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【推しを作るのが怖いっ!】

どんなものでも好きになったら、好きで好きで好きすぎて、自分を失うのが怖いと、思うのは私だけだろうか。
昔とある特撮にハマったときは収入の三分の一はグッズやらDVDに消え、新聞配達の仕事がおろそかになるほど、その特撮のことを考え続けて。ふと気づいたら生活の全てになっている。とにかく好きすぎて、ガチ推しというのをしてた。

が、とあるとき、思ったのだ。
こんなに好きで応援する自分、めっちゃキモい!!!!

「自分の存在を忘れてしまいそうなほどに、コンテンツにドハマリしている・・・」

私は大学で歴史を学んでいたのだが、主に経済と宗教の関連について、とても気になって研究していた。
そう、自分を失うほど、特撮にはまっていき、特撮のことで一喜一憂し、感情がどうかしそうな自分が怖かった。
ぞーと自分に対してドン引きしまくった。
まるでそこに神がいて、信仰者として傾倒しているのと、何が違いがあるのかと思った。

それくらいの愛と好きを込めて信じるのは、私にとって不気味・・・だったのだ。
なんせ、心は満足するが、生活がおかしくなるほどお金を使うのも、理性が消えかけてる。
むしろ理性が消えたい!!!という感じもしたのだ。

なぜ、私はそう思うのだろうか
今は推しの時代である。この感情をもったのは、今から一〇年以上前、オタクがまだ影に隠れまくる時代とはいえ、推しという感情自体は存在していた。

うーんと思ったところで、そういえば父親が一時期新興宗教団体と絡んでいたことをおもいだした。
その宗教は別にそこまで新しいわけではなく、ひっそりと静かにこもるように、仲間内に信仰を深めていくような感じだった。

母は、一人子供を流産しており、その子のことをちゃんと供養しよう、念仏をとなえさせられてたりしたが、私は拒否反応は起こさなかった。
うちは、それなりにおかしい家だったし、高校卒業したら、大学にいくのを利用して、自力で家を出ていく。という感じだったからだろう。

しかし父は急にというか、いつのまにか、その宗教団体と縁が切れた。
一言でいえば、父はその団体でなにかしたらしい。

私はなんとなく何をしたのか、想像がつくことがある。
これはあくまで想像である。しかし、父親の性質を考えると、あながち外れではない気がする。父は、宗教団体の人を、騙したんじゃなかろうか。

敬虔で、自分の信仰に忠実であろうとする人たち。
父の思考は

真面目で優しく、何かを一生懸命信じてる人ほど

金を取れる

父は自分のことを、とてもいい人間、優しい人間、話を聞いてくれる人
と、おもわせるのが、とても上手だった。応援する人、まわりに人も多かったという。

そう、推しなんである。
今風に言えば。

でも誰かのアイドル(偶像)になれる人間が
誰よりも、ナチュラルに、悪意をもてるのであれば
金なんて、ぽいぽい取るのは当然であった。

しかも推しという信仰が深まれば深まるほど、自分の理性や考えは捨てていく
今なんて、ずいぶん、便利な言葉があるものだなと
検索して思った。

推しは心のストロングゼロ

頭が壊れるほど、信じれる応援できるって、ほんとに幸せだと思う
だが、私は出来なかった。

神が悪意をもち、搾取に走った症例が、父親なのである
そして、そんな悪意をもった人間は多分だいぶ多い

そしてそういう人間は隙をずっと狙っている
人が己を失いたくなるという隙を

とはいえ、なにか私だって好きになりたいこともある。
面白いコンテンツはいま、あふれんばかりにあるし
推しがたりはとてもとても楽しいのだ。
もし仮に推しが生まれることがあったとしても
少なくともそれは、(中の人が人間であることを含めて)人間ではないことを祈る

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