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【アルツハイマー型オカンと「笑って暮らすぞ!」】その7 手術後のリハビリで被害妄想

手術後、順調に回復してリハビリが始まったオカン。
体は順調だったものの、認知症が進んだ影響で、
ものすごい被害妄想が発現
そして認知症からくる幻視や幻聴も被害妄想に拍車をかけていました


コロナ感染防止のため、
面会がほとんどできなかったものの、
かろうじてスマホでの電話ができるレベルだったオカンは、
毎日のように電話をかけてきました。

その内容は、といいますと、

病室の裏で工事をしているのでうるさくて眠れない
事実) なんの工事もしていない。

リハビリの先生が意地悪をしてくる
事実) いじわるをされたのではなく、
オカンが腹が立つようなことを言ってしまっただけと推察。
思い通りにならないと、激高する性格のため、
すぐ相手が悪い!と言い出す。

リハビリの先生が自分の彼女を病院に連れ込んでいる、
夜になると、その彼女と友達を呼んできて、
広場(談話室)で歌ったりお菓子を食べたりして騒いでいる

事実) 勝手に彼女と思い込んでいるだけ、
夜談話室で歌う等、当然していない。

看護師が意地悪を言う
事実) なんとなく気に入らないだけ。
そもそも気に入らない看護師がどの人なのか顔を覚えていない。

などなど。
夜に延々電話でそんな話をしたり、
術後、おむつを付けているときは、
ナースコールを押す、という動作ができず、
教えても覚えられない
ので、
おむつを替えてほしいから、
看護師さんを呼んでくれと電話かけてきたり。

またある夜は、おむつをつけていることを忘れて、
トイレが行きたいのだけれど、
ベッドに柵がつけられていて、
閉じ込められている!出れない!

こんなとこいやや、何とかして出してくれ!
とちょっと涙ながらに電話してきたり。
おむつだから、そのまま尿を出してよいのだと伝えても、
そんなん、出えへんわ!無理や!と怒って泣き出してしまって、
何をどう言えば理解してもらえるのか、
ほとほと困ることがしばしばでした。

そんなやりとりが結構長く続いて、
特に夜は頻繁に電話がかかってくるので、
(夜間は看護師さんが少ないので、あまり構ってもらえないから)
がらやんは睡眠不足の毎日をすごしていました。

それでもこのころには、
認知症の対応方法などを調べて
できる限り、否定しない・怒らない、
を心がけるようにしていました。

が、コロナの流行で、仕事が猛烈に忙しかったがらやん、
なるべく怒らないようにしていたけれど、
夜中に起こされるとやっぱり、イライラ、
リハビリの先生や看護師さんのことで、
ありえない妄想話をされると、
最初は大丈夫やから、と言っていても、
あまりのしつこさに、そんなことあるわけない!と否定したりして、
なかなか頭で理解したようには行動できないことが、
本当によくありました。

それに加えてひどかったのが、
食事に対する被害妄想。
病院で出される食事は、
すべて残り物だ、朝・昼・夜と同じものが出ている、
お茶碗も汚れがとれていない、
(再生プラスチックなので、ごみがついているように見える)
いつも油汚れがついている(結露の水分を油と思い込み)、と言い出し、
ほとんど手を付けずに返してしまい、
栄養失調気味
になっていました。
腰椎骨折の時と同じですが、
差し入れがお菓子ぐらいしかできないので、
どんどん痩せていきました。

被害妄想がひどい認知症の場合、
こちらがいくら正確な情報を伝えても、
それを理解しない、覚えない、思い込みを変えられない、
ので、
認知症の本人は「私のことをわかってくれない」という思い込みに至り、
結果的に言い合いに発展してしまう、
という悪循環
になりがちだと思います。

がらやんのオカンはもともとの性格もあいまって、
認知症になるもっとずっと前から、
同じような言い合いを繰り返してきていました。
ですので、昔からちっとも変わらない!と
がらやんの怒りのスイッチがすぐONになり、
悪循環を繰り返してしまうことがよくありました。

オカンは入院中なので、
ほとんどオカンと接していない状態なのに、こんなことでは
退院したらどうなるんだろう、
仕事に支障がでるのは本当に困るから、
できるだけ長く入院しててくれ!と願う日々。


しかしそんな願いもむなしく、
早々に退院日が決まってしまいました。

退院に際して、生活相談員の方に、
オカンの家を調査してもらったのですが、
段差が多かったりしてかなり危険だし、
いまのオカンの認知度では、
この家に一人で済むのは難しいとおもうから、
できるだけ、なんならもう退院と同時に、
どこか施設やサービス付き高齢者住宅などに移るのが望ましい、
とのアドバイスを受けました。

そうよね、それだとがらやん自身も助かるし。
けれど、そういうところへ住んでもらうには、
やっぱりオカン本人が見て納得したところにしたいと思い、
とりあえずは現行の自宅に帰ってきてもらうことにしました。
早速ひとり暮らしが始まってしまうので、
がらやんとしても不安はありましたが、
まあ、まだなんとかなるだろうと高を括っていました。

これがまたちょっと誤算で、
すっかり自炊ができなくなってしまっていて、
がらやんが作っておいたり、
総菜や冷凍食品をストックしておいたり、
という状態を作っておかないと、
オカンひとりでは何もできなくなっていました。

さらに、この入院を期にシルバーカーが手放せなくなったので、
散歩や買い物も一人では危ないから、
仕事帰りにオカンの家に寄って、
30分ぐら散歩に付き添い、すこし会話をして帰るというルーティン。
お風呂の見張りや部屋の掃除などは、
ヘルパーさんに頼んでいましたが、
家族以外に食事を作ってもらうのは、
汚いから嫌!といって絶対に作らせないし、
デイサービスも嫌がって行かなくなったので、
一日のほとんどを誰とも話さない毎日。
これではさらに認知症が進んでしまう!
仕方なしにがらやんが毎日通わないといけない状況になっていました。

がらやんには他に家族がいないので、
もう本当にへとへと

仕事しながら、しかも休日出勤するぐらい忙しい中、
オカンとの同居にどうしても抵抗があるがらやんは、
すこし心が痛むものの、
お願い!サービス付き高齢者住宅に移って!と、
会うたびにオカンに懇願
し続けました。

なんとしても仕事を続けたかったがらやん。
オカンがサービス付き高齢者住宅に移ったあと、
がらやんの家にときどき泊りにこれるように、
ここで一念発起して、
エレベーターがついているマンションに特急で引っ越しを敢行。
さあ、あとは本気で説得するだけ!という段階まで、
段取りを一気に進めたのでした。


さて、次回は、いよいよ、
オカン、サービス付き高齢者住宅に移る!の巻です。
当然、すんなりとは行かないがらやんとオカン。
次回もどうぞ、お楽しみに!




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