見出し画像

マズローの欲求階層モデルは本当に正しいのか?ケンリックモデルから考える

マズローの欲求階層モデル

マーケターでもないのに、一年中、欲望のことばかり考えている。欲望と言っても、人間一般の欲望ではない。自分自身の欲望である。自分自身の欲望が把握できれば、幸せになれるだろうと考えている。

この欲望というのはどのようなものなのだろうか。よく言われるものにマズローの欲求階層モデルがある。

STUDY HACKER | マズローの欲求5段階説とは? 仕事&勉強での活用例を徹底解説!

しかし、これは本当に正しいのだろうか。しばしば経営者であれば、月収が200万円を超えたあたりから欲求の矛先が変わってくるという。自分自身が満足するよりも、世の中一般に貢献したいと思う人が増えてくるらしいのだ。

とはいえ、月収200万円は遥かに先に見える私としては、実感としては分かり難い。また東京都心でヒエラルキー競争に励む人達の様子を見聞きしていても本当なのかなと思う。かりに月収200万円でタワマンに住んでいたとしても、月収300万円で鎌倉あたりに別荘を持つような人を羨むのではないだろうか。

少なくとも承認欲求の壁を乗り越えるのは大変そうで、自己実現欲求というのは月収1000万円位までいかないと叶えられないのではないだろうかとも思う。もしそうであれば、該当するのは1万人に4人ほどである(chatGPT調べ)。悟りの道と同じくらい厳しい。

また世の中には何がなくても自己実現欲求という人もいるだろう。社会から認められなくても、自分が好きな絵を描きたいとか、安全が脅かされても承認される方が良いだとか、順序が逆転することもよくある。その意味で、マズローの欲求階層モデルは参考にはなるが、適応範囲は比較的狭いのではないだろうか。

ケンリックの欲求ピラミッドモデル

これに対して、最近、ある著名なマーケターから教えていただいたものにケンリックの欲求ピラミッドモデルというものがある。なんと大御所、マズローのモデルを異を唱えたものだというのだ。本を取り寄せ、どんなものかと読んでみた。


日本マズロー探求部|ケンリックの欲求ピラミッドとは?マズローとの比較・問題点なども解説

このモデルの一番の肝は、マズローの欲求モデルから自己実現欲求を抜いたものだ。ベースになるのは進化心理学によるもので、生物がいかに生き延びて子孫を残していくかという考えになる。

様々な欲求を満たそうとする中で、結果として自己実現がなされるかもしれない。しかし、それは結果であって目的にはなり得ないというのだ。

そして自己実現欲求のかわりに最上位に来るのが、子育て・育児に関するものだ。これは結婚して家庭をもった身としてはよく理解できる。

例えば、所得が不安定になっても、子供を育て上げるためにDV配偶者から逃げるというようなことも説明できるし、子供を育て上げたいから、好きでもない仕事を続けるということも説明できる。

さらに、このモデルの核心となるのは包括的適応度と複雑系という概念である。

包括的適応度とは進化心理学の概念で、ごくごくざっくりいうと、自分が持っている遺伝子が最も広く末永く伝えられるあり方をどれほど取れるかというものになる。

例えば、自分の子供を救うために、燃え盛る家の中にに飛び込むのは自分の生存だけを考えた場合、理にかなっていない。しかし、子供が助かれば自分が持つ遺伝子は今後も伝えられることになるので、包括的適応度を高めることになる。

また自分に子供がいないにも関わらず、戦地に赴く気持ちは、自分の遺伝子を残すという点では理にはかなっていない。

しかし、自分とよく似た遺伝子を残すという点では理にかなう。第二次世界大戦では故郷の平和を思う気持ちで戦地に出かけたという話を聞く。狭い地域では数代遡れば、全員一族みたいなところもあるので、包括的適応度を高めるという点では理にかなう。

同じく、誰にも知られずに寄付をしたり、異国の子供を救うために身銭を切るというのも、人類の遺伝子を残すという観点から見ると理にかなう。

そして複雑系である。

いま、手元に本がないので、どのような言葉でケンリックが語っていたかは確認できないのだが、あるシステムは、それを保とうとしてダイナミックに内部状態を変えるという概念だったと思う。

例えば、一つの職場に3つ派閥があるような状態を考えてみよう。この派閥はお互いに争っているが、その力関係は状況によって変化する。景気が上向く時にはイケイケの部長の派閥が幅を利かせるかもしれないが、景気後退局面では慎重派の部長が重用されるかもしれない。いずれにしろ、会社という一つの組織を保つために、その力関係はダイナミックに変化する(話がずれるが、このような状態は、右から左まで様々な派閥を揃え、ヌエとも言われた昔の自民党のようでもある)。

ケンリックによれば、わたしたちの欲望システムもこのような関係性を持っている。生理的欲求から子育てまで様々な欲望があり、その階層もあるが、これらは命を繋ぐために(包括的適応度を最大化するために)、関係性や重み付けが変わってくるというのだ。

マズローとケンリックのどちらが正しいかは判断しづらいところであるが、私自身としては、ケンリックのほうが生物学的立場に立脚している分、現実を反映しているように思える。

遊びと欲求の関係性

マズローやケンリックの話からは少しずれるが、自己実現欲求というのは、いわば、遊びの欲求なのかなと思うことがある。

例えば小さな子供は遊んでばかりである。しかもいつも危ないことばかりだ。ではなぜ危ないことをしているかというと、自分の能力を試したいからなのかなのではないだろうか。

人間はうまくいく確率が7割位の見込みでもっともやる気が出るという。あのブロック塀から飛び降りられるかどうかはわからない。でも飛び降りてうまく行ったら、次はもっと高いところから飛び降りる。そうして怪我をするところまで冒険をして自分のポテンシャルを開花していく。

不確定性を楽しむ傾向はヒトだけでなく、他の哺乳類の子供でも見られるものだという。ではなぜ我々哺乳類は不確定性を楽しむのだろうか。

これはいわゆる「なぜなぜ進化論(とってつけて考えたような進化神学的解釈)」になるかもしれないが、ポテンシャルを開花させていくことで、個体の生存と生殖が有利になるからではないだろうか。かけっこをして足が早くなれば、獲物を取るのも上手になるし、村一番の女の子を手に入れられるかもしれない。学ぶことが好きであれば、ピンチに際してその知識を使って生き延びることが出来るかもしれない。

そのような文脈で、不確実性を楽しむ傾向=自己実現欲求は、我々人類に至るまで脈々と伝えられてきたのではないだろうか。

ただし、不確実性を楽しむ傾向は個体の適応度を高める働きしかない(結果として、全体の適応度を高めることもかもしれないが)。その意味で包括的適応度の概念で欲求の階層を再構成したケンリックの方が、マズローよりも一枚上手かもしれない。

おわりに

そういうわけで、私自身としてはケンリック推しである。多分、これは親になって子供を授かって、人生が後半に入り始めたことも関係あるかもしれない。包括的適応度を下げない範囲で、残りの人生を遊びに興じたいと思う。

【参考文献】

Kenrick, D. (2021). 野蛮な進化心理学―殺人とセックスが解き明かす人間行動の謎 (山形 浩生, 訳). 筑摩書房.





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?