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宇宙と地球と意識のはてしない物語

言葉は、人それぞれ理解の仕方が違うので誤解を生みやすいです。それでもある程度は通じるのでいいのですが、時には予期せぬ問題を生み出します。

今日は誤解の話ではなく、理解の話です。
ある方の記事を読んだら、地球視点と宇宙視点のことが書いてありました。内容的には同じことのように感じたのですが、私の言葉では、人間社会と自然界という言い方をしていました。なるほど、人によっては地球と宇宙という分け方をするんだなと思いました。

この地球に生きているのが嫌でたまらないと悩んでいた人が以前、セッションに来られたことあります。この星には馴染めない、早くもといた星にもどりたい、と。
私は地球大好き人間なので、本当にそういうことを思う人がいるんだなと思いました。今思えば、もしかするとこの方は「今の人間社会に馴染めない」ということをおっしゃっておられたのかもしれません。私たちはこの地球上では人間のルールに従っていますから、それが地球のルールだと思えてもしかたないです。受け取り方の違いですね。

世間に馴染めず、違和感を感じ続けてきた人は…

私はこの地球は自然界が本来の姿だと思っています。地球は大好きだけど、人間社会に馴染めないと感じていました。でも人間自体は嫌いではありません。面倒臭いとは思いますが。

今はだいぶん世の中の仕組みが顕わになってきて、どういう人たちがこの世界を支配してきたかがかなりわかるようになりました。
日本神話では国津神と天津神とありますが、まさにそのように、地球由来のメンタリティと、地球外のメンタリティを持つ人たち(他の星から来たらしい)がいるそうです。そして後者の人たちが長い間、この世界をコントロールしてきたという話。

先住民や少数民族、縄文時代の人たちは地球由来の人たちと言えます。統一政府を作ろうとしたり、戦争産業で儲けている人たちは地球外メンタリティ、このふたつは根本的に違います。

こういう話を知って、なるほど,だから私はずっと違和感を感じ続けてきたのか、と納得しました。私は地球的メンタリティなので、地球外メンタリティとは相容れないわけです。(こんなざっくりした分け方でいいとは思わないけど)

地球の目覚めと全体意識の目覚め

今、世の中の流れが再び地球由来に戻りつつあります。
10年以上前、地球はまだ子供で、これから目覚めの時期に入るというインスピレーションを私は得ましたが、本当に地球が深い眠りか目覚めつつあるのを感じます。

それは地球由来の人たちにとっては全体意識の目覚めです。私は全体自我と呼んだりしますが、地球意識と一体化しつつある自我と言えます。

肉体を基準とした個体であった私たちの意識(自我)が、その領域を卒業し(個体意識を卒業し)、空間に広がる意識が自分であったと気づく人たちが増えていくでしょう。空間は素粒子に満ちていますので、私は、私たちもこの世界も「素粒子が見ている夢だ」という言い方をします。

最近はゼロポイントフィールドが話題に上がるようになりましたが、今言っているのはそれとはまた違います。ゼロポイントフィールドになってしまうと自我意識はありません。今話しているのは自我意識の拡大です。

肉体を持つ私がここに実在するのではなく、空間である私が投射しているのが肉体を持つ自分です。主従が逆転すると思えばいいです。私たちは実在しておらず、空間に偏在する意識です。

地球のエネルギーがそうなってきているのか、集合無意識がそうなってきているのかはわかりませんが、その感覚は私の中で少しずつ強くなっています。

空間のつぶつぶの存在感が増している

数年前に、動植物や自然霊たちと話ができる時代がまたやってくると感じたのですが、それがまさに始まりつつあるのを感じています。空間のつぶつぶの存在感が少しずつ増しています。
素粒子一つ一つに全宇宙の情報が入っており、それらが発現し、質量を持つヒッグス粒子とくっついて場を作っていきます(という理解でいいのかな?)

私の気づきや認識の変化によって私が体験する世界が変わっているから、そう感じているだけかもしれません。だとしても、私が体験する世界しか私には体験しようがないです。私の世界ではそれが起こりつつあります。

だんだんと空間の存在感の方が増し、肉体の実在感は減っていくでしょう。バーチャル空間や生成AIの普及もそれを加速させます。
それに伴い、意識も肉体を基準とするのではなく、空間に広がる意識、つまり宇宙にまで広がる意識が自我意識となり、それを基準にするようになります。

宇宙大の意識から見て、個体である自分の行動が決まる。
そんな風に私たちの意識が作用するようになった時、それは自然と地球由来のありようであり、縄文時代にあったような意識形態に近づいていくのだと思います。

個体的自我から宇宙的自我へ

要するに、個体としての自我が薄れて、宇宙意識としての自分が養われていくということです。これは地球規模で起こることですから、それに抗ってもどうしようもないです。抗うよりそれに順応していく方が楽だし、適応できます。

しかしまだ大半の人々は旧世界意識で動いています。上記のような状態になるまでは大きな変容や淘汰が必要とされるでしょう。地球外メンタリティの人たちは策略を仕掛けてくるでしょうし、地球も必要とあればそれに対応するでしょう。

自分中心のエゴ的な自我ではなく、宇宙意識がベースの自我へ移り変わっていく途上に私たちはいます。地球がどういう人たちを残したいかは想像がつくと思いますが、それは地球由来の意識を持つ人たちがどのぐらいそれに目覚めるかによります。地球由来と書いていますが、最初に書いたように、これを宇宙視点の意識ととる人もいるでしょう。
自然(地球)がヒト種にわざわざ温情をかけるということはありません。私たちの意識変化が求められています。

自分は実在しない

空間である自分を感じて、そこから肉体を持つ自分を眺めると、その肉体の自分がもつ悩みなんてどうでもいいことに思えます。その自分は映写機に移された映像みたいなものだから。実在しないとはいえ、お腹は空くし、痛みもありますので、実在しているように感じます。

自分が実在しないのなら、所有を争う必要もないし、老いや死を嘆くこともありません。存在するものすべてがあなたの中にあるのです。なぜならあなたは空間意識だから。

その意識が強まれば強まるほど、肉体の実体感は薄れ、半透明になり、いずれ存在しなくなります。意識だけが残ります。そしてその意識も薄れ、可能性の波状態になったら、また何かの拍子に個体自我に向けての活動が生じます。

宇宙はそうやって拡散と収縮を繰り返しながら、分離した意識体からいろんな情報を受け取って成長していくのでしょう。そしてその宇宙はまた一つの素粒子であり、それを含む宇宙があり、、、と、はてしない物語が続いていくのでした。
チャンチャン!

と物語を終えたところで、私たちは肉体を持ち、この物理世界を舞台としていますので、やってくる日常に現実的に対応していくことになります。
「ここにいないんだけど、ここにいる」という感覚。それを楽しむことがこの世界に存在する醍醐味なのでしょう。




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