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嫌いという気持ち。

ホロスコープの勉強をしています。
しばらくは企画はお休みして、こちらに専念するつもりだったのですが、
ちょうど、火星についての記事を書いたところでもあり、ふと思うところがありましたので、参加させてください。


山根あきらさんの企画に参加します。


#嫌いな人から学んだこと


ホロスコープを勉強しています。
生まれてから7才くらいまでの、いわゆる"月"の時代。

思い返してみれば、私は自然とたわむれながら、わりと自由に過ごしていました。

その頃の私は、楽しい、いや、怖い、怒るなどの感情はあったものの、
人に対して憎悪の念を持つことはなかったと記憶しています。

初めて人を嫌いになったのは、
小学二年生のとき。
担任のT先生。
子育てをしてみて振り返ると、
二年生と言えば、まだまだ騒がしい頃。

当時のT先生は、30代くらいだったでしょうか。
何かのきっかけですぐにキレる女の先生でした。

キレるといきなり怒鳴り散らし、授業を放棄して職員室に帰ってしまいます。

放っておくと、いつまで経っても帰ってきてくれないので、仕方なく、皆で相談して誰か2人が代表で職員室まで謝りに行くのです。

あまりに頻繁に怒るので、何が悪かったのかわからないこともしばしばでした。
みんな、びくびくしながら、毎日息を潜めるように授業を受けていました。


対して、一年生のときの担任のM先生は、とても優しい大人の女の先生で、私は大好きでした。

M先生は、手作りのしおりに、1人1人の名前を、きれいなひらがなで大きく書いたものを私達にプレゼントしてくれました。授業の内容とかは覚えていないのですが、その嬉しかったことは今でも覚えています。

ですから、T先生はある意味、人生におけるカルチャーショックの第一人者でした。


すぐにキレる。それだけでは、ただ嫌なことをする先生、面倒な先生、困った先生、だったのですが、あることをきっかけに、私はT先生が大嫌いになりました。


ある冬の授業で、詩を書くことになりました。

しばらくすると、みんなが書いた詩は、藁半紙に刷られて、色画用紙の表紙がつけられて、文集になりました。

そこで、T先生が、絶賛した詩がありました。
男子の1人が書いたもので、
ある女の子のことを書いた詩でした。

その女の子は、アトピーがひどく、いつも手が荒れていました。
男の子は、当時、渡り廊下の掃除当番だった
その女の子が冬の冷たい中、掃除をしてくれて
真っ赤になった手を見て、えらいねっていうようなことを詩にしていました。

T先生は、その男の子のことと、その女の子のことを優しいとか頑張ってえらいねなどとを珍しく褒めちぎっていました。

でも。

実際には、その冷たい渡り廊下を、冷たい風が吹き荒ぶ中、バケツに水を汲んで一生懸命に掃除をしていたのは、その子だけではありませんでした。寧ろ、その子の手が荒れているからと私の方が、頑張って、手は冷たくて痛いけれども頑張って、掃除していたのです。

それなのに。
その女の子が、かわいそうだというふうに
先生は話し、その子だけを褒めたのです。

ホロスコープを知っている人なら、わかると思いますが、私は月がおとめ座。それに冥王星までついています。黙々と、文句も言わず、嫌がらず、真面目に頑張っていました。

そのつもりでした。
それが、まるでその子の手が赤いだけで、
他の当番がかわいそうな事をさせたかのような、
褒め方だったのです。

その子はその子でがんばった。
でも、私を含めた他の子達のがんばりは、
なかったことになっていた。


悔しい

T先生をを大嫌いになった瞬間でした。

家でそんなことがあろうものなら、例えケンカになろうが、叱られようが、親に主張していたと思います。


でも、T先生。
言い返しても意味がない。

そこで何か言えるわけもなく。
それまで、助けてあげたいと思っていたその女の子までも少しだけ嫌いになった私でした。


学んだことと言えば、
人は優しい人、公正な人、話せばわかってもらえる人ばかりではないということ。


当時のT先生の浮き沈みの激しさ、すぐかっとなるところ、大人になった今の私なら、
T先生側の事情もあるのだろうと推測出来ます。


でも、あの時はとても悔しかったし、
悲しかった。


一つ自分を褒められるとすれば、

私はそこで、ちゃんと悔しかった。
我ながらえらかったと思う。
褒められたくて頑張ったのでもない。
掃除だから、きれいにしたかった。
その女の子も悪くない。
それも知っている。

ホロスコープでいう水星の知性の時代。


いいこと、悪いことを分別して、
先生をちゃんと嫌いになることが出来た。
先生を嫌いになるということは、
自分の気持ちに正直だったのだから。


長い人生の中で、似たようなこと、似たような人には、その後何度も巡り合い、やっぱり似たような理不尽な態度に悔しい思いもしてきました。


でも、そこで腐らなければ、自分が頑張ったことは、それで打ち消されることはない。
広い社会の中では、どこかでそれを見てくれている人もいる。
それも、知りました。


世の中には、捨てる神あれば、
拾う神もある。


嫌いな人は、不公平だった。

かわいそうに見える人のがんばりだけを褒めた。
(もしかしたらその女の子だって、嫌だったかもしれない)

感情にまかせて、八つ当たりをした。

自分だけが正しいと、それぞれの個性や頑張りを見ていなかった。


反面教師。


今、その鏡の裏側の価値の大切さが
ちゃんとわかる大人になっています。


今の歳になって思うと、T先生も、若かったから
色んなことがあったのでしょう。
ご苦労なされていたのかもしれない。


#嫌いな人から学んだこと



今だったら、T先生のような人に何か手伝えることはないかと考えるくらいには、大人になりました。その後のT先生もまた、経験を重ねていらっしゃるでしょうから、素敵な方になっているかもしれません。

私も子育てをして、
自分がその立場になったときに。
仕事をして、後から来る人達に教えるときに。
ちょっとだけ、その気持ちもわかりました。

でも、同じようにはやりません。
そのやり方は嫌いだから。


おかげさまで、


私は今、自分が大好きです。


今なら、ありがとうと言えるのかもしれない。