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10年勤めた会社を辞めて独立した理由〜3(完)

勝手に遺志を継いで

10年間の出来事を思い出しながら徒然なるままに記事を書いていたら、思いのほか長くなってしまった。
ともかく私は先代社長との個人的な、精神的つながりだけを頼りに勤めていた訳だから、その対象がいなくなってしまった後、会社を去るのは必然のように思われた。もちろん会社人として、家庭人として、勤め続ける意味も理由もあったし、彼の遺志を継いで社業を発展させる為に尽力するのが、残された者の使命であるという考え方もあると思う。

だが、悲しいかな先代の掲げた「日本の染織文化の素晴らしさを国内外に伝え、ファッションと工芸を両立させる」という社是は、夫人とご子息の精神に継承されてはいなかった。そしてそれが分かっていたからこそ、社長は生前、自分の家族が会社の経営を継承することに対して、明確に否定的な見解を持っていた。

だからと言って「じゃあ明日から私が先代の遺志を継いで社長になります」と手を挙げたところで、それが現実になる訳ではない。社長夫人やご子息にとっては、「会社=我が家」であり、会社は自分たちの物だと考えている(株主は一族だけだから、事実としてもそれは間違っていない)のだから、そこに対して否定的な者に好きな振る舞いをさせる道理がない。

進む方向が変わっていく舟に、盲目的に乗り続ける選択肢もあったとは思うが、ただただ給料を貰う為だけに耐え忍ぶばかりの生活を送るなら「もっと条件の良い会社を探すか、独立した方が良い」という結論に至り、どうせなら独立して今まで進んで来た道の続きを歩みたい、と思ったのだ。

青臭い表現をすれば、先代が見ようとした景色を私も探し求めたい、ということだろうか。彼が生きていればこうしたかっただろう、という想像を道標に、染織の道を歩み続けたい、それが私の「やりたいこと」になった。

入社して以来、社長と従業員という関係を越えるほどの信頼と期待を寄せてもらい、様々な経験をさせてもらった。「君に任せた」「頼む」と何度も言われながら、満足に応えられたのか自信はない。最後に二人で対面した時には声も発せずただただ涙を流しながら私の手を強く握り締めた先代から託された、訳の分からない強い思いを、何かしら引き継いで行かなければ私自身が成仏できないような気がするのだ。

これはあくまで私と先代と二人の間だけの話であり、片方が亡くなってしまったいま、第三者から見れば私の虚言や妄想であってもおかしくない話だが、そんなことが私の新たなスタートラインとなって、見えないバトンを誰かに渡すために、一人で走り出すことにしたのだ。

その先に何が待つのか、まだ何も分からないが、それもまた人生、せいぜい楽しむことにしよう。

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