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脱線した先で見つかるもの


小さい頃からあまり集中力がなく、授業を受けていても上の空で、ほかのことを考えていた。

問題集を解いていても、だんだん違うことを考え出して、ワクワクしながら妄想にふけっていた。

かと思えば、自分が好きなことをしているときは、集中力が過剰になって、時間があっという間に経った。

当時は、自分の好きなことにしか集中力を使えないなんて、良くないことだと自分を責めていた。

しかし、実は脱線した先に本当にやりたいことがあるのではないだろうか。

バカな妄想をすることで生まれるものもあるんじゃないか?

マーケティングや戦略では考えられないような発想で。

そんなことを考え大人になった今、脱線したことを極めた人がいることを知った。

みうらじゅんさんの『「ない仕事」の作り方』

まさかの発想でいろんなコンテンツを作り、人にバカにされそうなことも突き詰めている人だ。

というと、すごく抽象的なのでこの本を少し引用すると、

【怒られることを逆転する~らくがお】

マイナスなことを逆転する手法で、もっとわかりやすく、かつ高度なのは、「本来怒られることで、褒められる」です。
私は小学生の頃から、教科書に落書きをするのが大好きでした。

私はこの行為に、"落書き"と“顔”で「らくがお」という名前をつけてみました。

「ない仕事」の作り方 みうらじゅん
1993年11月発売(小学館)

この本を読んで思い出したのだが、小学生の頃って怒られることが多い。

廊下を走って怒られ、階段の手すりを使って滑っては怒られ(これ、私たちはめちゃくちゃしてたけど、してた人いますか?)。

他にもたくさんあるけど、小学生が考えた独自の遊び方って怒られることが多い。

それは、誰にも思いつかない発想力と、何をしてもいいという常識破りの危うさがあるからではないだろうか。

普通しないでしょという大人の常識を余裕で超えてくる。

たしかに居たなあ。教科書に落書きしてるやつ。

そういう人に限って凄い発想力があったし、オリジナリティもあった。

図工の絵も上手かったことを思い出す。

みうらじゅんさんは「らくがお」を堂々とやっていいよと呼びかける連載を始めた。

結果、編集部の創造を遥かに超えた反響となり、小学生たちが段ボールに何箱もの「らくがお」を届けたという。

ここまでくると、小学生が考えた遊びはただの遊びじゃない。

もはやアートであり、エンタメ性もある。

むしろ大人が考えるより、子供が考えたほうがエンタメは盛り上がるのでは?

子供は大人に怒られるか怒られないかギリギリのラインを攻めることができる。

だからこそ常識を超えた発想ができるのだ。

童心に帰って、どんな遊びや妄想をしていたか思い出してみたい。

もしかすると、脱線した先にやりたいことがあるかもしれない。

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