人は意外な事にストレスを感じる

職場の同僚の怒りが止まらない。
原因は大小さまざまな要因が重なっての事であるが、自分と同じ報酬なのに働きぶりの違いが酷く無いか。という事であった。
同僚は仕事が出来るし、私は頼りにしている。だが、同僚は謙虚であり決して自己評価が高い訳では無い。むしろ低すぎる程である。
同僚は家庭の事情もあり、パートタイムでの勤務である。時給での労働となる。
同僚と同じ時給人は資格などの兼ね合いからあらかじめ分かっているらしく、同じ時給の中でも働きぶりの差が大きいのだそうだ。
私からすると、同僚の様に頼りになりテキパキと動いてくれることにありがたい。と感じることはあれど、動きが水準に満たないからといって感情的になる事は無い。
そこにはパートと社員との線引きがあり、パートはあくまでも時給拘束の働き方をしているのだから、社員ほどの責任感であったり能力を求めていないことが前提としてあるからである。
しかし、同僚からすれば働かないパートは給料泥棒であり、許しがたい存在であるためにストレスを強く感じるのだそうだ。パートは目線を同じくした存在であり、同僚が求める水準以下の働きしかしない者は言葉にこそしないものの、考えられない存在なのだそうだ。
私も社員の中に明らか様に手抜きで働いているものがおり、その人のことはどうしても気になってしまう。心の中では困っていようが手を貸すことはしまい。と決めている。
同僚はその人のことはあまり気にならないそうだ。むしろいてくれるとありがたい存在なのだそう。
同じ人に対して立ち位置や目線が違うと感じ方はこうも違うものか。と感心した。
私に出来ることは、ストレスの捌け口となるべく話を聞く事のみ。いつも私の承認欲求を満たしてくれる同僚のストレスの捌け口ならば、喜んで受け止めよう。
これも立ち位置や目線が違えば、苦痛な話と時間になるのだろうな。なんてぼんやりと考えた。

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