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木を見て森を見て、森を見て木を見て、自分を見て宇宙を見て、宇宙を見て自分を見る

私はいつか森になりたいと思う...。

いつかしらそんなことを思うようになりました。ここで言う「森」は、多種多様な生き物が持ちつ持たれつ、一つの生態系を形成している様を言います。

人の身体は自律神経が働き、いろんな細胞や細菌などが住まい、それぞれの役割を担って一つの肉体を形成しています。そういう意味ではすでに森っぽいです。その”森”が豊かかどうかは個人差がありますが。

優劣があるわけではなく、それぞれがそれぞれの持ち場と役割を担い、全体としてのシステムが順調に作用していれば、健康だと言えます。人のように自我が強いわけでもないし、個々の主張よりは、そのシステムの中で最高のパフォーマンスが発揮できれば、全体の状態もアップします。

森のような人を、私は「モリビト」と呼んでいます。私もそのようになれたらなーと思いますが、まだまだ未熟者です。それに関連する自分の記事は「モリビトのススメ」として、noteのマガジンにまとめてあります。

森を見て、自らを学ぶ

モリビトになるには、自我の進化が不可欠です。なぜなら、自分中心のエゴ意識は分離意識であり、自分の欲求を重要視します。そして、自分が消えてなくなる恐れに支配されています。ゆえにそれに基づいて行動をします。

今の世の中はまだまだ強いエゴ意識に基づいて行動している人が多いです。私もその一人ですけど...。これが強ければモリビトにはなれません。外来種の植物や魚が在来種を押しのけて繁殖するように、生態環境を乱すのであれば、豊かな森はバランスを崩していきます。より豊かに、ということで、いい意味で変化を伴うのであればいいですが、自分の都合だけで環境破壊する者は森には必要ありません。

また、森はその森だけで自立して存在しているわけではなく、雨や日光は不可欠ですし、風や大地などの自然環境は欠かせません。森は外からの影響を遮断しているのではなく、うまく取り込んで自分らの一部として活用しています。その中で、微生物、細菌、昆虫、動植物といろんな生き物が共生して生きています。多種多様なものの集まりでありながら、森全体が一つの生き物であるかのようです。

個人的視野から全体的視野になると

人で言えば、「私が、私が」という自我が成長して「世界=私」となった時、行動が変わります。「私の幸せ」が自分個人のことだけでなくなります。そして全体の幸福について考えるようになります。
コンスタレーション的に物事を感じ取り、全体の流れやバランス、配置、状況を踏まえて自分の行動が決まります。考えてそのように行動するというより、直感的なものになります。無意識が自分個人に向かうのではなく、集合的無意識あたりの全体的な意識を察知するようになります。抽象度が高くなるので、普通の自我意識よりも俯瞰した世界を感じとれます。そういう自我意識に変化すると、自分の小さなエゴの欲求より、その全体視野から得た情報を優先させる行動をとるようになります。

何かが私を動かしている感覚

アーティストがよく言う「何かが私を動かしている感覚」もその一つです。自分で自発的に考えて計画的に行動するのではなく、やらされている感じです。体が勝手に動いてやってくれて、自我意識は後から追っかけていきます。

この状態にあると、ある意味、楽です。なぜなら迷いがないですから。
無我夢中状態であれば、自分を忘れています。無我夢中で絵を描いていて、終わったら「え?こんな絵を描いていたんだ!?」とびっくりする時などそうです。そういう無我夢中は歓迎したいですね。この場合は理屈ではないですから、理性に従おうと思うと摩擦が生じます。

今の自分が思っているよりもはるかに大きなチャレンジが来ることもあります。その時は腹をくくるしかありません。やらない選択肢はありませんから。

またそんなにチャレンジではなくても、思考に迷いが消えたら、毎日の生活がスムーズになります。普通に暮らしていて、ストレスがなく順調だけど、毎日が新鮮。

頭のおしゃべりを減らして、無意識の世界を探索しよう

このような意識状態になるには、普段のエゴ意識が静まらないことにはどうしようもありません。普段の私たちは、いろんな雑念で頭の中がいっぱいです。
「今日の夕飯は何にしよう?」「あの仕事を明日までにしなきゃ」「あの人からメール来ないな」「なんだか体調悪いや」「なんかおもしろいことないかなー?」など意識しなくてもいろんなことを考えています。これらの雑念が静まらないと、静かな意識状態にはなれません。なので瞑想が良いといわれます。緑の多い森の中に入ると自然と頭の雑念は減ります。森の場自体がそういうエネルギーですから。

心を静め、雑念を消すための瞑想は初段階といえます。それができるようになった次の段階は無意識の世界を自在に行き来することです。そちらの方が本番です。
森ではそれが自然になされています。そこの生物たちは人間ほど自我意識が強くありません。もともとその世界に半分、足を突っ込んでますから、自我意識はそんなに必要ないとも言えます。
人は自我意識を持って、あえてまたその世界に戻ろうとしています(一部の人ですが)。それはまた意識や宇宙の進化にとっても必要なことなのだと思います。

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