40歳、不妊治療はじめる

不妊治療を記録に残す

タイトルの通り。
はじめるにあたって不妊治療にいどむ他の方のnoteを穴があくほど読んだ。共感したり、涙が出たり、勉強になったり。そんなわけで、どこかにいる不妊治療の記事を読み漁る誰かのために私も書こうと思う。

これまで治療しなかったわけ

結婚してから5年以上経つが、私たちは病院での治療は行わなかった。共稼ぎだし、特に私(妻)のほうが仕事が好きだった。職場はいわゆる古い体質の女性がやり辛い会社で、必死にもがいてちょうど結婚した頃からようやく会社でやりたいことがやれるポジションになってきたものだから、そのチャンスを逃すことは絶対に嫌だった。治療してまで子供が欲しいとは思わなかった。
コロナの時期になり、海外とやりとりする仕事なのに海外出張に全く行かれなくなった。まぁこの時期がチャンスじゃない?ということになり、自分たちなりにタイミングをきちんと取るようになった。できなかった。

一度失ったタイミング

できないね、という話になった時、私は治療してまで頑張れないと夫に言い出せなかった。でも夫は「不妊治療は女の人の身体の負担が大きいらしいね」と言って治療したいとは言わなかった。本音は言わずに気遣ってくれたのかもしれない。悶々とする中、健康診断で筋腫の指摘があった。ちょうど引越したタイミングだったこともあり、新しい町の婦人科に行った。結局筋腫は妊娠を阻害するものではなく、経過観察で良いことになったのだが、そこの女医さんに妊娠希望だが不妊治療の予定はないことを話すと、
「妊娠希望してるのね。37歳?病院行ってないの?どうして?なんで?」
と矢継ぎ早に聞かれた。妊娠は適正年齢なら若いうちのほうが良いとか、出来ないなら病院行くのも選択肢なことくらいお医者様に言われなくてもわかっている。どうして私はこの人に治療してまでやろうとは思わないという価値観や、仕事観について話す筋合いがあるのか?というか、婦人科に行ったらこんなことを言われるのか?この経験でメンタルがやられたというか、一気に婦人科に行くことが嫌になってしまった。実際不妊専門クリニックに行けばそんなこと言う医者は1人もいないのだけれど、とにかくこれが自分の思考をしばらく停止させてしまったことは事実。

1歩、踏み出す

10の位4がリアルに見えてきたある日、仕事で色々あったりして、夜中に考え事をして眠れない日があった。思考を巡らせているうちに、自分は子供がどうしても欲しいわけでも欲しくないわけでもない、自分は一体子供を持つ人生なのか、そうじゃないのか?と考えていたら涙が出てきてしまった。眠りの浅い夫に気づかれ、正直に話した。彼は黙って聞いていた。自分でコントロールできないことを憂いて泣いても仕方ないよ、いつもの超現実主義な答え。ほんとそう。これが夫の良いところでもある。私から「病院行ってみる?」と聞いてみた。間髪入れずに「うん」と返事があった。このとき、ポジティブでもネガティブでもなく、自然に、じゃあそうしてみよう、という気持ちになった。

おわりに

これから治療の記録や出来事を書く前に、まずは病院へ行くという選択をするまでの感情の変遷の部分を書いてみた。

筆者がこれまで超前のめりに妊活をしてきたわけではなく、むしろキャリアとライフステージのはざまで悩むことのほうが多かった、というかそれが大半だったことを強調したい。また、それと同時に、ふとした流れで「そうだ、病院に行こう」とごく自然に思ったこともまた事実である。この気持ちの変化はまだ明確に言語化できないが、もし妊娠して一旦キャリア市場から退出してもまた戻ってこれるんじゃないか?会社から何か自分に不利な仕打ちを受けても異議を申し立てたり援護射撃してくれる人を集められるんじゃないか?といったある程度の見通しが立てられるくらいキャリアを成熟させることが出来たことは一定に深層心理に影響しているのかもしれない。
とはいえ、いつも不安だ。ずっと考えてきたが、どうして女性の出産適齢期とキャリアのピークは同時期になってしまうのだろう。生物の身体の仕組みは変えられないのだから、キャリア形成のあり方は変わるべきだと強く思っている。


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