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顔色


 家の真向かいに、黒人の外国人が引っ越してきた。
子供が五人、日本人の奥さんとの七人家族。子供達は幼児から高校生くらいだろうか、賑やかだ。特に朝の登校時は、家の中にいても直ぐわかる。
自分ちの家でも、昔はこうだったのだろうと思い出したが、今は老夫婦のふたりだけ、いるかいないのか、生きているか死んでいるのか、わからないぐらい静かなもんだ。
 向かいの家からは、いつも英語で会話をしている声が聞こえるが、朝出会うと、
「おはようございます」
ときれいな日本語で挨拶をしてくれる。
 そして、出かける時は
「行ってきます!」
近所に住んでいる何も言わない日本人の若者より、よっぽど好印象で日本語がうまい。

 私の家の隣には、ほとんど外に出ることもなく、一日中、家の中で過ごしている高齢の母が一人いる。
ある日、母がまるで初めて見たように、
「見た?今度引っ越してきた人、色が黒いよ」
「黒い?そりゃあ、黒人だから肌は黒いよ。むこうからすれば、こっちは黄色よ」
と答えると、
「黄色?わたしゃあ白いよ。でも大丈夫なの。一緒に生活できるの」
なんと、外国人と話などしたことがない戦前生まれの母は、まるで進駐軍が来たかのように、顔の色が違うだけで不安がっている。
 
 昔、初めて中東のエジプトに行ったことを思い出した。
成田から、ドバイを経てカイロまでエジプト航空を使った。
 驚いたことに、スチュワーデス、今でいう女性のCAが一人もいなかった。すべて、鼻髭をたくわえた男性のスチュワードだった。
なぜ女性がいないのか、とても残念に思った記憶がある。
 早朝、カイロ空港に着くと、機上で飲んだ免税店のめったに飲めない酒のせいか、早速に空港のトイレに行った。
 トイレの入口には、頭にターバンを巻き、首から足まで白い長そでの服を着た、顔はもちろん黒い大男が一人立っていた。
『なんなん?』
と思いながらも、ここでも、こっちはつま先立ちでオシッコを済ませる。
他に人は誰もいない。入った時から、ずーとなんともいえない視線を感じている。
 洗面台で手を洗う。
鏡の中で、黒い肌のいかつい眼光をした男が、まだこちらを伺っている。
『入国早々やられてしまうのか。まだピラミッドも見ていないのに、もうおさらばかよ』
緊張しているのか、冷や汗がすーと背中を落ちる気がした。酔いはとっくに覚めている。
 眼を合わさないよう、といってここで妙に走るとまずいと思い、あえて落ち着き払ったような態度で出ようとした。
すると、突然、大男はでかい図体でこちらの行く手を塞ぐではないか。
「え!」
とっさに、まだお金を両替していないことを悔やんだ。何かあれば、直ぐに金を出せばいいと聞いていたからだ。財布にはここでは意味を為さない福沢諭吉しか入っていなかった。
 恐る恐る下から大男の顔を見る。
すると、手に持っていたトイレットペーパーを、二十センチ位の長さでちぎり、黙って私に渡そうとする。
『これで、手を拭けということか?』
と思ったが、ここで妙に関わってはいけない。ともかくこっちには今、現金が無い。
「ノー、サンキュー」
と毅然と言いながら、実はちびりそうになりながらもトイレを出た。
すると、大男は大男でまるでほっとしたように、椅子に腰を下ろして一息ついていた。
 もしかして、向こうは向こうで、表情のまったくわからない黄色い顔色した不気味な東洋人に緊張していたのだろうか?
 アラ~の紙、いや神に聞いてみたいところだった。

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