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地震で始まった2024年、新潟県の当地では震度5強で揺れた

当地は甚大な被害が出ている石川県でなく、新潟県、震度は5強だった。
テレビなどで観る被害の様子はお気の毒でならない、
せめてもの気持ちで、義援金の寄付をした。

当地は、過去地震で大きな被害が出たこともあり、余震があるたびに心が掴まれたようになり、苦しいような気がする、そんな時は書く事により気持ちが落ち着くという経験が有るので、ダラダラと書かせていただきたい。

家を出る時に、持っていた携帯が地震速報特有のギュンギュンという鳴り方をしたので、部屋に戻りテレビを見たら石川県で震度5強の揺れとあったので、こちらでは大丈夫と、車に乗り込んで発進した。

 海岸沿いの知人宅に遊びに行っている家族を迎えに行くのが目的、海の見える海岸通りを走っている時に最大震度の揺れが来た。つけてあったテレビ音声の警報が鳴り、車が上から何かに掴まれて左右に強く引っ張っぱられるような力を受けて、危険を感じて路肩に停車した。他の車も停まっていた。

直ぐに石川県で震度7で有ると報じられ、2004年の中越地震を思い出した。7で揺れると、街並みが通り丸ごと倒壊する、6強だと、弱い建物がとびとびに倒壊するが7は違うと言う話を思い出す。

しかし、直ぐに津波警報が報じられるが、窓の右に海が見える、目的地はしばらく走って海岸の砂丘をゆるゆると登る途中のあたり、後で調べたら海抜5メートル位の所、たどり着いたら避難の準備をして家の外に家族で出ていた。用意してきたお年玉の袋を押し付けるように子供達に手渡して家族を拾って自宅に戻った。

知人宅前に停車して振り向くと、海が見える、テレビの音声では津波警報と、すでに津波は到達していますと伝えている、あの海の景色は目に焼きついた、どうか何事もなくいてくれと。

自宅は、海岸の砂丘を登った頂点辺りに有り、海抜は10メートルほど有る、警報で最大の津波が来てもここまでは来る可能性は低いが、海からは500mほどしか無い。
車の流れが多くなり、家の前が一時渋滞した、近所のお宅ではあまり動きが無い。どうする?市からは避難指示は無い。
家族会議の結果、砂丘の上を伝わって海抜40メートルほど有る公園(赤坂山公園)の駐車場を目指した。一部川沿いを走り橋を渡らなくてはいけないが、概ね高台を辿るルートを通った。行ってみるとたくさんの車が集まっていたが、少し離れた第二駐車場に停める事ができた。

もし水が来たらという心配が無いのがとてもありがたく、度々鳴る地震警報もかなり落ち着いて聞く事ができた。結局警報発令から4時間後、自宅に戻った。市のハザードマップで安全で有ることも確認した。

非常持ち出しを作ってあったのでそのカバンと、手周りの食糧、そして市から全戸に配布されている広報を無線で受信して、かつラジオ機能の付いている防災用受信機を持って行った。前日にガソリンを満タンにしてあって心強かった。

滅多な事で津波は来ないと思ったが、安心な場所に逃げた事で、気持ちが落ち着いた。
被害の大きい地域の方々は、お気の毒でならない、できるだけ早く支援が行き渡り大きな余震がないことをお祈りしている。





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