【人生棚卸】映画「Edie(邦題 イーディ 83歳 …)」から、考えたい老後

あたしも、自分の人生に終わりについて考えることが多くなった。
このブログを書いているのも、終活ともとれる。

そこには、自分史を書く人もいるだろうし、日記を書く人もいる。
あたしは、投稿をはじめたが、どんな内容を主として行くのか、
まだこの先はキメていない。
どこまで書くのか、何を書くのか、見せたいもの、教えたいものは
見えていない。
 
そして先日、アマプラでこの映画を見た。

きれいな音楽を背景に、たんたんと映像は流れる。
主人公のイーディは老人ホームに入ることになる。
(多くの海外映画を見ているが、年を取ると見な入るようだ)
これは、日本との社会構造の差だが、制度と慣習を調べて見たい。

老人ホームに入ることになった、主人公のイーディは
自身の人生に不幸を感じていた。
唯一の良い思い出はやんちゃな子供時代だけだ。
晩年に父とスコットランドの山に登る約束を思い出し、旅立つ。

多くの老人にみられるように、イーディも頑固で固くなで、意固地だ。
(みな同じ意味だね)
徐々に若者と心を通わしていくイーディだが想いはどのような形で
成し遂げるのかがハイライトとなる。

舞台のスコットランド、無味乾燥の言葉が合うこの地は美しくもなく、
心のときめきは少ない場所と思えるが、心が解き放たれたイーディは
きれいだわと言って感動する。
それはイーディの半生が悲惨だったことを表している。

イーディが、父との約束を思い出したのはカフェでのひと時だ。
気の置けないカフェでいつものものを食べていると、イーディの質問
に対して、店主は「never  too  late」と答える。
遅くはないという意味だろう。
 
あたしは、この言葉が気になった。
いくつになっても、何かを始めるのに「遅い」は無いんじゃないか、と。
 
あたしがかんがえる終活とは
   「  終活  =   身辺整理  」だが、改めたい。
 
終活とは、 やり遺したことをやることだ。
 
誰も頼らず、誰にも相談できず、ただ耐える生活をしてきたイーディ。
最後に見えた景色で目的を達したと思う。
 
そしてあたしの終活、遣り残したことは、「反省」だ。
クリスマスキャロルでは、強欲のまま終わる人生を反省する場面があった。
やったことは、やりかえされる。自分の考え、気の持ち方を変えれば、
違う色が見えてくる。
 わたしが、反省しなけれならないことはたくさんありそうです。

もし、あなたが、まだ現役もしくは引継ぎを控えた会社員なら遅くはありません。人生の終盤にお金に執着するのも自由です。仕事の道筋をつけることも大事です。人を育てる、人を残すことをしてきたか考えて見てください。

わたしは採用と教育を担当しています。多くの途中入社の人にもあいました。その人の生き様も遠巻きながら見させて頂きました。会話もしました。そんな人たちは部下を育てる、成長させたいと言っている方はいませんでした。むしろ、その逆です。これを教えたら、もう私は必要なくなるから教えないんですよと言います。いつまでも必要とされる人間で居続ける、給料をもらい続けたいのが本音でした。

大事な仕事は自分で囲って教えない、それはその人の生き方です。
否定はしません。
誠心誠意、人を育てる姿勢を見せる、そんな気持ちの良い姿は映画やTVの世界の中だけのようです。老害という言葉が言われ、回りはそんな人に憂いでいて、社内で陰口を言われているのを見ました。
今の時代、老後の生活のため、老人は少しでもお金を得たいと考えます。
幸い良い仕事を得た人でも、人を育てるより、仕事を囲む方を選ぶのです。

仕事を囲っていても、仕事を去るときは必ずきます。
100歳までどのように生きるか、生涯現役、老後の資金、年金受給は遅れ、
70歳を超えても働くことが求められています。
ではどうなるのが良いのか、残念ながら、老人となったわたしに、その解は残念ながらありません。
もしあなたが現役の人なら、今から老後の準備をしなさい。
若い時の働き方と資産形成にあるのではと考えるようになりました。
少しでも、資産形成を意識して働くことで、自分の老後を守ることをしてください。としか、今は言えません。
あなたの遣り残したことが、少しでも少なることを願っています。




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