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【創作大賞2024恋愛小説部門】早春賦 #15「三つの夢」

前回のお話はこちら》


バイブ音が聞こえて、惣一郎はゆっくりと目を開いた。右手で枕元をまさぐり、アラームを切る。朝の10:00だ。
惣一郎はベッドから起き上がり、Tシャツとジャージを身につけた。そして、キッチンで白湯を作り、ゆっくり啜りながら、水筒にぬるま湯を注ぎ入れた。

10:15、玄関を出てジムに向かう。
12:00、ジムから帰宅。
    シャワー、洗濯、掃除、昼食を手早く済ます。
13:00、仕入先から届いた食材を業務用冷蔵庫に収め、
     再び玄関を出る。
14:00、店に着き、雑務をこなす。
17:00、店を出て、商店街で買い物。
18:00、帰宅し、フードの仕込みに取り掛かる。
22:00、後片付け、入浴、読書。
03:00、就寝。 

これが、十三年間続く、惣一郎の定休日の基本ルーティンだ。

この春から、新たなルーティンが加わった。
14:00に店に着き、ひと通りの雑務を片付けたところで、夕食のメニューを考える始める。前回はイワシの梅煮だった、今夜は何にしようか…。
と、ちょうどそのタイミングで、店のドアが開く。

「モクさん、おはよう。」

15:00、満面の笑みを浮かべた若葉が、花の包みを抱えて入ってくる。途端に、店内が明るく華やぐ。
惣一郎はノートパソコンの画面に顔を向けたまま小さく頷き、若葉の方をちらりと見やり、その涼し気な姿を見て、今日はアユの塩焼きだな、と主菜が決まる。

17:00に若葉と一緒に店を出る。二人でフードの仕込みをして、夕食を取り、リビングで読書する。

21:00に仕込みを再開し、23:00ちょうどに終了。若葉がママと暮らすマンションまで徒歩三十分、クロスバイクを押しながら若葉と並んで歩き、若葉がエントランスロビーに入ったのを見届けてから、クロスバイクに乗って自宅に戻る。

このルーティンが月に二回、若葉のお華の稽古日に発生する。

定休日の店に若葉が来るようになったのは、昨年の十月からだ。定休日に色々教えて欲しい、と若葉から請われたとき、惣一郎は躊躇した。

…教えること自体はやぶさかでないが、休みの日にまで顔を合わせるのは億劫だ。

そう思いながらカウンター脇に立つ若葉をちらりと見やると、若葉は胸の前で手を組み合わせ、祈るような面持ちで惣一郎の答えを待っている。
せっかくやる気になっているのに、無下にするのも忍びない。仕方なく惣一郎は承諾した。
若葉は嬉しそうに飛び跳ねて「ありがとう」と言った。

そして今年の三月。今度は、フードの仕込みを手伝いたい、と若葉が言う。やはり惣一郎は躊躇した。

…母親が死んで以来、自宅に他人を入れたことがない。できればご免こうむりたい。

そう思いながら隣のスツールに座る若葉をちらりと見やると、若葉はひざの上で手を重ね、真剣な面持ちで惣一郎の答えを待っている。

「…次回からな。」

若葉の顔を見ずにポツリと言うと、若葉は丁寧に頭を下げて「ありがとう」と言った。



約一年間、ママ不在のままモクさんと二人で店を運営し、そのうちの半年近く、モクさんに色々と教えを請ううちに、若葉に三つの目標ができた。

【1】美味しいお酒を作れるようになること。シェーカーを振るのはモクさんに任せるとして、自分はビルドやステアのお酒を作れるようになりたい。

【2】おつまみと冷菜だけでなく、温菜も提供できるお店にすること。モクさんは神楽坂の料理屋で修行した料理人なのだから、その腕をもっと活かせるといい。

【3】モクさんに代わって自分が経理を担当すること。雑用を自分が担当することで、モクさんには、モクさんにしかできないことに集中してほしい。

若葉はこれらの目標について、モクさんに話してみた。モクさんはノートパソコンの画面を見つめたまま少し考えて言った。

「…それまで、お前がうちの店にいたらな。」

モクさんはその台詞を「そうなる前に、お前はうちの店を卒業してしまうだろう」というニュアンスで言ったつもりだったが、若葉はそれを「早くそうなるよう、せいぜい頑張れ」というゴーサインだと受け止めた。

そして、それならばまずは、モクさんが温菜に手を広げられるよう、フードの仕込みを手伝いたい、と考えたのだった。

フードの仕込みを手伝うことをモクさんに承諾してもらい、若葉は緊張を新たにする。料理などロクにやったことがないのである。

「合間に夕飯を作るから、お前も食ってけ」とモクさんは言ってくれたが、若葉は、自分の食べ方の汚さに自信があるのである。

自分から申し入れておきながら、承諾してもらった途端に逃げ出したい気分になり、若葉は自分を叱咤激励した。


続く

前回のお話はこちら》


【第1話はこちら】

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