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全ては自分のために書くことにした。

大型スーパーできゃっきゃ楽しそうに談笑している女子学生がいた。
すれ違いざま”誰かをバカにする”笑い声をひゃっひゃあげたので思わず歩きながら目の奥が開くのを感じた。

笑い声にもいろんな種類がある。
まるで「声に書いているかのように」そこにどんな感情や意図がこもっているか必要以上に勘繰ってしまうのは、どうやら癖なだけではないことが最近わかってきた。

自分が笑われたのか?

そんなはずはないのに、ぎくっとしたのだった。
私は彼女らの年代で、均等に体のスタイルが良く
ホルモンバランスも取れていてすでに「可愛い女の子」に見える人が怖い。
いや、正しくは「怖かった」とすでに過去形であることを思い出した。
私はもう、「小さなかるめちゃん」ではないのだから。

私が彼女達の年代の時、残念ながら「可愛い女の子」ではなかった。体も大きかったのでよくからかいの対象にされた。
日中は逃げられない小さな社会の中でヒエラルキーの上位に立つ「お山の大将」に耐え、夕方は気心しれた友人と思いっきり話すこともあったが、心に潜ませた不安をかき消して自分の存在を世界に示すかのように声も大きく、耳障りな話し方をしていたことを思い出すと恥ずかしい限りである。

20代前半に、男性とのお付き合いの中で自分の本質は勘違いされていることに気づき始めた。

本当の私
私が思っている(なりたい)自分
他人に捉えられている自分

それぞれに大きなギャップがあり、本当の私が周りの人には見えていないことにジレンマを感じるようになったのだ。

なんでだろう。
私は本当は「こんな人間」ではないのに、なんでだろう。

2022年12月ー
ついに私の心(なのか頭なのか)は不調を訴えた。会社に行けなくなり、生まれて初めてメンタルクリニックへ行くことになる。職も、家も、それまでの生活も失い、その後目の焦点が合うようになるまで半年かかった。

「それでも、生きていかなければ。」

ここはそんな「かるめ」の回想と、考えたことを言語化するための場所です。


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