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戦国武将たちと茶の湯:豊臣秀吉編

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

今回は豊臣秀吉編です。大河ドラマでも度々お茶を点てる様子だったり頂く様子だったりがほぼ必ず登場するほど戦国武将の中でも特に茶の湯に没頭した人です。

秀吉といえば黄金の茶室!


当時は侘茶な茶の湯に絢爛豪華を加えた茶室が造られました。
お茶を点てるのに必要なお道具は
御釜・御茶碗・御水差・建水・柄杓・茶杓・茶筅・・・
その他の細かいものは一先ず置いておいて、柄杓と茶筅以外はすべて黄金造りというシロモノ。
更に組み立て式であるため持ち運びも可能で、地方で茶会を開催する時には数個の箱に入れて権力誇示の為にも使っています。
何せすべてが黄金、政治的権威を知らしめるのにも大いに役立ちました。
その他にも秀吉は
 『豊臣秀吉自筆茶道具目録』(とよとみひでよしさどうぐもくろく)
 『豊臣秀吉書院振舞定書』(とよとみひでよししょいんふるまいさだめがき)
 『豊臣秀吉茶湯客仁次第』(とよとみひでよしちゃのゆきゃくじんしだい)
等、色々な定めを規定してお茶を楽しみました。

茶の湯を政治に利用したのはかつての主君、織田信長も同じですが、秀吉の方がより効果的に利用し、反面、純粋に楽しんでもいる印象です。

ちなみに、この黄金の茶室は現在復元されて名護屋城博物館に展示されています。ご興味のある方は一度ご覧ください。度肝を抜かれます。

豊臣秀吉の茶会

秀吉は茶の湯に没頭するとともに数多くの茶席を建立し、茶席を開催しています。
本能寺後の築城地となった宝積寺の本堂後ろに「杉の庵」(この庵は後の山里丸と呼ばれる草庵の原型ではないかと言われています(天王寺屋会記))、
大阪城の茶室、そして組み立て式の黄金の茶室を建立。

有名なのは北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)。
北野天満宮の境内を会場として開催された大茶会です。
例の黄金茶室の他、三茶席を持ち込み、名物道具を展示させ、利休、宗及、宗久ら三宗匠の四茶席が構えられたうえに、それぞれに秀吉の道具で茶を点てたそうです。
同時期、聚楽第にも茶室を建立、名護屋城にも山里丸、晩年に入り伏見城御学問所記(ふしみじょうごがくもんしょのき)、と次々と建立しています。

現在まで残る秀吉の軌跡

本来、茶の湯は侘茶が好まれましたが、そこに秀吉が豪華さを加えました。
信長時代から黄金は取り入れられていましたが、本格的に・・・というかかなり大胆に黄金を取り入れて絢爛豪華にしたのは間違いなく秀吉が初めてだと思います。
ところが以外なことに、素朴・質素なものこそが茶の湯に合うと思っていたところ、黄金が絶妙にハマってしまっているんですよね。
秀吉も黄金に拘ったりもしましたが建立した茶室は二畳敷であったり四畳半であったりと侘を意識しています。
豊臣政権は間違いなく茶の湯全盛期といえるのではないでしょうか。
豊臣家は秀吉以外にも茶の湯に親しんだ者がいます。一族で茶の湯を楽しめるとは羨ましい。
現在でも秀吉ゆかりの茶席は各地で開催されていますし、秀吉ゆかりのお道具も展示されたりしています。復元された黄金の茶室もしっかり使われています。太閤気分を味わえるかもしれません。開催日を確認して一度は拝見させて頂きたいものです。

参考
角川茶道大辞典 普及版
平成14年9月20日 初版
平成14年11月5日 再版 

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