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2022憲法記念日に寄せて

憲法の話をします。

まず、
「憲法とはなにか」というと、それは「人民が国の在り方を規定する法的文書」であり、もっとハッキリ言うと「人民という主人に対して、主人に仕える召使いとしての国があり、その間に交わされた契約書」のようなもの、
といえるでしょう。

これには、大前提が幾つかあります。

ます一つは、
憲法の有無に関わらず、
・人民は存在する。
・人民は自由権と社会権を有する。
・人民の地位は国家という機関に対して上位・高位である。
そして、国家は、
・人民の権利の競合を調整する。
・あらゆる人民がそれぞれに幸福を追求することを妨げずに支援する。
そのために人民に奉仕する存在だ、
ということです。

そしてもう一つ、
憲法とは、主権者である人民が、人民の幸福追求のために使役する機関である国家を定義するためのものであって、
使役される立場にある国家が、「人民のあるべき姿」を定義して人民を縛るモノ「ではない」、
ということです。

これらの大前提をもとに、人民と国家との契約を明文化したのが、憲法です。

日本国憲法の優れている点は、その大前提の明文化が、徹底している点です。
…ただ、残念ながら、
その実現を担う政府の不作為と怠慢と、そして支配欲に占められた悪意によって、
現状ではまだまだ憲法の理念が行政に十分には反映されていませんが。

ついでに言うと、
日本の人民の権利は、日本国が付与したモノではないですし、日本国憲法の規定で付与されたものではないです。
人民の権利は、日本に生きる人民の一人一人が、生きている限り無条件て有する、その命の存在のみが唯一にして最大の根拠とします。

憲法は、国という機関や、それを運営する政府が、人民の権利を侵害しない、
という趣旨の契約書であり、誓約書です。
(歴史的には、国という機関は、その実権力者の個人的な思惑や恣意的な行動によって、人民の権利を侵害してきた…しばしば侵害それ自体が目的であったかのように。
そのため、こうした契約書が、現代民主主義国家では必然となります。)

日本国憲法は、
蛇足と言える1条から8条を除けば、
現存する憲法としては最高のモノ、完全に近いモノの一つと言えます。

もちろん、今後、アップデート(改憲)の余地はあります。
まず、「国民」ではない人民に対して権利を保障しないような表現がありますが、それは改め、国籍などにかかわらず、日本で暮らす、日本社会に関わる全ての人民が、日本国憲法で権利を保障される対象であるべきです。
また、人民の権利をより具体的に拡張し、変化する社会に対応して新たに必要となった人民の権利を拡大していく、そのような改憲は必要となりうるでしょう。

なぜなら、
人民の権利は、人類の歴史の中で、進化を続けてきたのですから。
憲法もそれに対応すべきです。

ただし、その逆の、
・人民の権利を制約し後退させるような改憲、
・国家体制を人民の個人の権利の上位に据える価値観による改憲、
そういう方向の改憲は、憲法というモノをサカサマにしてしまうモノ、憲法の理念を破壊して憲法を「憲法と名付けられた憲法ではないなにか、奴隷の鎖のようなもの」にクラックしてしまうので、
論外です。

ワタシは、今の日本国憲法が、人民の生来有する諸権利を全て保障し、権力がそれを侵害しないと約束している憲法である、という点において、現行日本国憲法を支持し、
それらを担保している全ての部分を尊重し、愛し、信頼します。

そして、護り続けるべき対象として、日本国憲法の理念…人民主権・民主主義を奉じます。

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