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①エホバの証人を排斥になった母とその家族のおはなし その1

志田わらびです。
連続投稿15回のバッジがもらえました~
パチパチ👏👏👏
書くことで、頭が整理されて
よいかんじです。

今回は、
熱心なエホバの証人だった母が、
「排斥」されたことについて。

「排斥」というのは、その名の通り、
よくないものをはじき出すことです。
組織の中で、
教えに沿わない よくない行動をすると
審議※にかけられて、最終的に
一切の交流を遮断されます。

※審議というのは、
長老兄弟が来て、
わるいと思っているか
悔い改める気持ちがあるか
反省しているか
これからは正しく生きるか
等々、取り調べみたいな、討議があります。

排斥されるほどの重罪
それは、なんでしょう。
さぞや重い罪なのでしょううう・・・。

私の母の罪は、
私の母の犯した罪は・・・

ずばり
『盆踊りを踊った』
でした。

はいー。

当時は、私が17歳くらいで、
もう、集会にもいかないし、
だんだん大人になってきて、
家の自営業の手伝いなども
しているような時期でした。
その自営業も、なかなかに軌道にのって、
外注さんを20~30件お願いしているくらいでした。
そんなふうで
父は仕事が忙しく、一時期は一緒に集会も来てくれたりしていましたが、
もう、その頃は仕事一筋、おまけに
町内の自治会の副会長なんか任されていました。

子供も大きくなって
親のしつけも効かないし
夫の仕事も広がってきて仕事も忙しいし
町内の用事もいっぱいあるし
私なら、そんな毎日だったら
宗教に集中する時間がなくなって当然だと思います。
熱心な信者はそこで すべてを捨てて
信仰の道一筋になるはずのところですが・・・?
母も毎日忙しく自営業の仕事とその経理、
家事と育児(弟と妹はまだ小さかったので)を
同時進行でこなしていました。
集会を時々やすんだり
するようになったのも
このころからです。

ある日のことです。

その日は、町内の盆踊り大会でした。
町内副会長の父は、会長さんやほかの係の方と、
運営側として参加していました。
母は、副会長の奥さんということで、
もちろん参加。
町内のみなさんと
わいわい楽しくやっていました。
輪の中に混ざって
ジュースやビールを注いだり
お菓子を配ったり、と
活躍していました。
もともと、
全然引っ込み思案なんかじゃなくて
むしろリーダー的な性格の母です。

だからこそ、エホバの証人に
出会ったときも、
ギュイーンと力を出して、あっというまに
マジの信者になっちゃった。
全力投球だったんだな。

そして、
会場には音頭が流れてきます。

盆踊りは、
お盆に霊界から帰ってくるご先祖様の魂を慰める踊りです。
エホバの教えではこうです。
「人は死んだら”無”になるので、
死んだ人の霊魂の存在などありません。
死後の世界を信じさせるのはサタンです。」
だから、盆踊りなど言語道断なのです。

母は踊りました。
みんなと一緒にたのしく。

私自身は、小中学生のあいだ
学校の運動会や、なにか行事のたびに
音頭を踊る場面では
輪から抜けて
運動場の片隅で気を付けの姿勢で
(毅然とした態度でという命令)
見ていなければなりませんでした。
それは異様で
目立ちまくっていました。
先生や、ほかの生徒に
訝しがられました。
これを私に強要した母が、
嬉々として踊っている姿に
どういう感情を持ったかを話し出すと
本題から逸れるので
省きます。(今回は排斥のことを書きます)

そこへ、運悪く(いや、運よくか)
長老兄弟がその会場を見に来たのです。

なぜなら、その日は日曜日。
午前中の集会に現れなかった
母の様子を見に来たようでした。

長老兄弟は、「なぬー(# ゚Д゚)」
となって、
それからすぐに
母の この問題行動?はほかの兄弟にも知れ渡り、
審議にかけられることになりました。

これは、
母を取り囲む人間関係
仲良くしていた姉妹たち
そして、わたしたち家族
ずっと反対していた母の両親(私の祖父母)
それぞれに波紋を呼んだ出来事でした。

この続きは
また次回に書きたいと思います。

最後まで読んでくださり
ありがとうございます。


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