誰かの、おまじない
〈3月末か4月の初め頃の土日って空いてる?〉
氷の溶け切ったコンビニコーヒーをすすりながら、無限に来る業務メールを捌いていた昼下がり、突然一件のLINEが届いた。大学時代の友人のさきちゃんからだ。さきちゃんは、フリルとコスメと甘いものが大好きな女の子で、よく講義終わりに買い物に出掛ける仲だった。しかし、就職してからはお互い忙しく、ろくに連絡も取っていない。
東京生まれの悲しい習性で、友人から久しぶりの連絡が来ると、マルチか宗教勧誘かと警戒の構えをとってしまうのだが、どうも今度長崎に旅行に行くので一緒に遊べないかということらしい。私は、ずいぶん急だなあと思いつつも、〈久しぶり!4月なら空いてる!〉と返信した。
しばらくLINEでやりとりをしていたが、ちょうど何かと忙しい時期で、うまくラリーが続かない。もともとテキストメッセージが苦手な私は、声も聞きたいし電話して決めない?と提案し、通話しながら旅程を組むことになった。
「久しぶりー!元気してた?」
「めっちゃ久しぶりだね!ちょうど1年ぶりくらい?元気だよ。長崎はどう?」
「もうそんなにかあ。長崎には慣れてきたけど仕事は忙しいよ。そっちは?」
「うーん、まあいろいろ。」
あれ。歯切れの悪い回答に私は小さな違和感を抱く。さきちゃんはいつも、ちゃんと聞いてるから一旦落ちついて、と言いたくなるくらいおしゃべりな子で、良いことでも悪いことでも、トイピアノのような声で楽しそうに近況を話すはずだった。
長崎で訪れたい場所や食べたいものを一通り聞いた後、ふと気になり「ちなみに何日くらい滞在する予定?」と聞くと、「あー…、割といつまででもいいんだよね」と困ったような声が返ってきた。4月の新年度の時期に、そんな長期の休みが取れるとは思えない。きっと仕事をお休みしているか、辞めてしまったのだろう。私はどう返すか迷って、「私の部屋めっちゃ狭いけど、それでいいならいくらでもいていいよ。あ、でも1ヶ月以上は要相談で!」と言うと、さきちゃんは「そんなに長くはいないわ!」と笑った。そのあとで、ありがとう、と小さな声が聞こえた。
"新卒の3割が3年以内で離職"
"今の人は昔より辞めやすい?若者のリアルは"
そんなニュースがテレビや新聞でよく取り上げられている。実際、私の周りでもすでに数人の友人が仕事を辞めてしまった。同じ会社で定年まで働き続けることがあたりまえでなくなった世の中で、合わない会社を辞める選択をする若者が増えたことは、別に全てがネガティブな傾向ではないのだろう。しかし、その決断をした友人たちは、どこか迷ったような傷ついたような顔をしていて、そんな顔を見る度、胸の奥がきゅうと共鳴して苦しくなる。
数週間後、スーツケースをごろごろ引いて長崎空港に現れたさきちゃんの服には、あいかわらずフリルがたくさんついていて、けれど、顔つきはずいぶん大人っぽくなっていた。私達は、お互いの近況も聞かないままサーモンのたくさん乗った海鮮丼を食べ、無茶な夜更かしをし、胃もたれする量のパフェをたいらげた。ハウステンボスのだだっぴろい駐車場で二人して迷い、くたくたになるほど笑った。仕事、やめちゃったんだよね。さきちゃんがそう打ち明けたのは、3日目の夜のことだった。
滞在最後の日、私たちは部屋で缶チューハイを開けた。なんと声をかければいいか迷って「なんかあったらこっちくればいいよ」というと、さきちゃんはそうだねと笑った。メイクを落としたさきちゃんは大学のときと同じ幼い顔をしていて、なんだかとてもほっとした。
「なんかあったらこっちくればいいよ。」
とっさに出た言葉は、私がかつて陸前高田を離れる日に、インターン先の社員の方からもらった言葉だった。寂しがって目に涙を溜める私にかけられた、冗談めいた言葉。新しい環境でひとりぼっちだと感じるとき。すべてをわあっと投げ出してしまいそうなとき。そのたった一言がどれだけ私の力になっただろうか。
長崎に移住した私のもとには、ときどき疲れた友人たちが東京から遊びに来る。東京に就職した友人が多い中、長崎に移住した私の家は、観光しながら安く滞在できるちょうどいい逃避先らしい。私はそんな友達が来るたびに、長崎のおいしいものをいっぱい食べさせて、ふくふくに太らせる。お酒を飲みながら、くだらない話を夜通しする。そして、「なんかあったら長崎に来ればいいよ」と送り出す。
もちろん、薄給の私に誰かの生活を工面する余裕なんてないし、こっちの生活に馴染むかもわからない。いわば、おまじないみたいなものだ。でも、それでいい。誰かのおまじないが持つ力を、私はよく知っている。
※友人のお話のため、少しフェイクを入れています。
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