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境界線について

すぐに忘れてしまうけれど、大切なこと。煮詰まってから、そうだった、そうだったと思い出すこと。

数字でいうと「2」や「6」や「9」を持っていると、人間関係に関する境界線が曖昧になりがちなのだけれど、どんな人も、きっぱりとは線が引きにくいものなのだと思う。

子どもが小さかった頃、アドラー心理学をベースにしたメソッドを学んだことがある。子どもの行動について、親の感情から子どもの目的を知る方法をはじめ、本当にたくさんのことを学び、子どもが中学生になった今でも活用している。授業のたびに、へぇーと深く頷いていたのだけれど、一度ドキッとした覚えがある。それは、子どもの世話をあれこれやってあげることは、それが過ぎてしまうと「子どもの成長を奪うことになる」ということだった。例えば、忘れ物をしないように、いつもいつも親が準備をしてしまったら、その子は“忘れ物をしないようにする”という能力が育たない。大人になって初めて、忘れ物して困ったという“自然の結末”を経験して、やっと忘れ物すると大変だから忘れないようにしようとするようになる。しかし、多くの親は、忘れ物をしないように手伝ってしまう。忘れ物は子どもの課題で、困るのは子どもなのに、親は、子どもが忘れ物をすると恥ずかしかったり、子どもがだらしないのは格好悪いと思い、子どもの課題へ境界線を乗り越えてしまうのだ。

子育てだけではなくて、仕事関係でも境界線越えが起こる。人から仕事を助けてほしいと頼まれた時に、断るのが難しいために引き受けてしまうことはないだろうか。それは、業務を断ることが、業務を頼んできた人を拒絶すると感じてしまうこともあるかもしれない。しかし、まずは業務と関係性は分けることが大切。さらに、相手が苦手な仕事を受けてしまうことは、境界線を越えて「その人が自分の課題に取り組む機会を奪ってしまう」ことにもなることを忘れてはいけない。この場合、ただ断るのではなく、その伝え方とか、その課題に取り組むためのアドバイスをすることは必要だ。

人間関係が難しいのは、感情で考え始めてしまうと、境界線が曖昧になっていくからだろうか。優しさのはずが、依存になってしまったり、横取りになってしまうのだから、大変だ。わからなくなってしまった時は、一旦「これはいったい誰の問題(課題)なのか?」を考えること。境界線を守ることは、相手への敬意であり、なにより自分を大切にする大切なことなのだと思う。


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