ギャンブルと人間/真に取返しの付かないほど狂っていくのは、客ではなく胴元

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ギャンブルと人間についてはこれまで数えきれないくらい語られてきた。

生活を破壊する、依存する、社会に悪影響をもたらす、教育や規制が必要だ


ところが、何百年か何千年かグダグダと言われてきたこの話

肝心なことが2つ抜けている。


一つ目は、問題はギャンブルではなく「依存」のほうだということ。

二つ目は、本当に人として狂うのは「胴元」だということだ。


一つ目の話については、もうそろそろ、説明しなくても素直にわかろう。

この時代、どんな鈍感でも本当はもう気づいている。

言われるまで気づかないのではなくて、素直に認めるきっかけを失って

ダラダラと過去の言説をトレースしているだけだ。

ギャンブルだけが問題なのではない。

酒 たばこ ゲーム コレクション アイドル ホスト 風俗 薬・・

あらゆる依存が存在し、そのどれもが凶悪になりうるのであって、

問題は「依存」であり、知るべきはその原理原則だ。


依存は、日々の生活で空虚さ、手ごたえのなさ、生きがいのなさ

孤独、はけようのないストレス、失うものの少なさ

などが引き金となっていることに間違いはない。

社会がやるべきは規制ではなく、どうしたらそういった状態になる人を少しでも少なくできるか?であり、それ以外はまやかしに過ぎない。

この話は当然すぎるので、もはや語る必要すら感じない。いい加減気づけ。


今回の本題は、本当に人として狂うのは「胴元」という話だ。


本当のところ、ギャンブルそのもので人は堕落しない。

本当に人として堕落するのは胴元である。


世界中でギャンブルがこれほどまでに問題になってきたのは、

多くの人が生活を破壊されたのは、

人がギャンブルに嵌るから、というシンプルな理由ではなく

胴元が不正を含む狡猾な方法で暴利をとって、客からありえない割合で金を奪っていたからである。

ギャンブルをやったことがない、やらない人は机上の空論で物をいう。

ギャンブルは怖いものだ、抜け出せないものだ、破産する、などと

親に吹き込まれ、やったこともないのに同じことを誰かに伝える。

だが、実態はそうではない。

ギャンブルには多くの場合「胴元」が存在し、胴元は客に見えない部分で、利益率を操作することができる。それは大きな利権となってきた。


2000年台に流行ったFXの「ノミ」行為であったり、

現在もある国営の、競馬・競輪・競艇もその筆頭だ。

世界的にはオンラインポーカーやオンラインカジノも極めて悪質だ。


パチンコとスロットは、それらよりは多少マシだが、店や地域によっては、

極めて悪質な運用しているところも多い。


なぜ、ギャンブルそのものが本来問題にならないかというと、

ギャンブルというのは基本的に「運」+少しの技術で構成されていて、

技術差が出にくく、特定の人が大きく負けすぎないようにそもそもできているからだ。(技術要素が高いものはギャンブルとして普及しにくい。)

ではなぜあれほど、借金とか横領で事件にまでなるのかといえば、

利益率の設定がおかしいか、不正が行われているから、客の金があっという間に吸われてしまうからだ。(+α掛け金が大きすぎるも理由としてある)


胴元の手数料(利益率)の設定を単に低くし、不正などがなければ

例えば1時間あたり5%の利益率にすれば、(回転率などもあるが端折る)

1万円をかけても500円、10万円をかけても5千円しか客は負けない。


回りくどい話を避けて事実のみ書くと、今あるギャンブルの多くは、

1回転あたりの利益率が20%とか30%とか信じられないくらいの金額をぼったくっている。

競馬等もそうだし、パチンコパチスロも公表値ではそうではないが、実測値はそれに近い。

オンラインポーカーサイトも、アクティブプレイヤーに見える60%~80%が、運営の自動BOTシステムであり、

表向きの収益源であるレーキ(手数料)などで運営しているのではなくて、利益のほとんどを不正なプレイングによって客から奪うことで稼いでいる。

実質的なギャンブルである、FXや仮想通貨建てFX、その他類似商品も、

手数料以上の利益を、不正な方法で得ている場合が多い。


もういちど、まとめて書こうか。

本当に悪質であり、人として人格や品性を損ない、反社会的であるのは、

ギャンブルそのものや客ではなく、胴元(のあり方)であり、

それを利権的に許容している社会構造である。


それから目をそらさせるように、

ギャンブルそのものや、客の一人一人が問題であるとし、

胴元の問題から目を逸らし、

そこで生まれ続ける社会問題が起こるたび、議論のふりをし、

三店方式だの、国営ギャンブルは触れないだの、警察がどうだの、風営法がどうだのと、

まったく本質的ではない話をそれっぽく行っては忘れ、

そんなことを延々と繰り返してきた。


確かなことは、ギャンブルの問題において、

胴元の悪質性が極めて高く、その他の要素が無視できるほどであり、

それについて触れないいかなる議論もすべてまやかしであるということだ。


胴元というのは、運営し続けていくうちに、必ずと言ってよいほど次のような発想になっていく。


よーしこれでがっぽり稼ぐぞ

客をたくさん呼びてえな

稼げてきたけど、収益の上下が激しいな

まあでもこういう稼業だししょうがないよな

自分が打ち子でやるより全然マシだ。

でもなんとかリスクと変動を減らして儲けれないだろうか

そうだ、客同士うまくぶつければいい

よしよし収益も安定してきた

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しかし・・客というのは毎日毎日大金を使うどうしようもないバカだな

なら、どうせだしもっと取ってもいいんじゃないか

そうだ、ちょっとぐらい不正をしても分からんだろう

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ほれみろ、まったく気づいてない 稼ぎが3倍だ

あの勘のするどいうるさい奴は出禁にしよう

アレを調整してもう少し搾り取ってやろう

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〇〇という客が勝っているようだな

けしからん、〇〇が勝つということは他の客が負けるということだ

〇〇を出禁にするか?しかし理由もないしな 軽く嫌がらせしとくか

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客は全員どうしようもないバカ 毎日来店して 早く金だけ落として帰れ

毎日安定して大金を払う奴だけが「客」だ それ以外はいらない

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最後には、ギャンブルや勝負事で養われる美点である、

リスクを負う、決断する、結果を受け入れる

という3つすらもしないどころか、そこから最も遠いクズに成り果てるのが胴元の宿命である。


お気づきかもしれないが、これはギャンブルの話だけではない。

その他、社会一般で、

胴元的な存在に成り果て、暴利を稼ぐために人を苦しめる存在に成り果てた

そんな存在を身近にいくつも見つけることができるだろう。


気が向けば、胴元に収奪され続けるバカに向けた処方箋も書くつもりだ


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