見出し画像

いと

 このnoteを書き始めるまで、約一か月を要した。
あれや、これやとわからない言葉が多くでてくる。
アカウント?ユーザー名?ID?好きでもないのに、スキとはどういうこと?
 さらに、noteより先にTwitterだとかGoogleまで、なぜか登録しろとある。
その度に、
『よくわからん。なんでグーグルに登録しないといけないのか。詐欺じゃない?』
と、いつものように猜疑心が出てくる。
 何でもすぐにググって調べるネット検索をするが、ともかく理解力がない。
というより、そもそもカタカナやローマ字の言葉の意味がわからない。その言葉を検索していると、さらに次の言葉を検索している。
これが、ネットサーフィンというものか?!(違うと思う)
で、いつの間にか、元に戻らなくなってしまう。
 そして、やっと元の画面に戻ったかと思うと、また初めからやり直し、うんざりしてくる。
 何度も繰り返しているうちに、いいかげん面倒になってくる。(ともかく持続力がない)

歳を取ると辛抱ということができなくなる。(そう忍耐力もない)

 若いうちは、時間はいくらでもあり、やり続けてしまうが、年寄には残された時間がないのだ。(いやいや、何もしていないので、時間はいくらでもたっぷりあるはず・・・)

『まあ、別にすぐには困らないので、特に今しなくていいか』
と、ここで、いつもの定番理由をつけてあっさり諦めてしまう。(いやいや、今、困ってるし・・・)
年を取ると、必ず自分勝手な都合のいい理由がでてくる。(ともかく理屈だけはつけたがる)
 絡まった糸が、ますますこんがらがって、大きくもつれたまま。

 それが、世の中は広いもんで、ある時ひょんなことから、解決していく。
 もつれあげた糸が解けないと、諦めて横に投げてあったものが、三十代の若者がきてアッと言う間に、苦もなくほどいてくれた。
 目を丸くして、その手さばきをみる。まるでゲームのように、絡みついた何重もの糸が次々にほどかれていく。そしてゲームの最後に出てくるお馴染みの『おめでとう!クリア!』とファンファーレと共に表示されるのかと思ったくらいだ。

「これでいい?あとは、文書を書くだけよ」
「あ、ありがと」
なるほど、いつも傍らで、片時もスマホをいじっている若者には敵わないと、能力の違いを思いしらされる。言っとくが、この若者の中には四歳の孫も含まれる。

お陰でどうにか、noteには投稿できるようになった。
毎日、触っていれば、まだ忘れない。
 まだ・・・

 しかし、残念ながら、最初に教えてもらったはずのTwitterは、いつの間にか、またもや糸が絡まってしまったらしい。
糸の端っこすらも見えてこなくなった。
年取ると記憶力がなくなる。

「若者!? 
 若者!
 お~い!
 このもつれた糸を、またほどいてくれないか!
ちゃちゃと!いつものように!」

こうやって、いつのまにか、年寄から若者が離れていくのだろう。

でも、おまえとの糸は離せへんでえ。
(年寄りは執着力が強いねん)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?