、やっぱり何も知らないんだね」

縁側で茶を飲んでいれば、湯呑みを通って顔面スレスレに横の柱に突き刺さる刀
それに動揺することもなく、投げられた方を見てみれば、また来ると望んだ少女ではなく、武者小路の兄弟がそこに立っていた

「俺は生憎とあの爺のように新しい情報を常更新している訳では無いからな、新しい話など仕入れてはいないぞ」
「そんな話じゃないんだよね」
「兄者、気持ちはわかるが抑えてくれ、話が進まない」
「……お前は少し感情的になってもいいと思うけれど」
「俺とて腹は煮えたぎっているが、かと言ってそれで荒れても意味が無いだろう」
「……なんだ、察してはいたがお前たちがそこまでなる話なのか、それは」

投げられた友切からまさかとは思っていたが、あの自身の弟にしか興味がなさそうな兄すらも怒らせ、滅多なことでは感情を荒げない弟にそこまで言わせる案件となると、流石に耳を傾ける

「────竜胆がいない」
「……は?」
「竜胆がいないんだ、どこにも」

そうして問いかけた末に出た予想だにしていなかった答えに、素っ頓狂な声を上げてしまった

彼らが竜胆とよぶのは、あの一人の、ましろの少女しかいない

「一昨日から連絡がとれないんだ、主にもお手をかりたが、主のお力は主の庇護下にいない竜胆には反応せん、それゆえ竜胆を例える名を探っていただいているのだが、ここまで反応がないと来ると、我らは手出しができん」
「それで竜胆が懐いてる君のところに来てみれば、呑気に茶をすすっているものだから、腹が立って刀投げちゃった」
「兄者!」

一昨日、といえば

「……3日前に、竜胆はこちらに来ていた」
「!それは本当か!」
「…あぁ、その時は特に様子が変わったとは思えなかったが…」

『今日は西園寺に戻る、どうせ迎えはくるさ、気にしなくていい』

「……西園寺に帰る、と、言っていたが、そちらでは無いのか」
「……西園寺は主の管轄下じゃないからね、『見る』ことは出来なかったけど、真っ先に連絡入れたよ

『月白の君はおられません』だって」
「だがそれではおかしい、竜胆が嘘をついて西園寺に帰らなかった、となればあれだが、俺とて見送りくらいはした、竜胆が西園寺の車に乗り込むところは見ている」
「……となると」

西園寺が嘘をついている

「……厄介だね、あの家は呪い師でも祓い師でもない、うちの管轄下にない場所だ、主が直接出る訳にも行かないし、まぁあの人なら出そうではあるけど、私情でわざわざ出向いてはいけない」
「と言っても兄者、我らではあの家は口を開かんぞ、かと言って一方的に殴りこめばこちらが不利になる」
「そこは主の権力を使えばどうとでもなりそうだけれど、竜胆を見つけるっていうのは私情だしねぇ、今すぐ斬り捨てたいけど」

目の前の会話から、やはり当主というのはめんどくさいなと思ってしまう
体裁のために私情をはさめない、自身の動きは家の、主の動きとなる、汚名をきせるわけにはいかない、そしてなにより

『私はあいつらの1番ではないのに』

「…………」
「─菅原殿、突然押しかけてすまなかった、続けて悪いのだが今から主のところに」
「少し待っていろ」
「む」「んん?」

縁側に座っていた腰を上げ、そういって兄弟の前から去る
懐かしい道を通って目当ての部屋を開ければ、いつから使っていないのか、少し埃を被った棚を開く

「────まったく、俺には性にあわないんだがな」

かつての相棒を手に取り、自身の帯を解いた




「───と、言うわけだ、許可をよこせ、蓮清」
「なにがと言うわけでだこのクソジジイ」

自分の菊の子の口調が似たのかそんな暴言を吐きながら、こちらを見る友に変わらず告げる

「いいだろう、お前の手足たちも結果的には願ったことだ」
「………はぁ、…いきなり来たと思えば、懐かしいものを引っ張り出してきていた上、ソレを抜いたときは、とうとう菅原の血が騒いだのかと慌てたぞ僕は」
「はは、すまん」

今俺が身につけているのは、いつものゆるりとした浴衣ではなく、戦装束だ、目の前でため息を吐いているこいつと組んでいた頃の相棒、自身の傍らには、手入れはしているがその頃から使うことは無かった愛刀を携えている

「……正直なところ、今回の西園寺の行動は、僕としては目に余る、だが藤原としては今までも見てきた行為だ、あの家はああいうものだとしてきた上で、目をかけた少女がそこに組み込まれたからといって、藤原は手を出すことは今更出来ん」
「だからこその、菅原だろう」
「…………」
「もう一度言うぞ蓮清、

・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・
この俺に、菅原家当主兼呪い師統括の権限を戻せ」

─────お前に渡した俺の権力を返せ
つまりはそういう話だ、俺が投げ渡した菅原のもつ力、それを今この瞬間、都合よく返せと、そう言った

「──もちろん、はいそうですかと渡す訳には行かないことは、いくらお前さんでもわかっているよな、友成」
「さすがにな、そう易々と返されては下のものに示しがつかんだろうことは知っている」
「ならどうする」
「そうさな、まぁ言ってしまうと、継続してこの権限を俺が保持する必要は無い、今この時のみ『貸して』くれればいいんだ」
「……………物は言いようだな」
「お前の得意分野だろう、こういうだまくらかしは」

よく知っている、そういう意味で目を細めれば、元相方はまた大きなため息を吐いて

「いいだろう」
「……ほう、それで渡していいのか」
「どうせお前さん、僕を斬り捨ててでも取り戻すつもりだったろう、そうなると部屋の外にいる子らが暴れるからな、それは僕としても困る」
「だろうなぁ」
「あと、それはそれとして」
「うん?」
「お前さんがそうも誰かを想うとは、この僕でも思わなかったよ」
「────、そうだな、俺も驚いている」

「借りるぞ、蓮清」
「頼んだ、友成」



ご当主さま!ご当主さま!侵入者です!門が破られました!
ご当主さま!武者小路の─!土御門や安倍─!源ノも─!

「「源氏進軍」」

「うわ、武者小路の師範達、顔やばいぞ、あそこはもうとまらないな…、雛たちも暴れに来たけどあそこで半壊じゃないか?」
「甘いですね雛、俺は全壊に賭けます」
「うーん、兄様と姉様は真面目にやってくれるかな?」
「私達は何故ここにいますの姉様…」
「蓮清様からのお願いを断る訳には行きませんし、頑張りましょう葵」

「とりあえず、ここは任せてください、主君は竜胆さんの方へ」
「ああ、感謝する、ところでその主君というの、あいつ以外に使いたくなければいわなくていいんだぞ」
「いいえ、たとえ一時と言えど、あなたは私たちの主ですよ、友成様」
「…お堅い事だ、…頼むぞ、頼」
「はい」

「というわけで全員殴り込みで」
「源ノの次期ご当主様は脳筋なんで?」
「あそこで一方的に蹂躙してるお師匠達に育てられたのではいとしか」
「なんにもいえなくなる返答やめてくださいよ…」

「…彼らも暴れ始めたな、兄者」
「そうだねぇ、なんだかんだあのこたちも竜胆に良くしてくれてたし、思うところもあるんだろう」
「しかしまぁ、ここまでやっておいてなんだが、こんなにも暴れて良いものか」
「はは!ほんとに今更だねぇ、大丈夫だよ弟」

 ・・・・・・
「呪い師の総帥の許嫁に手を出したんだ、たとえそれが許嫁の実家だろうと、許されはしないさ」

というわけで、源氏しんぐーん!!
おぉー!!


白菊視点

「…………?」
何も聞こえなかったのに、音がする
大きな音、騒ぎ声、大人たちの叫び声のような

「……」
ぐ、と身をよじれば、結ばれた縄が軋む音がする、壊れる音が聞こえるから、いっその事ここも壊れてしまえばいいのにと、そう思って、思うことしか出来ないのがひどく惨めで、枯れていた涙がまた溢れたのを感じる

「………、」

けほり、と叫ぶのを諦めていた喉は、声を出そうとすれば1度かすれた音を出す

ここが西園寺のどこに位置する場所なのかもわからない

声を上げたとしても気づくはずもない

────あのひとがきているわけもない

「…、と」

それでも、ぎゅ、と、涙がこぼれる目を瞑り、縋るようにあの人の顔を思い出す


「──ともなり」


ガゴンッッッ

ようやく出た言葉に続くように、何も見えなかった闇の中に、大きな音と、光が差した


友成視点

竜胆を連れ帰るついでに暴れて来いと蓮清に手渡された子供らの手綱を頼に渡して、一人ご当主さまとかいうじじいを探しだしたはいいが

なんともまぁ、くだらないはなしだった

西園寺の姫君は生まれた時に花の真名と色の敬称を授かる
花の真名は、両親と姉妹と嫁ぎ先の殿方以外には知られてはならないきまりになっており、他者に知られた場合は純潔を失ったと見なされ、西園寺に一生幽閉される

そして竜胆は、白菊という、少女に似合いの美しい花の真名を、どういう流れか許嫁である俺以外の人間にその名を知られてしまった

今回の騒動はそれゆえのものであり、それだけのものだった

あまりにもくだらない、名を知られたからなんだと、あの子はそんな古臭いしきたりで、毎日愛玩動物のように飼われてきたのかと
溢れる苛立ちを隠しもせずに舌打ちを零せば、目の前の狸爺は気分を害したのか声を荒らげ始めるので、煩わしいその音を停めさせるために耳を掠めて顔の真横に刀を突き刺してやれば、可哀想な程にガタガタと震え出した

そりゃあそうだ、西園寺は呪い師でもなければ祓い師でもない、戦うことを知らず、誰かに取り入ることで生きながらえてきた家だ

意気揚々と話すことにしか集中せず、話している相手が殺気を出していることにも気づかないような間抜けが震えながらもどこかが切れたのか声を荒らげるので、刀を抜いて、相手の顔面に刀を振り下ろせば、ようやっと大人しくなった
寸止めだというのに気絶とは、やはり間抜けな男だ

そんなことよりも、先に告げられた少女が幽閉された部屋に向かう方が、己にとっては重要なことであり、刀を鞘に戻せばさっさと駆け出す

時折聞こえる破壊音と叫び声に、怒号や楽しそうな声を聞いて口角をほんの少しあげつつ、たどり着いた部屋は西園寺の屋敷の奥、ぱっと見れば分からないように細工されている家と言うには小さく、部屋と言うには大きい場所
それでもその中から感じる覚えのある、己とはまったく反対の清廉な霊力で求めていた場所であることを確信する、厳重な錠を斬って捨てようと刀に手をかけて

「─と」

声が聞こえた

「───ともなり」

その縋るような声に、錠など忘れ、刀を抜くよりも早く扉を戸惑いも容赦もなく蹴り壊す、あかりのひとつもないその部屋に、うっすらとした明かりが差し込む

かと言ってそれは強い光源にはならず、目を凝らしてその中、部屋の奥にいるはずの存在を探す

「───だ、れ」
「竜胆」

聞こえた声に、反射的に名を呼んだ、声が聞こえた方向に目を凝らせば、白い、それこそ、真名の花のような少女が、天井から繋がった縄に両腕を上にあげた状態で縛られ、へたり混んだ状態で、蜜をとかして閉じ込めたような瞳からぼろぼろと止まらぬ雫を流してこちらを見ていた

「竜胆、俺だ、友成だ」
「…と、も…な、り…?」

驚かせないように駆け足にならないよう、だが素早く、涙を流す少女の側へしゃがみ寄り片膝を地面につけ、少女と目線を合わせる
精神状態があやふやになっている可能性を考え、怯えさせないように名前を告げると、少女はその名前を飲み込むように返してくれる、叫んだのかなんなのか、その愛らしい声は少し枯れていた

「もう大丈夫だ竜胆、帰ろう」

ギチギチと少女の腕を縛っていた縄を、まずは天井から切り離して腕を下ろさせ、そこから解く、おそらく自分でも解こうとしたり、発狂しかけた時に暴れたのだろう、ところどころ擦れて真っ赤になって、血が出ているところも見受けられる
それが痛まないように、丁寧に丁寧に、最大限の慎重さを持って縄を弄れば、思ったよりも簡単に縄は解くことが出来た
おそらく、外側からではなく、縛られている者側から外そうとすれば、どんどんときつく締め付けられるようになる縛り方だったらしい、悪趣味にも程があると、舌打ちをしかけて慌てて口を閉ざす、そうしていると縛りを解かれる腕を眺めていた少女から、声が零れる

「と、とも、ともなり、ともなり」
「…どうした竜胆、痛んだか」
「かえるって、どこにいけばいいんだ」
「は?」

思わず声が出てしまった、いや、いつも声に出す言葉に衣など着せたことなどないが、それでも思考よりも先に理解不能な声が出た
そんな俺を他所に、竜胆はくしゃりと、自由になった手で耳の辺りの髪を非対称につかみ、目を見開いて顔を俯かせながらつらつらと言葉を放つ、こぼれ落ちる涙はまだ止まっていない

「わた、わたしは、どこにいけばいいんだ、かえるってどこ、わたしここいがいないんだ、ここにしかいちゃいけなくて、もうだめって、でられないんだ、かえりたい、どこ、どこにいるんだ、ひゅうが、やまと、どこ」
「竜胆」
「わかんない、ともなり、ともなり、どうしたらいい、わからない、かえるってなに、わたし、どこにも、どこにもいけない」
「────」
         ・・・
……正直に言おう、想定外だった
まさかここまでだったとは、なんて、言い訳にしかならないことを考える
まさかこんなにも、少女の世界は閉ざされていたなんて
あの暖かい内庭を、帰る場所とすら思っていないだなんて
あの笑いあった空間に、帰るという想像すら出来ていないだなんて、全くもって思わなかった

少女の声は止まらない、少女の涙は止まらない
きっと俺が何を言おうと、少女は安心することなどできない
だって彼女に、「安心した」と思えたことなどないのだから

彼女にとって、あの幸福な時間は、いつだって仮初の夢だった

彼女は、いつもひとりぼっちだった

──────ならば

 ・・
「白菊」

・・
真名を呼ぶ、竜胆などという渾名ではない、彼女の真名を、そうすれば目の前の彼女は大きく体をびくりと揺らし、ひゅ、と喉を鳴らしてこちらを見上げた

驚愕、混乱、────恐怖

彼女の表情はそれらの色に染まり、なんで、と、酷く怯えた声を出した

声が届かないのなら、まずは声が届くようにしなければならない
…我ながらあまりにも惨い手を使ったとは思うが、仕方がない

「ま、ま、まって、まって、ともなり、おねが、まって」
「白菊」
「だめ、だめ、なんだ、それだめ、なまえ」

真名(なまえ)、西園寺の姫君の決まり事、西園寺の姫君は、親と姉妹、そして嫁ぎ先の殿方以外に、真名を知られてはならない、それを破れば、純潔を失ったものとして、西園寺に一生幽閉されるという「しきたり」

今の彼女はその決まりを彼女の意思とは全く関係の無い別の場所で、第三者によって破られた末にこの光ひとつ入らない部屋に幽閉されていた

「白菊、少しでいい、聞け」
「なん、だって、また、また、とじこめられる、いやだ、やだ、やだ、こわい、くらいのはやだ、おねが、おねがい、ともなり、おねがい、だから」

恐怖する、怯える彼女に何が起きたのか、考えるまでもない
 ・・・・・・
『何も無かった』のだ

何も無い、光すらもない、闇の中で1人、呟いても返る声はなく、ただ1人で無の中を、何分、何時間、何日

人間は五感によって正気を乱し、そしてまた正気を正す生き物だ

そんな人間が、しかもまだ成人にも満たっていない少女が、何も聞こえない何も見えない何も匂わない何も味がしない何も触れられない無の中で、正気を保っていられるわけが無い、体内時計もとうに狂ってしまっているだろう、どれだけ時が進んでいるかも分からない暗闇は、1秒を永遠のようにすら感じさせる
そして少女は、姉達のような無知で無垢な子らに比べて、悲しいことにもっとずっと頭が良かった
頭がいいから理解してしまう、『何も無い』と、正確に、精密に

何も無い、それは、白菊という少女が最も恐れるものだった

(お前は何も無い自分を見たくないんだろう)
力なく暴れる少女を簡単に押さえ込みながら考える
何も無い場所では、何も無い自分はあまりにも惨めで

(だからこそ、お前は、あのとき)

『ともなり』

あんなにも小さな悲鳴をあげたのだろう

「や、だ、やだ、ともなり、はなして、はなし、」
「白菊」
「やだ、もう、ひとりはやだっ、ともなっ」

「好きだ、白菊」
「、っは…」

おれに、助けを求めたんだろうに

「な、に、…え…?」

あまりにも突拍子もない告白に、恐怖も焦りも忘れてただ驚愕の表情を浮かべるのが、ほんの少し面白い
怯えられているのが嫌だったのか、なんて柄にもない思いに気づきながら、言葉を続ける、あぁ全く、俺はこんなにも喋る方ではなかったんだが


「俺はお前が好きだ、白菊」
「っ、ぁ、っ、…う、うそ、うそだ」
「うそじゃない、俺はお前のことが好きだ」

紡ぐ、少女はやっぱり信じない、知っていたことだ
こんな言葉、きっと少女は何度吐かれたかも分からない、何度そうあれと教えられてきたのか
愛玩だけの、上辺だけの愛など、少女にとっては毒にしかならない

「だって、だ、だって、みんなちがった、みん、みんなっ、すきじゃ、すきじゃ、なかったっ、わたしのことっなんて、っすきじゃなかった!ちがう!」
「違わない、それはそいつらの話だ、俺の話じゃない」
「ちが、う、ちがう、ぅ、っ!」
「違わない、違わないんだ、白菊」

少女は「愛」が恐ろしい、愛玩しか知らない少女は、愛されることしか知らないくせに、真実を知ってしまった

だからそれを塗り替える

ちょうどいい所にそれに相応しい『恋慕』があったのだ、使わない手はないだろう

「───お前以外は、何も無くたっていいんだ、お前が許してくれるのなら、俺はお前を、誰も知らないところへ連れ去ってしまいたいとすらおもっている、ずっと、2人だけで居たいとすら」
「っ、…う、…ぅ、う、っ」


──────笑える

俺がこんなにも、誰かに恋い焦がれることが出来たとは、蓮清に聞かれれば笑いものだ、いや、もしくはあいつですらひっくり返るかもしれん

「お前のことだけを、愛している、俺の白菊」

何者にもなれないのなら、俺の唯一になればいい

いやはやほんとうに、甘ったるい言葉だ

「……………わ、たしは、ともなり、ともなりのこと、なにもしらない」
「……ようやく否定を辞めたかと思えば、なんだ」
「だ、だって、しらな、しらない、なんで、なんでそんなこといえるんだ」

人生で初めて使った胸焼けする言葉を告終われば、少女は疑問を告げてくる

「……と、とも、っ、ともなり、っは、わたしのこと、しってる、の、かもしれない、でも、でも、わたし、わたしは、なにもしらない、わからない」
「そうだろうな、俺のことは俺も分からないよ、あと一応言っておくが、俺もお前のことなんてわからん」
「……じゃあ、なんで、すきなんていえるんだ、あいしてる、なんて、いえるんだ」

すん、と鼻を鳴らす音がつづく、先のパニック状態よりはだいぶ落ち着いたらしいが、泣くのは相変わらず変わっていない

「そんなもの、そう思ったから以外にあるか?」
「……………」
「………………いや、正直なところ、俺も人を愛したことは無いからわからん、何が正解で今俺がこうしていることが正しいのかなんて何も分からないよ」
「……だったら、きみだって、おなじ、かも、しれない、のに」
「まだそんなことを言うのか、あれでも俺渾身の愛の告白だったんだが」
「……っだって、わかんな、わか、わかんない、ぃ」
「あぁ泣くな泣くな、ずっと泣いているんだ、それ以上泣けばもっと酷く腫れるだろうに」

止まりつつあった涙腺からまたボロボロと溢れ出すのを見て、慌てて擦ろうとする手を止めて抱きしめ背中と頭を撫でる
何も分からない、今まで人にこんなことをしたことは無かったんだから、俺が人を慰めるだなんて、俺が人を抱き締めるだなんて生まれてきて今まで、1度もなかったんだから

「………なぁ、白菊」
「っ、ひ、ひっ、っ、ヒッあ」
「あぁ答えなくてもいい、俺が一方的に言いたいだけだ、無理に止めようとしなくていい」

背中を撫でる、ひくつく体はあまりにも小さい

「…………帰ろう、白菊」

そう、もう一度、同じことを告げる

「…、っ…っ、か、かえっ、かえる、って、どこ、に」
「俺のところにだ」
「は、っ」

「俺の元に帰ってきてくれ、共に、一緒に、帰ろう」

「……っ、あ、」
「………それとも、こう言った方がいいか?」
「っえ、ともっ、っ、ふ」

彼女の唇に、触れるだけのキスを落とす

「───俺を、お前の居場所にしてくれ、白菊」

じわりと赤くなる頬を撫でながら、最大限の愛を告げる

「っ、っ、つ」
「…ふふ、人間、驚きすぎると涙も止まるものだな」

蛇口を閉めたように止まった涙の代わりに赤くなっていく肌と、こちらを見て目を見開き震えるその顔が愛おしい

「それで、俺は今、好いた女に今世紀最大のプロポーズをしたつもりだったんだが、返答は貰えるのか?」
「っ、っ〜〜!」

さらに赤くなって声を引き攣らせる少女は愛らしい、心地の善い感情にこのままずっと気分良くひたっていたい

そんなことを呑気に思っていれば、不意にぐいっと、襟を捕まれ、引き寄せられて、柔らかいものが口に当たった
直ぐにそれは離されて、至近距離に赤い肌と潤んだ琥珀の瞳が見える

「…っ、…わたしを、きみのいちばんにしてくれ、友成」
「……っ、はは、あぁ、もちろんだ!」

───────愛しい君へ、美しい愛を捧げよう

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