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『デヴィッド・バーンのアメリカン・ユートピア』 に見る自分の居場所を見つける旅

先日、映画『アメリカン・ユートピア』を観てきました。とても良かったです!
この映画はとくにクリエイティブなことに関わる人に超おすすめです。5月からの劇場公開なので、もう公開が終わったところも多いようです。まだ観れる地区の人はぜひどうぞ!

シンプルさ、多様性、自分、家、人生、社会、世界、変化、絶望、希望、、、。

エンターテインメントとして見ても完成度は高いし、人生についての哲学的なショーと思ってみても感慨深いです。ショーとしての完成度がとても高いので、何かを創作する仕事をしている人にとってはとても刺激になる映画です。コンセプトに一貫性があり、細部にわたって考えられたプロ集団の質のいいライブです。

私はトーキングヘッズは昔よく聞いてたし、『ストップ・メイキング・センス』は今だに時々聞いています。『リトル・クリチャーズ』以降のデヴィッド・バーンの活動は知らなかったのですが、黒髪の知的で少々神経質そうな若者だった彼が、知性と人間味の溢れる洗練されたシルバーグレーの紳士になって現れたのには感激しました。
感慨深かったことのひとつが彼の老い方でした。すごくいい歳の取り方をしているなーと思いました。昔の面影にさらに磨きをかけて美しく老いてます。映画の中の彼は67歳ですが、姿勢にも動きにも老いが見られません。ダンディで知的で健康的に見える紳士のおじいちゃんです。おじいちゃんと呼ぶにはまだ若いって感じさえします。なによりも成長し続けている彼の姿がとても印象的でした。

そして、彼のセンスにもますます磨きがかかっているのがすごいです。私はデヴィッド・バーンのことはそんなに知りません。でもすぐに、トーキングヘッズの頃から彼が追求しているであろうことがこの映画でも続いていて、うまく表現されていると感じました。ずっと一貫して続いている彼のぶれないコンセプトと芸術性、クリエイティビティに感動しました。

この映画を観た後、気になって、若かりし頃のデヴィッド・バーンが出ている『ストップ・メイキング・センス』を観ました。この映画はライブドキュメンタリーです。日常と普通の人々の中に眠る狂気みたいなところを扱っているように思いました。もちろん彼自身のそれも。
途中、はたと気付いたのは、彼が求め続けていたのは「ホーム(home)」だということ。自分の居場所、自分が自分として安心して居られるところや人々。それが『アメリカン・ユートピア』で見事表現されていると気づきました。

歌の歌詞が字幕で出るので、今までなんども聞いたことある曲も改めて歌詞全部を読むことができました。そこで気づいたのは、多くの歌が、自分、家、パートナーという身近な日常から始まっていることです。
自分と家とパートナー、そして何も特別でない日常の出来事、散歩や近所、仕事など普段の行動範囲が中心となって話が広がり、途中から抽象的だったり、メタファーぽかったり、哲学的な歌詞になります。そういう歌詞をこのショーのために選んだのか、彼自身がそういう視点を持っているのか...?・・・多分両方だと思います。
バーンは内向型の人間っぽく思いました。頭は良いだろうし、家で一人でいろんなことを考え、インスピレーションを得て創作活動に活かしているのかなと思いました。日常のものすごく身近な普通のことから宇宙に飛んでいけるタイプの人のように感じました。

歌詞が自分と家の日常から始まり、自分は大した人間ではないと言いながら、世界、宇宙まで話が広がっていきます。卑小な自分を表現しながら、その自分と世界との関わりが浮き彫りにされていきます。ショーの途中では紛争や選挙の話なども出てきます。

ステージは不必要なものはできるだけ取り除き、裸足、灰色のスーツ、手持ちの楽器、照明もシンプルです。マーチや土着の祭り的な素朴さがありますが、シンプルな色合いが洗練さを感じさせます。

この映画の一貫性の一つに色があります。グレー系にまとめていて、服装もみなグレーのスーツであり、ステージもカラフルな照明はありません。でもその統一感が洗練されていてとてもかっこいいです。そして全員裸足。スーツに裸足なのです。

テーマの一つに、多様性とシンプルさがあります。ステージは派手さはなく、灰色に統一して、みんな裸足で、楽器もコードレスで一人一人がポータブルで身につけて演奏しています。そしてメンバーは国籍も肌の色も様々。多国籍メンバーです。
多種多様な人種がぴったりのまとまり感で動き、演奏します。
演奏者たちが動きながらもバシッと演奏していて、ノリのいい曲やそうでない曲も聞き応えあります。みんなが楽しそうに演奏しているのは見ていても心地よいです。

裸足であったり、チンドン屋のように楽器を抱えて演奏しながら動いていたり、モノトーンな色合いで、いらないものをそぎ落としています。とても地に足がついていて素朴さが見られます。身一つとクリエイティビティがあれば、いろんなことができることを示唆してくれます。都会の洗練された自然体って感じです。

人生はもっとシンプルでいい。シンプルに自然体で生きればいい。
何もいらない。必要なものはすべてすでに持っている。

そう思わせてくれます。

ステージ上から、一番大切なもの以外すべてを排除したら、何が残る?
残るのは、我々と皆さんだけ。
それがこのショーです。

と映画の中で話しています(プロモーション動画の中にもあります)。

人にとって本当に必要なものは何か?
自分とは何者か? 人生とは? 人間とは?

たくさんの哲学的な問いかけがあると同時に、選挙の話や暴動で殺された人々など社会的な問題の提示、人間尊厳など、個人的なところと社会的なところを行き来しながら話が進みます。

自分はどう生きるか?どうあるか? 一人一人がができることは何か? それが社会、世界をどう変えていくのか? あなたができることは何か?などの問いかけと提案がそれとなくされています。そして、世界や人々はまだまだ捨てたものではないと希望を持たせてくれます。

ステージが終わった後、メンバーが◯◯◯で出かけるシーンも印象的。ここにもまたコンセプトの一貫性を見ました。一つ一つの要素がしっかりとコンセプトに紐づけられているのがものすごく考え抜かれていて、これには脱帽です。一つのアート作品と言えます。

素朴な設定のステージでのエネルギッシュなパフォーマンスを通して、生きる希望と、質の良い人生への問いかけを観る人に与えながら、今のあなた、あなたの足元からいろんなことができますよ、と無限の可能性を見せてくれます。

創作活動をしている人ならきっと心動かされて、こんな作品を作ってみたいと思うのではないでしょうか?

『ストップ・メイキング・センス』を観た後に、再度『アメリカンユートピア』を観にいきました。すると1回目ではわかってなかったことが見えてきました。しょっぱなからちゃんと”ホーム”について語ってました。

最初、バーンが脳の模型を持って、脳の機能の話をします。脳のこの部分であなたはこういうことを感じる、と。脳の中のつながりは赤ちゃんの時が最大で大人になるにつれて減っていく。
脳から始まり、自分の内側の世界で起こっていること、人とのつながり、外の世界で起こっていること、それに自分がいかに関わっていくか?などが語られていきます。最後の曲が『road to nowhere』なのですが、この曲では「We 're on a road to nohwere, come on inside.」と、「どこでもない場所に向かってるけど、一緒に来るかい?」と誘っています。

自分と他者との関係を探り、自分がどこに行くのか?どこにいるのか?何者なのか?を自分の居場所を求めてさまよっていた一人の人間が、人とのつながりに何かを見出し、一緒に行かないか?と誘いをかけるまでに成熟した、そういうストーリー仕立てになってます。
そして「ユートピアはあなたから始まる」と最後、映画は締めくくられます。

私の勝手な見解ですが、バーンがずっと探し求め続け、見つけた”ホーム”が、彼にとってはこのパフォーマンスの場であり、人とのつながりの中に見出されたものと思われます。
彼は子供の頃にスコットランドからアメリカに移民としてやってきて、近年帰化したそうです。彼自身、自分のアイデンティティを探っていたところもあったのでしょう。

70歳を目の前にして彼が見つけた”ホーム”は『アメリカン・ユートピア』という映画の中に表現されています。人生の旅が描かれている作品となっていますが、歌詞の視点が一般市民的なところから始まりますし、「歩く」という単純な行動も一つのモチーフとなっています。
普通の人々であっても、人生いろいろあっても、希望を持って歩いて行こうよ、と人が良さそうで健康で充実してそうな初老の方に言われると、説得力があり、なんだかとてもうれしくなります。

映画を観た人は、エンターテインメントや芸術性の高さもさることながら、生きることへの希望を見出し、元気をもらったのではないでしょうか? 

観る人はトーキングヘッズ世代の中高年が多いかと思ったら、観に行った2回ともほとんど若者でした。いい刺激を受けてくれてたらと思います。

こんな風に歳とりたいなと思える、生き方がカッコいい大人、老人が増えていくと、若者も「人生、捨てたもんじゃないな」と安心感を得られると思います。私もそんなおばあちゃんになりたいですね。



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