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最後には 死ぬこと以外 見つからぬ(5.7.5)


この先人類がどんなに進歩・発展しても結論は同じ。

不老長寿になろうが、平和になろうが、

あらゆる世俗的欲を極めようが、

何人の人と素晴らしい絆を作ろうが、な。

「あれ、真のゴールって死なのかも」 という結論に行きつくだけ。


まだ人類のステージでは、死は悪いことや忌々しいことやと思っておる。

んで、往生際悪く、病気に殺されるか、人に殺されよる。

または一時の勢いで自殺しよるか。

死が忌々しいと思いこむのは「不本意な」死で人生を終えるからや。


それはな?生ききってないからよ。

社会のほうも、生き切ることができないようになっておる。

究極に生き切ってみい?やりたいことがなくなるまで。


それは諦めとか悟ったフリとか とちゃうよ?

いつまでも世俗欲にまみれることともちゃう。

そんなのどっちも紛いもんの誤魔化しや。


ナポレオンを超えるくらい、余の辞書wになくなるくらい不可能なことを無くし、諦めとか悟ったフリを無くしてみ?

そんでもって、世俗欲も全て叶えてさ、

他人のことも心底想像できるようになって好かれて、

必要なら好かれないこともできて、

依存するものも無くして肉体以外ほぼ完全に自由になって、

その後素直に心を見てみ?

それらほんと、どーーーでも良くなってるからw


そこでよーやく気づくんよ。極めて前向きな理由、というか他にいいものがないし、なんだか死が魅力的に思えてくるのさ。「いっちょ死んでみよっかな?」って。

まあそこまでいかんくてもボンヤリとは気づけるけど、気づきとしてはどーしても甘くなる。

やり切らんと、自分が「すっぱいぶどう」の狐なんじゃないか?って疑いが晴れないからなw んで、実際のところそうなんだけどw


ちゃんと生きてると、こういうサイクルが何度も回ってくるんや。

不思議なことにな。死を覚悟というか、希望するというか、お任せする?ようになると、それが深まって自分にとっての一定値に達すると、次の日何だか生きたくなるんよ。

ありゃ?世界の見え方が明るくて軽い感じだぞ?ちょっと今日は生きてみよっかな? って感じかな。おもろいよなー昨日あんだけ死に思いを馳せてたのに。

んでな、わしの見立てやと、死に近づくことで、おそらく次元の高いエネルギーを補給しとるんよ。補給って言い方は正しいか分からん。

そうするとな?肉体とか思考とか見え方とか感じ方とか、全部がアップデートされて、人生のステージが上がっていくんよ。

面白いよなあ。死にたいと思ってたのに、なぜか生きる方が強化される。

そんなことの繰り返しでわしはいま、こうなっとるんよ。

繰り返すたびに、確実に死の境地に近づいているのが分かる。

死の境地に近づく、深まるほど、生のほうも次元があがって強化されるんよ。 両側が同時にでかくなっていく感じよな。

そんでな? ワシがよく言ってる「不老」でさえも死のおかげ、賜物なんよ。

ワシの予測だと、「生きながら死ぬこと」がどれだけできているかが、不老の鍵やな。

おもしろいよなー 死ねば死ぬほど、死が好きなほど、生が充実してしまう。

神さんがいたとすれば、「お前はもう死んどるから、これ以上死なんでええ、生きろ!」って感じなんかなw あざーーあっす って感じやけどな。


ほんだら今日はこんくらいにしとくわ


ほな

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お前かい!!


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