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79年 ヒロシマ

1945年8月6日
午前8時15分

人類にとって忘れてはいけない日

私の祖母の弟は、まさにその時
爆心地の近くにいた

本人を見つけることはできないなかったが、
カバンとお弁当箱を
翌日、入市した私の祖母と曽祖父が見つけた
長らく自宅の仏壇の奥深くにしまわれていたようだが
数年前に原爆資料館に引き取ってもらった

当時、お弁当の中身は黒焦げで残っていた。持ち帰った家族がきれいにしたそうだ。

私の母がいうには
うちで「原爆」の話は一切触れてはいけないことだった
家族の誰かに言われたわけではないけど、
口に出すのも恐ろしく、話題にしてはいけないものだ、と。

私の祖母の弟は、まだ14歳だった(13歳だったかな?)
こんなにも酷い、不条理で残酷な死があるだろうか。

そして、
子を亡くした曽祖父と曽祖母のことを想うと
何も知らない私でさえ、
身体が怒りと悲しみで震え、涙が溢れ出してくる

こんなことは
もう絶対にあってはならない!

みんなが 【じぶんごと】として
少しでも考えることができたなら
想像することができたなら
思いやる心があるなら
この世の中 
もう少し平安になるのではないだろうか

8:15 黙祷する間
5歳の息子が私のそばで元気に笑っていた

どうか この笑顔が
笑顔のままで 健やかに育ちますように

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