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弾き語りで感じる世界|莫大な情報を認識できるが集中できるのは一つだけ

伴奏しながら歌える人って、神次元として尊敬しています。
ピアノでも、ギターでも、ドラムでも皆そうです。

学生時代に夢中になって、ロックギターに励みましたが、
自評、甘めに見ても中級の下といったところでしょうか。

バッキング(コードカッティング)やソロ(速弾きが憧れ)も、
各々に注目して弾いてみれば、そして聴いてみれば、オリジナルと比べても遜色ないんじゃない?
と自画自賛できる瞬間はありますが、

そこに歌を乗っけるなんてことは到底できません。
コードストロークだけでリズムを刻む曲ならば、かろうじて弾き語り(シャウト系が主でしたが)はできますが、歌に心を込めたり、意図的に味付けをしようなどと思った瞬間に、ギターを進める両手は止まってしまいます。

残念ながら、歌と伴奏の両方に心を込めて集中することができないのですね。

あぁ~、凡人なんだなぁ~と思い知らされる瞬間です。

それでも、その神業と呼ばれる次元の感覚を味わった瞬間はあり、何となくですが頭の中では分かっている気がします。

感覚的には、歌が上段、ギターが下段だとすると、頭の中で描く空間はちょうどその真ん中の中段あたりということになります。

簡単に表現すれば、どちらにも偏って集中しない中立領域ということになります。
気分(精神状態)としては、陶酔状態(ハイ)にあるのだと思います。

ただ、ただ、ギターと歌(バンドなら他の楽器)の音とリズムとの融合を感じながら、しかも全てを自身がコントロールしているかのような錯覚の中で、同時に次々と先へ進む感じです。

初めての峠道(ワインディング)で、上手く車を操るうちに車と自身が一体になっているかの錯覚を感じるような感覚です。

学生時代、クラス対抗の合唱大会の中で、音程も声量も完璧な状態で重なった時に、体の奥底から込み上げる感動で涙が出そうになったことはありませんか?

あの感覚にも非常に似ています。

耳から入る現在進行中の音が自身が発生する声(音)と融合して、あたかも全てをコントロールしているかのような錯覚に浸る感覚です。

最高に気持ちいい瞬間ですね。
あの陶酔感はたまりません。


この感覚を思い浮かべ、書き表すことに燃焼してしまった感がありますが、
と言うことで、結局のところ、人が集中を発揮できるのは、現在進行中の一つだけなのですね。

弾き語りで言えば、ギターだけでもなく、歌だけでもなく、その中間点の一つだけ。

合唱で言えば、みんなの声との融合点だけ。


人は、素晴らしく莫大な量の情報を認識することはできますが、向き合って本当に集中できるのは一つだけなのです。
とても優秀なようで、実は、か弱く単細胞的な存在なのです。


結論を急ぎます。

混乱している時は、先ずは一つの事柄だけに集中すること。

弾き語りを目指すなら、王道理論ですが、歌は情景が浮かんで映画を観ているかのような錯覚を感じれるまで歌い込むこと。
ギターは指板を見ることなくコードを押さえ、スライドでき、どの弦を弾いているのか確認しなくてもよくなるまで左手、右手ともに馴染ませること。

一気にハードルが高くなったように感じますが、芸術級を目指さない限りは、意外とそれほどでもないのは確かです。
歌の部分は、気持ちさえあれば誰にでも攻略できる部分ですよね。
ギターの部分は、確かに、一夜にして求めるレベルには達することはないでしょう。
しかし、ここは焦らず積み重ねです。
しっかりとギターに集中して、好きな音、好きな和音、必要なコードへと順に向き合って行きさえすれば、気が付けば、目指す音が鳴り始めています。


・希望を持って前に向かうこと。
・先ずは一つに集中すること。
・積み上げること。

その先に、必ず、陶酔できる気持いい世界が待っています。
私は、そう信じています。
今は、その気持ちが生きる原動力になっていると思います。


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