「嫌い」はごまかし。2種類の全く違う深層心理

ある人のことを「嫌い」という人がよくいるが、そういう人は感情の解像度が荒い。

嫌いという言葉を分解すればわかる。

気持ち悪い ウザい どう対処していいかわからない かまってほしい 相手を下げたい の大体どれかが色々な割合で潜んでいる。

このどれがどれくらいの割合で自分の中にあるかが分かっていれば「人を嫌う」ということが必要無くなる。また、誰かが自分を嫌っていることを表明してきたときに本当に起こっていることが分かるから恐れが減る。

「気持ち悪い ウザい」は生理的な嫌悪感

「どう対処していいかわからない かまってほしい 相手を下げたい」が自己無能感

この2つに分けたとき、全くその性質が違うのが面白い。人が嫌いというときに前者なら自己防衛から、後者は駆け引きする意味で言っている。

生理的嫌悪感は、その相手が生物的にエネルギー的になんらかが劣っており、悪い状態にあり、近づいたり関わるとその悪い成分をもらってしまいそうだと感じることによる。それがおぞましく感じるということだ。

単純に人間は腐っているものを警戒するようにできている。当たり前のことだ。生きるための重要な仕組みであって、腐っているという感覚の重要性からみれば「人は皆平等です。平等に扱いましょう」といった取ってつけたマナーなど戯言でしかないのだ。

これがシンプルかつ残酷な事実である。

ここで面白いのは、ある一定以上の差があると、逆に嫌悪感が減るということ。

例えば、大人になると虫が苦手になる人が多いのは、虫が湧くものは腐っていることを示していて虫が自分の身体にうじゃうじゃ沸いてしまうことを無意識に恐れるからだ。それは自分が生き物としてダメになっていることの確実な証明になるからだ。

多くの人が子供の頃に虫が平気なのは、自分の身体の健全さが圧倒的だから。虫に近づこうが触ろうが悪い影響を受けないことに確信があるからだ。

虫めでる姫とか高畑監督のかぐや姫もそうでしょ?

人間同士の場合も同じである。例えば年寄りに触ることを嫌がるのは、20代中盤以降から対象ー10歳くらいまでの奴が多い。

ぴちぴちの若者と同年代の人は嫌悪感が少ないことが多い。

したがって、俺のように圧倒的に健康であれば虫も老人も恐れる必要がないのだ。俺は尊敬している老人の涙だって舐めることができる。このように最も残酷なことを平気で言う俺が、行動としては最も優しいことができるという皮肉。

とってつけた道徳でごまかす人間どもが、自分も似たようなもののくせに、より汚いものを恐れている滑稽さ。

つまり真の意味で優しくなりたければ自分が健康で清浄なければハナシにならないということだ。健康さと清浄さこそが生命的な意味も含めた優しさの源なの。


次に、「どう対処していいかわからない かまってほしい 相手を下げたい」のほう

これは単純に自分のほうが劣っているときに起こりやすい。

戸惑い+劣等感のごまかし+感情のホメオスタシス= 「そうだ、とりあえず嫌いということにしよう」(あ、それを気づかないように無意識にやらないと) ということww

好き避けとかもそれねw トトロの勘太の「お前んちおっばけやーしき!」とかねw 

まともな人は小学生くらいでもうこの仕組みが分かってきて起こりにくくなるんだけど、まともになり損ねた人は大人になってもずーっとやっちゃうのねw

これの度合いが強いほど、感情的な幼稚度が高い傾向あって、まあ色々利用されちゃうんだけどねw 恋愛の鴨になったりビジネスの鴨になったり・・

ファンビジネスのでぃーぷな主要顧客はこの人たちです。そういったビジネスをされている方におかれましては大事に可愛がってあげてくださいなwしっぺ返しには気をつけろよ?


けつろんとしては、前者はわざわざ他人に不必要に言わないだろうけど、嫌悪感をいだくのはある程度近いとこにいるから起こるということを知っとけ。ほんで自分を磨く材料にしろ。

後者は聞かれてもねーのに他人に「あいつ嫌い」を振りまくことに熱心な雑魚で、幼稚な癖にプライドが高い奴。無能な癖に影響力を発揮したがるゴミwそのプライドすら幼稚なこだわりに置いている奴。こいつらはその仕組みを知って愚かさを自覚しないと先に進めない。これ読んでハッとしたやつはまだ救いがあるよ。がんば!



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