自分の成長が見えなくなるほど、他人の成功や差を認められなくなる

大人になると、他人のちょっとした成功や自慢に敏感になるよね

みんな子供の頃は俺スゲー私かわいー言いまくってたの忘れんのかな?

やたら自慢するやつやマウンティング?wする奴も当然うざいけど、

ちょっとした自然な会話で、自慢やマウンティングかどうか常に神経を張り巡らしている自粛警察も同じくらいにうざいよな。

聞く人によっては自慢にもなってない嬉しい出来事や事実を言っただけなのに、それすら自慢だのマウンティングwだのと捉えられる風潮のうっとおしいこと。

というかここ10年くらいはそっちのほうがうざいわ俺にとっては。

んでどうしてそうなってしまうのかというと、結局自分の人生のお先が真っ暗になるほど、誰かと差があったときにそれを埋められる可能性がなくなった感じがするので、他人を叩くしか不快感を何とかする方法がなくなるんよね。

なので、自分の可能性の感覚=他人の良い性質や出来事を認める器量

に100%なるわけだ。腐ったやつらは自分の可能性のなさへの絶望を巧みに隠し、同調圧力で輝いている人間を封じにかかる。

そいつらの伝家の宝刀といえば・・「ひとの気持ちを」うんたらかんたら ってやつねw

覚えておいてほしいのはそういう発言を良くする奴らのほぼすべてが、「人の気持ち」の全体像を全然掴んでいなくて「劣等感の痛み」ばかりにフォーカスしてるってこと。そしてそれを誤魔化すために他人に発言の自粛を要請するテクニックにしてるってこと。そしてもっと広くて大きい「人の気持ち」はむしろ全然わかってないことが多くてそれゆえに愚かで醜くなっているということ。

俺らはその事実に対して、最低限の気遣いさえあればいい。一時的に落ち込んでいる人への気遣いとか、勝負から降りてる人を追撃しないとか。

仕組みが分かってしまえばなんてことはないんだけどね。

ゴミはもうじきに暴かれて攻撃もできなくなりどうしようもなくなるので、放っておいて先にいこうぜ




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