内部監査の歴史を調べてみる。
みなさん、こんにちは!監査チームの滝です。
日々「内部監査」の知識が浅い、ちゃんと理解できていない…と、自分にがっかりする中で、もっと内部監査について知りたい(知る必要がある)と思い、内部監査の歴史について調べてみました。
過去の出来事から「なぜそれが起きたのか、そこから学べる教訓は何か?」、過去の人々の叡智や失敗からより多くのことを学んでいきたいと思います。
日本の内部監査の歴史を遡ると、江戸時代より、住友財閥において「帳合」の正確性や財産保全が重視され、明治23年(1890年)には、監査員及び監査補助員が制度化、三菱財閥においても、政府要請を大きな契機として、明治8(1875)年には監督課の設置がなされて内部監査機能を生成しています。江戸時代の住友では資産保全のため(今でいう損益計算書、貸借対照表に当たる財務諸表の正確性の監査)、明治に入り三菱財閥が勃興すると政府の働きかけに応じた対応とともに、事業の多角化、拡大に伴い、それに相応しい経営を行うための監査の要素も含んだ、組織体制と運用を充実させてきたとのことでした。
また、太平洋戦争中の軍事統制下においては、戦局が悪化し輸入物資や熟練労働力が不足しがちとなり、陸軍は軍需品の調達に追われる中、調弁価格を抑え、超過利潤の稼得を規制するため、自ら企業経営そのものに深く関与する必要がありました。その一方、少数の監督官によって、膨大な数の管理会社の経営に目を行き届かせるためには、経営管理そのものを一定の枠に嵌めてマニュアル化し(当時有効と考えられていた様々な経営管理手法を整理したもの)、そのマニュアルを各社に強制しました。
陸軍が内部監査制度を推進した背景には、監督官が不足し、自ら定めた軍需工場への監査が十分に行えない中で、軍需会社自身の監査活動(陸軍への報告書類作成)に頼らざるを得なかったという事情があったとのことでした。
日本において140年近くもの間、その時代の背景、必要性から育まれてきたはずの内部監査機能ですが、現在においても、組織内における確固とした制度として浸透していないようにも感じています。
内部監査の組織内における位置づけ、役割を理解し、内部監査人としての知識を高めながら、組織にとって価値ある内部監査とは何か?を考えながら、実践していきたいです!(切実な想いをこめていますw)
〔参考〕CIAフォーラム研究会報告「内部監査部門の歴史と将来の展望」研究会NO.41